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チベット関連本とマルキ・ド・サド

コーヒーを飲みながら本を読んでいたら日付が変わって、0時半になったので近所のローソンに行ってATMでお金を下ろしたのだが、お金が入って魔が差したのか、ローソンセレクト ゴールドマスターというローソンプライベートブランドの第3のビールの500mlを2本買って自宅で飲んでしまった。22日の精神科クリニックの診察のあと、あべのキューズモールで飲んでしまってからノンアルコールで過ごしてきたのだが、また1からスタートである。
読書の方は、「チベット侵略鉄道 中国の野望とチベットの悲劇」を読み終えて、ピエール・アントワーヌ・ドネの「チベット受難と希望―「雪の国」の民族主義」と櫻井よしこ編の「アジアの試練 チベット解放は成るか」を続けて読んだ。
前者はAFP通信(フランス通信社)の元北京特派員が1989年に書いた本で、1989年までのチベット現代史の歩みをまとめた概論書で、今更という話ばかりで新たな知識や情報を得るものではなかった。ただ、一応チベット現代史の古典となっている本だったので、昔、1度読んでいたのだが、もう1度読み直しただけである。
「われわれの訓練は1962年3月から1964年11月まで、地図にも載っていないコロラドの秘密の場所で行われた。わがグループは135人のチベット人からなっていた。われわれは、米空軍の四発機に搭乗してインドを出発、パキスタンの東部上空を飛んで米国に向かった。(後略)」、「(前略)目的はチベット内部で作戦を展開できるゲリラ技術についての教育を含む、程度の高い軍事訓練をわれわれに与えることだった。この訓練のお陰でわれわれは、チベット内部で独立運動を創設する希望を持つことができた。CIAとの作戦は1957年からはじまった。私はチベット人千人前後が米国で訓練を受けたものと考えている」というCIAの暗躍していた話や、「1988年11月、英国のテレビ局「チャンネル4」が、チベットでひそかに撮影されたドキュメンタリーを放映、その中で11人のチベット人男女に発言させていた。その全員が電気棒で殴りつけられていた。顔を隠して現れた一人の尼僧は涙にくれながらこういった。「彼等は私に手錠をかけて警察署に連行し、地面に押し倒した。さらに私の顔をお地面に押し付けて、電気棒で殴りつけ、さらに私の胸を蹴飛ばした。彼らは私を全裸にして、3人か4人が私を電気棒で強姦した」別の尼僧がつけくわえた。「われわれはつづけざまに七人か八人によって強姦された。われわれは丸裸だった。彼等は、われわれが共産主義態勢の反対者として処刑されるだろうといっていた」ーー中略ーー亡命チベット人たちの抗議にも関わらず、この英国テレビ局は、
証人の身元を隠すことなくルポルタージュを放映した。彼らが自由意志で、理由を知った上で証言したのだから、と主張しての事だった。」というチベットの政治犯たちに加えられる拷問の数々の話などは他の本でも読んでいたので、目新しい話ではない。
後者はこれでもかというくらいの中国共産党、朝日新聞、岩波書店、毎日新聞、日本共産党批判にあふれたトンデモ本で、櫻井よしこ、二宮清純、野口健、ペマ・ギャルポ、水谷尚子、潮匡人、平松茂雄、酒井信彦、山際澄夫という執筆者の方々を見てもその内容がわかる本で、チベットというキーワードで通販で内容も見ずにカスを買ってしまった感じの本である。批判をするのは構わないが、チベット問題解決のための前向きの議論が一切ない。チベットの女性政治犯に対する性暴力と旧日本軍の従軍慰安婦を比較するのはどうかと思う。それに、1950年の中国のチベット侵略によって120万人のチベット人の不自然死と南京大虐殺を比較するのも筋違いであると思う。どちらも違う話で、比較すべき問題ではない。Googleで書名を検索してみてもまともなレビューは一つもない。古い言い方をすれば右翼による左翼批判の本である。30日にはすっとこの本を読んでいて、いささかうんざりしてしまった。まあ、こういう本もあるのかと参考までに読んで見た次第である。この日はひたすらこの本を読んで過ごした。
16時過ぎに訪問看護師さんが来て、そのあとタバコを買いにローソンに行こうと思って、念の為に郵便ボックスを見てみると、アマゾンで購入していたWhitehouseのセカンドアルバムの「Total Sex (Reissue)」がようやく届いていたので、帰宅して早速聴いてみた。
