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IBD

2001年10月26日。アッセンブリーホールの拡張工事の図面とマニ・ラカンの図面がそろったところでいよいよ出力しようと言うことになった。9-10-3の建物の通りを挟んだ向かいには9-10-3のインターネットカフェ(当時、まだ準備中)かあり、何度かそこでプリントアウトさせてもらっていたのだが、カラー出力は無理だ。せっかくプレゼンテーション用に図面に着色したのだから是非カラー出力したいと言うことになった。マクロードでカラー出力が出来るのは今のところIBDだけであろう。そういうわけで私とツェリン・ドルジェはナムギャル僧院の入り口付近にあるIBDへと向かった。
IBDは1973年にダライラマによって設立された仏教論理大学で、そこがコンピュータセンターも運営している。以前、中原さんに頼まれたデラドゥーンのミンドゥルリン僧院のチョルテン(仏塔)を出力してもらったときに使ったことがあった。確かA3サイズのBMPファイルの出力(厚紙)が80ルピーだったような・・・それほど安くはない。いつも行くと白髪の髭を蓄えた白人の顧問みたいな人物がメインのPCを使っていた。
ちなみに住所は、
Address: Institute of Buddhist Dialectics, P.O. Mcleod Ganj,
Dharamsala-176219, H.P. India
Tel/Fax: 91-1892-21215
e-mail: IBDIA@ndb.vsnl.in.com
である。ダラムサラに行ってPCを使おうとすると、どうしてもここのお世話にならなければならない。IBDはただの出力センターだけではなく、最近チベットから亡命して来たばかりの若い僧侶たちが英語と共にチベットの歴史、文化、コンピュータを学ぶ場として存在しており、また、外国人も女性も一緒に仏教を学ぶことができるオープンな環境が備わっている。
いつのもようにノート型PCを袋に入れ、ツェリン・ドルジェの運転するバイクの後ろに跨って一路IBDへ・・・
IBDにつくと、ツェリン・ドルジェはスタッフルームに入っていって何人かのスタッフとチベット語で何か相談していた。残念ながら私はそのチベット語が理解できない。
「なに聞いていたの?」
と聞いてみると、
「IBDのPCとのネットワークを組んでそれで出力できるかも知れない」
IBDの若いスタッフが私のPCにLANケーブルを差し込んでネットワークの設定をし始めた。私のPCにインストールされているCADのソフトは英語版だが、ウィンドウズは日本語だ。そのチベット人はウィンドウズのアイコンだけを頼りにネットワークの設定をしていたものだから、横からツェリン・ドルジェが、
「お前、日本語が出来るのか?」
と冷やかしていた。そのうち設定が出来たようである。ついでにIBDにあるプリンターのドライブもインストールする。これで大丈夫だろうと言うことでVector Worksからデータをプリンターに送ってカラープリントしようとしたのだが、プリンターはうんともすんとも言わない。データが送られている形跡もない。ネットワークに問題が???と思ってメインのPCからログインして私のPCの中のCADのデータを読み込んだのだが、ファイルは読み込めても出力が出来ないことがわかった。
何度かネットワークの設定を変えてみたり、別のプリンタードライバーをインストールしてみたが結果は同じだった。どうにもこうにもプリントアウトできないもどかしさに少々イライラしてきた私は、
「こうなったらここのメインのPCにVector WorksとRender Worksをインストールするしかないな~~~。このPCのOSってウィンドウズの何?98だったらインストールできるからやってみよう。いま、CDを持ってくるから10分くらい待っていてね。ダメでも一回やってみないとわからないから」
と言ってIBDから9-10-3に通じるショートカットの道を使って急いで9-10-3の部屋に戻り、CDを手にしてまたIBDへと向かった。標高1800mの高地で全力疾走するとやはり息が切れる。IBDに戻る途中、道からはキルティ僧院の庭が見えた。何人かの僧侶が勤行の休み時間なのだろうか?ボール遊びをしていた。
キルティ僧院の座主であるキルティ・リンポチェは、1941年チベットのアムド(青海省)で生まれた。1959年、中国の侵略により、リンポチェはインドにダライラマを追って亡命し、以来、博士の位を取得するまで、インドで仏教の修業を続けた。アムドの郎木寺(ランムースー)のタクツァン・ラモにあるキルティ僧院は、ほとんど破壊されているといわれているが、ガイドブックを見てみると700人の僧侶がいると言われている。ただしこれは中国の公式発表なので恣意的な数字の操作が行われている可能性が高い。森林に覆われた2つの丘が谷間を挟んで向かい合い、北側にセーティ僧院、南側にキルティ僧院が建っている。ちなみにセーティ僧院は甘粛省、キルティ僧院は四川省である。
急いでIBDに戻ると早速、Vector WorksとRender Worksのインストールに取り掛かった。違法コピーだがここはインドである。細かいことは気にしない。セットアップの画面でどんどんインストールを進めて完了したことを確かめると、Vector Worksを開いてみるが、なんとしたことかデモバージョンでプリント不可能になっている。これは困った。最初にネットワークの設定をしたスタッフが寄ってきて「どうした?」と言う顔をしていたが、どうなっているのかあせっていた私はさっぱり原因が分からない。別にあせる必要は無いのだが、スムーズに事が運ばないと神経がムズムズしてきて気持ち悪い。このあたり、私が大阪人だという証明だろう。所謂「いらち」なんである。しばらく気持ちを落ちつかせて考えてみたら、シリアルナンバーを登録するのを忘れていたらしい。恥ずかしくなって、
「へっへっへっ、シリアルナンバーが抜けていたよ」
と言って再度シリアルナンバーを入れてインストールしなおした。すると、
「やった!!!出来たよ。すぐにプリントアウトしよう」
まずはアッセンブリー・ホールの図面から。A4サイズのカラー出力でどんどんプリントアウトを開始した。2次元の図面ならIBDのスタッフの僧侶も見慣れているようだが、アッセンブリー・ホールでは私がサービスで3次元のモデルも作ってやっていた。ソリッドモデルにレンダリングしたものをグルグル回転させながら、ツェリン・ドルジェに、
「どの角度からプリントアウトする?」
と聞いて、ヤツが良いというところでプリントアウトした。
全部の図面がプリントアウト出来たのはインストールしてから5分とかからなかった。3次元のモデルを見たのは初めてなのだろう、IBDのスタッフは目を丸くして見つめていた。ツェリン・ドルジェが後から言うには、
「あの坊さん、凄い早業だったからびっくりしていたよ」
プリントアウトして一段落すると、私とツェリン・ドルジェはIBDの下にある、これもIBDが運営しているレストランに行き、チャイを飲んでここ数日の労をお互い労っていた。と言ってもほとんど私がやったのだが・・・
ついでにお腹も空いていたのでツェリン・ドルジェの奢りでトゥクパとモモを食べていると、ヤツはまた頼み事があると言いだした。
「寄宿生の学校の計画があるんだが・・・」
またか・・・

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