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7.20代

社会人になってからの数年間も大学時代と同じく、どんなに仕事が忙しくてもナイトクラビングだけは欠かさず、土曜日などは朝の4時過ぎまで仕事をした後、5時の始発電車に飛び乗って朝の10時までアフターアワーズパーティーをしているクラブに行ったこともあった。当時の私には飲酒に代わる「酔い」があったとも言える。それがダンスだった。
いわゆるダンシングハイである。ランニングハイは、ジョッキングやランニング界では、有名な言葉だが、ダンス界では、ランニングハイのような脳内麻薬のような言葉がない。しかし、ランニングハイのときのようなβーエンドルフィン様の分泌は否定できない。ランニングハイは、ランニング開始15分程度、ダンス(踊り)の場合は、踊り開始1分でスグ現われ気持ち良くなってくる。
飲酒にしてもダンスにしても「現実逃避」という意味では同じものであり、私の生き方そのものは何ら変わっていなかったと思われる。これが後に依存症に陥る原因となる。
入社当初、一度だけ飲酒で失敗しかけたことがある。会社に入社して初めての仕事は、マンション建設のための駐車場の立ち退き交渉で、ある保険会社の社員が数人、立ち退きに抵抗したことがあった。そのため土曜日に出勤し、専務と顧問弁護士を連れて交渉に出かけ、何とか説得して自宅に帰ってゆっくり焼酎のウーロン茶割を飲んでいると、専務から呼び出され、翌日の日曜日に土地売却契約書に実印を押してもらうために徳島に飛んでくれと言われた。羽田発の始発の飛行機で徳島に向わなければならなかったのだが、前日の疲れと深酒で予定の起床時間を大幅に遅れて起床してしまい、顔も洗わずに急いでスーツを着込み、電車の中でネクタイを締めてやっとのことで離陸間近の飛行機に間に合った。
会社の仕事がだんだん忙しくなってきたのは入社2年目の頃からである。それまで、設計の仕事は外注をしていたのだが、社内でやることになり、CADが使える私に図面作製の仕事が集中することになった。上司の課長は設計の指示だけ出して図面は描かない。また、後輩もCADが使えないのでサポート的な仕事しかできなかった。連日2時3時までの残業が続き、また8時に出勤である。仕事の時はずっとCADに張り付いている状態で、常にコンピュータのモニターがちらついて、仕事が終わってからも頭はハイだった。そのためだんだん眠れないようになり、睡眠薬代わりの飲酒が常態と化し、次第に酒量も増えていった。

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