「元祖パワー・エレクトロニクスの名盤にして基本盤」、ホワイトハウスがデビューアルバムのわずか2か月後に発表したセカンドアルバムであり、ファーストアルバムの「Birthdeath Experience」よりはパワーエレクトロニクスの過激さはましていたが、このアルバムの特徴はそのジャケットにある。ホワイトハウスは音楽だけではなく、機関紙を発行するなどして、反社会的なアジテーションを展開していく。「Total Sex (Reissue)」のジャケットには長々と英文が書かれているが、これはマルキ・ド・サドの「ソドムの120日」からの引用である。メキシコのミイラを使ったジャケットも存在するが、こちらは配給を引き受けたラフ・トレードに拒否されたそうだ。ソドム・ジャケットもまずかったようで、結局、このアルバムにはさまざまなジャケットが存在することとなる。「Total Sex (Reissue)」でのホワイトハウスのサウンドは、ロウファイなシンセ・ノイズがすき間なく流れる上で、ベネットの金属質に加工したボーカルが叫ぶというもので、歌詞を聴き取ることはほとんど不可能である。
ちなみに、マルキ・ド・サドの「ソドムの120日」は、正式には「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」という書名で、1785年にマルキ・ド・サドがバスティーユ牢獄で著した未完の小説である。サドの最初の本格的な作品だった。ルイ14世治世の終わり頃、殺人と汚職により莫大な財産を有する、45歳から60歳の4人の悪徳の限りを尽くした放蕩者達、ブランジ公爵、公爵の兄弟である司教、キュルヴァルの法院長、財務官デュルセが真冬にシュヴァルツヴァルトの古城シリング城に集まり、彼ら4人の絶対権力の下に置かれた42人の犠牲者、4人の遣り手婆、8人の絶倫男と共に閉じ籠る。犠牲者は4人の妻(それぞれがそれぞれの娘と婚姻している)と、両親の下から誘拐された若い少年少女たちである。4人の遣り手婆=「語り女」たちが、1ヶ月交代で1人150話ずつ計600の倒錯した物語を語り、主人たちはしばしばその場でそれを実行に移す。作品は日誌の形で構成され、4ヶ月と「単純(性交を伴わない)」「複合」「犯罪」「殺人」の4種の情熱に対応した4部からなる(第1部は完成されているが、残りは草案のみ)。犠牲者はありとあらゆる性的虐待と恐ろしい拷問の末に大半が殺される。小説として完成しているのは序章と第一部のみであり、第二部から第四部は草案の域にとどまっているが、これは時間的・状況的制約のみならず、作者が「想像力を超えたものを表現する」ことができなかった可能性も指摘されている。
この作品を最初に出版したブロッホ博士は、ありとあらゆる性的フェティシズムの徹底的なカテゴリ化には「医学者や、法学者や、人類学者たちにとって……科学的な重要さがある」と評している。ブロッホは「ソドム百二十日」をリヒャルト・フォン・クラフト=エビングの「性的精神病理」と同等に考えていた。フェミニズムの著述家シモーヌ・ド・ボーヴォワールは1955年にフランス当局がサドの主要4作品の破壊を企てた時に「我々はサドを焚書にすべきなのか?」というエッセイを書いて「ソドム百二十日」を弁護した。
この作品の日本語訳は澁澤龍彦が有名で、私もそれを持っている。しかし、日本におけるマルキ・ド・サドの紹介はサド裁判というものが行われることにもなった。「ソドム百二十日」ではないが、1959年に日本で翻訳出版されたマルキ・ド・サド「悪徳の栄え」がわいせつの文書に当たるとして翻訳者・出版者が刑法175条により起訴され、有罪とされた刑事事件である。1961年、猥褻(わいせつ)文書販売および同所持の容疑で、澁澤龍彦は現代思潮社社長石井恭二と共に在宅起訴され、以後9年間に渡りいわゆる「悪徳の栄え事件」の被告人となった。埴谷雄高・遠藤周作・白井健三郎が特別弁護人、大岡昇平・吉本隆明・大江健三郎・奥野健男・栗田勇・森本和夫などが弁護側証人となった。澁澤龍彦はこの裁判について「勝敗は問題にせず、一つのお祭り騒ぎとして、なるべくおもしろくやる」との方針を立てていたため最初から真剣に争う気がなく、「寝坊した」と称して裁判に遅刻したことまであったため、弁護側から怒りを買うことがあった。
1962年に東京地裁で無罪判決が出たが検事控訴で、東京高裁から最高裁まで争った末に1969年に澁澤側の有罪が確定し、7万円の罰金刑を受けた。このとき澁澤はマスコミ取材に対し「たった7万円、人を馬鹿にしてますよ。3年くらいは(懲役刑を)食うと思っていたんだ」、「7万円くらいだったら、何回だってまた出しますよ」と語っっている。澁澤龍彦訳の「悪徳の栄え(上)(下)」は私も持っていて、あと三冊買えば、河出文庫のマルキ・ド・サド文庫のシリーズはコンプリートする。

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