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台湾旅行1日目(中編)

九份に到着した我々はタクシーを2時間ほど待たせておいて、九份の町の散策に向かった。散策といっても九份の町はそれほど広くない。両側に土産物屋や酒家(料理店)が並んだ路地が何本か通っている程度である。山の町なので坂道の勾配はきつい。でも、路地裏愛好家の私は嬉しくてたまらなかった。路地はバスでやって来た観光客でごった返している。中には明らかに日本人団体客の姿も。
九份は一時人々から忘れ去られた町となっていたが、台湾で空前のヒットとなった映画「悲情城市」のロケ地となったことにより、再び脚光を浴びるようになる。映画を通じて、時間が止まったようなノスタルジックな風景に魅せられた若者を中心に多くの人々が九份を訪れ、メディアにも取り上げられるなど、台湾では1990年代初頭に九份ブームが起こった。
ブームを受け、町おこしとして観光化に取り組んだ結果、現在では街路(基山街など)に「悲情城市」の名前を付けたレトロ調で洒落た喫茶店や茶藝館、土産物屋などが建ち並び、週末には台北などから訪れる多くの人々で賑わっている。また、世界の旅行ガイドブックにも多数紹介されており、今では台湾を代表する観光地のひとつとして定着している。宮崎駿のアニメ「千と千尋の神隠し」のモデルになったという噂もあり、日本の観光客への知名度が高まった。
路地を進んでいくと両側の屋台から臭豆腐独特の匂いが漂ってきた。臭豆腐は、豆腐で作られる加工食品で、台湾、中国、香港などで食べられている。主に軽食として屋台で売られるが、レストランで提供される場合もある。元来臭豆腐は中国大陸の湖南省の風土食であったが、近世中国各地に伝播したし、台湾には戦後外省人によって持ち込まれたらしい。臭豆腐は、地域によって、使用する漬け汁を含めて、製作方法が違うため、形や食べ方も大きく異なり、台湾では油で揚げて豆板醤のタレをつけて食べる。ちなみに、香港では、臭豆腐を調理する際に臭いが周囲に広がるため、路面店の出店には行政の許可が必要である。日本でY子さんがお土産に持って帰ってきた臭豆腐はそれほど臭も気にならなかったのでチーズを食べる感覚で食べることができたのだが、本場の臭豆腐は臭が強くて食べる勇気はなかった。
小腹がすいた我々は一軒の酒家に入って牛肉麺を食べることになった。牛肉麺(台湾語: グーバーミー)は、主に煮こんだ牛肉とスープ、小麦の麺からなる麺料理である。いろいろな種類があるが、台湾でもっぱら食べられているのは川味牛肉麺と言われるもので、四川省から台湾に来た退役軍人が、出身地成都の「牛肉紅湯」の作り方に、台湾の豆板醤を加え、麺を組み合わせて出来上がったもの。高雄岡山の眷村に源を発し、台湾各地に広く伝わった。しかし、九份の酒家で食べた牛肉麺は明らかにインスタントだった。牛肉麺一杯100元。Y子さんが気を利かせて屋台から台湾ビールを人数分買ってきて飲みながら食べた。味はもちろんインスタントだから美味くはない。
牛肉麺を食べていると、Y子さんがまた何やら皿にのせて我々のテーブルに持ってきた。よく見るとピータンである。ピータンは、アヒルの卵を強いアルカリ性の条件で熟成させて製造する中国の食品で、鶏卵やウズラの卵などでつくられる場合もある。ピータンはまた、アンモニアや硫化水素を含む独特の匂いと刺激的な味を持つ。私は日本の納豆同様このピータンが食べられない。
Y子さんと、Msの男性スタッフのYさんが味見をしたのだがすぐに吐き出した。やっぱり無理なのだ。仕方がなく残ったピータンは、酒家のお姉さんにあげようということになったのだが、台湾語が誰ひとり出来ないのでこちらの意図が通じなかった。酒家のお姉さんは、客から何かクレームをつけられたものと思って戸惑っている。そうこうしている時に台湾語ができる日本人がやってきて通訳してくれた。とりあえず一件落着である。
酒家を後にした我々はそれから40分ほど九份を散策し、写真を撮ったりして過ごした後、待たせてあるタクシーのところに戻った。私はというと九份の入口にあるセブンイレブンでホテルに忘れてきたタバコを買った。マールボロのブラックメンソールが90元。日本円にすると約270円だ。関西国際空港の免税店よりも安かった。
タクシーに戻った我々一行は来た道を後戻りし、台北市内の繁華街である康定街でタクシーを降りた。康定街でイカのフライなどをあてにビールを飲んだ後、2台のタクシーに分乗して我々はホテルへ一度戻ってチェックインの手続きを行って、夜の士林夜市観光までホテルで休憩することになった。

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