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夢日記「相模原、水族館、無料バイキング、音楽の授業」

奇妙な夢を見た。こんなレアな夢を見られる経験ができてよかった。恐らく7:30am~10:00amの2度寝期間に見た夢である。ちなみに、俺は明晰夢を観たことが一度もなく、夢を夢であると気付くことができない。異常な世界が形成され、その箱庭に置かれていても、それを現実であるとあっさり受け止めてしまうのである。起きて考えると、何故あの状況で気づけないのか不思議になるくらいである。以下は夢の内容である。


俺は広島県に住んでいた。実際の居住県とは異なる。俺の夢の中ではなぜか広島が旅行の目的地になる(訪れたことは一度もない)ことが頻繁にあるが、今回はそこに住んでいることにまでなっていた。今から「山口県」へ旅行に行くことになっており、身支度を整えた。
朝、眠気まなこで家族に連れられ鈍行電車に乗る。座席に座るとすぐに寝てしまった。
「次は、~はら~、~はら~です」という駅員の声ではね起きた。実は現実世界の俺の最寄り駅には「はら」という単語が含まれているため、パッと起きるようインプットされていたのだと思う。しかし駅を飛び出ると、そこは「相模原」であった。(正確には、読みは『さがみはら』だったが、駅看板に記載された漢字は『○(覚えてない)原』と、奇妙な2字で表記されていた。)
慌てて降りる。相模原が神奈川県であることは知っていたので、「乗り過ごしてしまった」という気持ちと同時に「なぜ反対方向の電車に乗ったんだ」と思った。
改札を出ると、街中の人ごみにもまれた。しばらく歩くと、向こうから家族が歩いてきた。(父、母、妹)話を聞くと、「相模原駅から折返しで山口駅まで行ける、広島→山口の鈍行よりも速い列車がある」のだそう(今思うと、広島→相模原も鈍行に乗っていたので普通に詭弁)。父は「でも高いからなぁ…」とぼやいた。たしかに自分のポケットマネーで行ける代金ではないと思ったことを記憶している。

場面は切り替わり、小学校と中学校で一番の友人だったSと共に水族館へ着いた場面へと切り替わった。今思えば、山口へ遊びに行く目的はこれだったのかもしれない、と思った。
Sと橋を渡る。既にSは1km程先まで歩いてしまったので、彼を追いかける形で川沿いを、下る方向に進んだ。川はかなり大きく、右岸から左岸までおよそ50mはあったように思える。俺は左側の岸を歩いていた。川の中には鯉などの魚がいた。しばらく鯉を見つめていた覚えがある。「黒い鯉より赤い鯉を応援したい」という台詞を言った気がする。実際に黒い鯉だけでなく錦鯉もいた。
彼にようやく追いつくと、Sは「ここには何もなかった。来た道を引き返そう」と言った。それに従う。
来た道を戻ってしばらくすると、周囲の人間が突然けたたましくざわつき始めた。何事かと川を覗くと、とてつもなく大きなホホジロザメが川を海の方向へ向かって進んでいた。その大きさは尋常ではなかった。現実にはあり得ない大きさだった。川いっぱいに幅をとっていたため、直径は40mはあるだろう。全長はその5倍はあろうものなので、全長200mである。川パンパンに、詰まりそうになるかのように一回転しながら進んでいた。
海洋恐怖症のケがある俺にとって、その光景は気絶しそうになるほどに恐ろしいものだった。足がすくみ上がり、死を意識した。
続いてシロナガスクジラなども流れてきたが、サメよりも大して大きくはなく、むしろ自分を安心させた。そして、この川全体が大きな水族館であったことに今更ながら気付いた。Sもその様子だった。
進んで行くと、目の前に大きなシャチが横たわっていた。シャチにしては全身が茶色の毛皮だったが、私はそれを見て直感的にシャチだと思った。流石に先程のサメよりは大きくないだろう、サメより5,6周りほど小さかった先程のクジラくらいの大きさだと思う。だとしても陸に上がっているのを見ると自分たちよりはかなり大きく、見上げるような形となって恐ろしかった、もしこれがサメだったら、いやむしろあんなに大きなサメをこんなに近くで見てもサメと認識できないだろう、と思った。
シャチを迂回するように通ると、職員らしき人物が、先程通ったサメの影響で橋が壊れてしまったと言った。見ると橋は大破しており、岸もあと少しで決壊する、といった雰囲気だった。職員たちがいくつもの小船に分かれて乗って改修工事を進めていた。

