”言い訳”という言葉を悪用しはじめた極悪人がいる

皆さんは、「言い訳」という言葉を感覚的にしかとらえられていないと感じることはありませんか。
日々を過ごしていると「言い訳を言うな」と言われる機会は山ほどあると思います。ないか。
わたしのようなズボラ人間は言い訳でやりくりしてここまで生きてきた
というような人生を送っているものですから、
言い訳とは言いようのない連帯感を持っているというのも事実であります。

でもね、言い訳っていったい何なんでしょうか。
言い訳のレンジは個々人が感覚的に定めていると感じることがあります。
何かに失敗した時、報告連絡相談をしろと言われる一方で、
その報告自体を「言い訳」と片付ける人種がいることも否定できません。

「言い訳」とは一体何なのでしょうか。
わたしは、何か人がミスをしたときに
その原因を分析して、報告することは悪いことではないと思います。
どうしてそのミスが起こったのか。
次からはどうやればそのミスが起こらなくなるのか。
その検証という行為をなくして、人は進歩できないのです。
ですが、「ミスした理由」を語る行為自体を言い訳と捉える風潮があります。
このミスマッチが起こるのは「言い訳」が条文同様に多様な解釈の余地を残していることに起因しているといって過言ではありません。

皆さん、どこまでを報告と呼び、どこからが言い訳となるかを明確に線引きできますでしょうか。
わたしはできません。
それらはシームレスに行き来し、報告は言い訳となりうるのが現状です。

そこで思い至ったのです。
こいつは、「言い訳」という言葉を生み出した極悪人がこの世にはいる。
ということを。

言い訳という言葉の持つ力は以下のようになると思います。

  1. 目下の者の反論を封じる。

  2. 目下の者の成長を阻害する。

  3. 目下の者の台頭の芽を事前に摘む。

  4. 自身のミスの隠蔽。

  5. 関係の遮断。

「言い訳」という言葉を生み出したやつは
ミスをしたものに対し、どんな原因がそこにあろうとも、
その検証を許さず、全ての罪を背負わせる方法を考えました。
考えるに、それは身分制度や上下関係が物をいう武士社会辺りが怪しいと踏んでいます。(適当に物を言ってます)
もしくは自らの能力不足により、対応ができないことを
部下にあたかも責任があるように見せかけるために使われる言葉が「言い訳」なのです。

なぜかしらん、日本人のジーンには「言い訳はしてはいけない」という楔が打ち込まれています。
人の成長を阻害する目的で極悪人が生み出した「言い訳」という言葉は
いつしか、教育界のメインストリームにまで上り詰め、
親が子に代々受け継ぐ魔法の呪文にまで成長を遂げました。
それが呪いとも知らずに。

「言い訳」はしてはいけない。
これは指揮官への無条件の降伏を生み出し、
言い訳を言い訳にして、人はミスの検証を怠ります。
言い訳を正しい位置に戻す必要があります。

言い訳は修正可能なミスなどに使われるべきではない言葉です。
言い訳が使用されるべき状況とは、

他人があなたに対してやってきたことに対し、あなたは不快感を持ちました。
どうしても不快だからそれをやめてほしい。

こういうときに、「それやめて」って言いますよね。
不快なのでやめてほしいわけです。
悪口を言われるとか、そういうレベルのことに関して、
あなたはやめてほしいと依頼する。
でもたまに、「いや、私はこう思っているからやってるのであって」みたいに無意味な反論をしてくる輩がいます。
それは言い訳です。
不快だからやめてほしいのに、なんか適当に理由をつけて反論してくる。
こういうことを言い訳というのです。
検証が必要なく、やめれば済むことを
プライドやら何やらが邪魔してやめられない。
だから、反論する。
そういう言い訳をしてくる人間とは距離を置いてもいいですよね。

言い訳という言葉はこれまで悪用されてきました。
言い訳が使用されていい状況は限定されています。
言い訳してイイワケ?ってことです。

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