ブロッコリースプラウトは売り切れない

「悪意あるデマ」は少ない


 新型コロナについて、SNSで発信されていることに、有益なものは、絶望的に少ない。
 与党をディスるか、ディスっている人をディスるか。不謹慎と解釈できる言動のあった有名人をディスるか。
 阪神淡路大震災では固定電話に走らなくても使える携帯電話が普及した。
 東日本大震災では避難所や炊き出しの情報がSNSで共有された。
 今回の新型コロナではテレワークも進むのではないか。
 阪神淡路大震災では、在日北朝鮮、韓国人が崩れた家屋に火をつけて回っているという、関東大震災由来の古式ゆかしいデマが流れた。二次災害として地震の後に、火災が起こるのは必然なのだが、日本を憎む人の仕業と憶測が生み出したのだ。
 東日本大震災でも同様のデマが流れた。リンチ事件は起こらなかったが、百年前から我々は半島に贖罪意識を大切に守ってきた証拠だろう。
 現在、新型コロナでも、様々なデマは絶賛拡散中だが、どうして社会全体に不利益を与えるようなデマが流れるのだろうか。
 考えてみれば、分かる。
 関東大震災で被災した、当時の東京市民が朝鮮半島に対して、憎悪を持っていたのだろうか。日常の中で彼らに不当に虐げられたと感じることがあったのだろうか。
 阪神淡路大震災でも同様である。大政奉還前から外国に開かれた港町として、アジア圏の人々も集まっていた神戸がある街で、昨日まで近隣に住んでいた、在日北朝鮮、韓国人だけが、突如凶暴になるなんて、納得いったのだろうか。
 真珠湾攻撃の直後、アメリカは在米邦人の多くが収容所に隔離され、財産が没収された。
 心理は同様だろう。
 つまり被害者であるつもりが、不安と恐怖によって、加害者になってしまうのだ。
 犯罪心理学の意見が、ここでも当てはまるのではないか。
 全良な市民がなぜ、犯罪行為に走るのか。以前、ご披露したアイヒマン実験でわかったことが、ここでも当てはまるのではないか。
 つまり、
1.犯行を犯す理由がある。
2.犯行を犯す機会がある。
3.犯行を正当化する理由がある。
 という三つが揃った時、全良な市民でも、デマを発信したり、拡散に加担するのではないか。
 SnSやウェブで情報を知り(1)、自分のスマホを操作する時間があり(2)、それによって被害の拡大を防ぐことができる(3)と確信する。
 正確で安全な情報は厚生省が発表するだろうが、その速度が二枚のアベノマスク並みにトロくさい。だったら、民間にある情報でも、いち早く一旦広めるべきではないかと、判断してしまったのなら、当然だろう。
 ましてや感染者や、医療従事者に対して、差別的な発信があるのだとしたら、それはもう冷静さを欠いている。全良で、良かれと思っているのだが、やっていることは悪行そのもの。
 狐がついたとして、十代、二十代の女性に責め苦を加え、物理的に集団殺人をしておきながら、魂は無事に浄土についたと屁理屈をいうのと同じである。
 善意の次に必要なものは、冷静な判断である。
 デマと呼ばれるものも、悪意ある攻撃のデマというより、社会正義のためという、道徳心から発生していることが考えられる。デマを流して、社会を混乱させてやろうという悪意ではないところが、厄介である。
 だからこそ、ボーダーが低く、誰もが加害者になる危険性があるのだ。
 だからこそ、冷静に立ち止まって見ることが必要なのではないか。

パスタ特需があったに違いない


 トイレットペーパーの次は食材の買い占めである。
 ホットケーキミックスやキッチンペーパーが品薄で、パスタソースの棚が空になっている。
 トイレットペーパーの買い占めは結局、手軽にコンビニでトイレを借りることができた時代の終焉なのかもしれない。トイレットペーパーを失敬する、無作法者が日本の快適さを一つ無くしてくれたのだ。
 保存する食品であれば、古くから日本には味噌やコメがあったが、なぜかコメが品切れになった話は聞かない。
 イタリア人ほどトマトソースに思い入れがないし、コメのほうが、はるかに思い入れがあるはずなのに。
 それも結局、デマなのだろう。暑くなる季節にコメは虫がついたりする可能性(ここまでコメを守るグッズが充実している社会なのに、それらは突然消滅することになっているのだろう)がある。パスタは虫がつきにくいという想像である。
 同様にホットケーキミックスの買い占めも、完全密閉されたものが長く食品として保存できると考えられたのだろう。卵はなぜか、潤沢に流通するらしい。
 つまり不安の正体は「なんとなく不安」なのだ。
 ブロッコリースプラウトはビタミンを効率的に摂取できる野菜である。
 だが、致命的なのは聞き慣れないことと、生食を推奨していることだ。
 どんなに科学的に効率よく健康になれるものだとしても、聞き慣れず、保存が効かないのなら、無意味なのだ。
 生姜や緑茶、はちみつなど、聞き慣れたものが、新型コロナに対して、効果があるかのように吹聴されていることからも、分かるだろう。古くから聞き慣れた食材しか、一般には認識できず、デマとして拡散されないのだ。
 生姜でも、緑茶でも、蜂蜜でも、プロッコリースプラウトでも、対抗できないから、世界中が苦しんでいるのに、なぜかそれらで、免疫が強くなって助かると信じてしまうのだとしたら、それはもう妄想でしかない。
 幼稚な民間療法でも、ないよりはマシと言い出す人もいるが、飛んでもない。結果として社会に混乱をもたらすなら、無い方がマシである。
 我々は啓蒙された、理性的な判断のできる、国家の主権者なのだ。
 慌てて買い占めるより、必要なだけの食材を買い置きして、あとはシェアしていけばいいではないか。スペインではビールの買い占めが起こっているというが、まさにお国柄といえるではないか。
 こうした各国の買い占め騒動が、いつか笑い話になる日がくる。
「なんと日本では考えられない,アレが品切れに?」
 とか、外国人ゲストを交えながら、笑うのだ。我々もトイレットペーパーを笑われるに違いない。
 その日を楽しみに、ネタを仕込むつもりで日々を記憶していけばいいではないか。

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