場面は切り替わり、Sと水族館のお土産コーナーで土産物を買うシーンになった。「たこ焼き」「お好み焼き」のような粉ものが食いたい、とSは言った。フードコートも兼ねているようだった。俺もソフトクリームを買った気がする。

場面が切り替わり、食べ放題をしているところになった。小中学生の頃の友人が数名いた。雰囲気としては大きめのホームセンターに似ていた。最初はお腹いっぱいになったが、無料で食べ放題できる食品の棚が非常に狭く、まれに小さいハンバーグや冷めたシチューが置かれるくらいであった。それ目当てにたくさんの人間がすぐに奪いにくるため、俺の取り分はどんどんなくなっていった。ご飯一杯分はなんとか確保できたが、おかずがほとんど出てこないためにご飯はどんどん冷めていった。どんどんお腹がすいてくる。無料の棚以外に、別料金で頼める少し豪勢なハンバーグや、ステーキや、ラーメンや、あたたまる用のストーブや掃除機などが置いてあった。しびれを切らした客にこれらの有料のものを買わせる気だな、と奴らの魂胆に気づいた。
そして俺は非常に不愉快な気分になった。

また場面は切り替わり、俺は友人たちと授業を受けていた。
小学、中学、高校、大学問わず様々なクラスメイトが並んでいた。特徴としては、全員パーマをあてていた。自分だけパーマでなく、忘れ物をしたような気分になって恥ずかしくなった。
出席番号が奇数の生徒だけが壇上に上がり(俺は偶数だったのだろう、並ばなかった)、先生が掛け声を上げるとピアノを弾きだした。
それに合わせて出席番号1番の生徒が歌い出す。内容はこのようなものだった。
自分が持っているパンについて、「もし自分がソフトボールのバッターボックスに立ってそのパンをバット代わりにすればどのくらいの成績を修められるか」を、前半の4小節で歌う。後半の4小節で、そのパンが何枚に折り曲がってるかなどの特徴や、具材について述べる。歌い終わったら任意の生徒に指をさすことでパスする。歌というよりはリズムに合わせて語るラップ調のものだった。
内容は先生からの指示を仰げなかったが、おおむね全員がこのようなことを歌っていたのでそれに倣うことにした。
先生の指示があり、今度は偶数番号の人間が壇上に並んだ。最初、俺は1列目の右端に並んでいたが、自分が出席番号を間違えていることを悟り、2列目の左側へ動いた。
そこには、中学校の同じ部活のT君、級友のNさん、M君、高校の級友Mさん、O君、大学の同級生Tさん(らしき人物)などなど様々な人物がいた。
まずT君がトップバッターで歌い出すと、うまく歌えず、「ストップ!ストップ!」と先生を止めた。すると檀上が微妙な雰囲気になった。彼さえパーマをあてていた。
やり直し、次はソメヌキさんという人に代わった。知らない苗字だったが、雰囲気は高1の頃の大人しくて性格の良かった級友に似ていた。みんな「ソメヌキ…?」「ソメヌキって苗字なんだ…」とひそひそ話をしていた。
自分の周囲では、俺がきつくて邪魔だという話になった。謝りながら体を窮屈に縮めた。それでもどんどん狭くなり、次第に俺は座ってしまった。歌い終わった人から座るルールだったので、俺は見逃されて歌う出順が回ってくることは無かった。
終わりに先生は「みんなでパンを分け合ってください。それを昼食にしましょう」と言った。早いものがちであったので、慌ててアヒージョの乗ったパンと、小さな菓子パン2つを確保しておいた。
Oくんと一緒にご飯を食べていたが、Mさんが口を真一文字に結んでOくんのところへ寄ってきた。手にはお皿が乗っている。Oくんは皿の上のパプリカだけを箸でつまんで貰った。どこかから「あいつ赤いピーマンが嫌いなんだってさ」という声が聞こえた。嫌いなものを食べてあげるほどの仲なんだ、と俺は少しショックに思った。OくんはMさんがいなくなってから、「お前の2つのパプリカ(おそらく唇のことだと思う)もくれよ!」と冗談混じりに言っていたが、よくこんな短時間でそんな上手いことを思いついたもんだ、と思った。
そして目が覚めた。

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