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2011年3月東京電力の原子力発電所が爆発した時のこと

2011年3月、東日本大震災。地震そして津波が来ました。

天変地異だと思いました。この世の終わりのようでした。

そして原子力発電所が爆発。

「しっかり閉じ込めてあるから安全だ」と言われていた

放射性物質が容器から飛び出しました。

放射性物質は目に見えませんから、

どこにどれほどの放射性物質が広がったかわかりませんでした。放射線を測る準備もありません。国は、パニックを恐れて「危ないのか安全なのかわからない」とは発表しませんでした。

爆発から一ヶ月もたたず、事もあろうに四月には新学期が始まったのです。

次第に計測機器が設置され、食品、身体、空気中の放射性物質、地面に落ちた放射性物質、様々なものの放射線が測られました。結果、学校が始まって校庭で部活をした子どもの中には、呼吸による被曝を他の兄弟達より多くしている子もありました。当時着ていた衣類を測るとたくさんの放射性物質がついていることもありました。放射性物質が降り注ぐ中、配給の行列に並んだ人もいました。当時から、今現在も専門家の意見も様々です。正確に測る前から一切大丈夫だという研究者、ある地域では100年以上住めないという研究者、できる限り被ばくは避けた方が良いとする意見もありました。国ははっきりしませんでした。

私は、原子力発電所で大爆爆発が起きたのだから、当然学校は安全が確認できるまで長期休校。たくさんの専門家が忌憚なく意見交換をして、国民のためになる判断をするとばかり思っていました。結果、危険でも安全であってもそれが「わからない」間人々は守られ、全ての損害は東京電力と国が償うことを疑いませんでした。

けれども、新学期は始まりました。困ったのは住んでいる人たちです。測定も十分でなく「わからない」はずなのに国が説明によこす専門家は「大丈夫」と言います。国を信じたおじいちゃんは窓を開けます。心配なお母さんは泣きながら窓を閉めてと訴えてもおじいちゃんは聞きません。うちの嫁はおかしいのではないか、食べるものを心配してお弁当を持たせれば気にしすぎだと言われることもありました。「専門家の先生が大丈夫だと言ってる」それしか証拠はありませんでしたから、説明として不十分で安心などできない思う人もたくさんいました。
ひとまず避難しようにも、国が認めないことには費用も出ません。家族が動きたがらなかったり、置いていくわけにもいかない、様々な事情があってどう決めても苦しい。理不尽です。

私たちは自分が信じたことを議論していくことには慣れていませんでした。しかも正体のわからない放射能です。何か重大な身体への影響があるかもしれない、でも全くないかもしれない。経験したことのない緊急事態です。誰かに「大丈夫」と言って欲しい。「危険だから避難だ」と、誰か言ってくれないか。なんで逃げるんだ、なんで留まるんだ、故郷を捨てるのか、命が一番大事じゃないのか、無神経だ、気が違っている、どれもわかると涙ぐむ人もいました。若い人たちを送り出すお年寄り、残していくことをためらう若者。心がちぎれそうな話をたくさん聞きました。道を隔ててきっぱりと分けれれた賠償も、様々な全部が被害を受けた人たちを苦しめました。
緊急事態でした。「せめて、放射性物資が目に見えたら」そう思い戦っている人に私は応援してるよ!これが役にたつかも!とあかいつぶつぶの絵を描きました。

まさか被ばくから身を守るのに抵抗にあうとはそれこそ想定外でしたけど、知識も準備も無い中で、行政や専門家でさえ意見が分かれる。
誰がどれを信じても不思議はありませんでした。

私は子ども用に放射線のテキストを作ることを一生やっていく仕事の一つにしました。2011年の新学期にはチームで何枚かのテキストを作り学校や避難先へ無料で配られ、福島県二本松市の学校で使う副読本づくりにも参加しました。
自分で決めて自分で望むように人生を変えていくことができる社会を求めていくためです。放射線だけを避ければ幸せになるわけではありません。事故が起きてしまった以上、放射性物質のない以前には戻れません。取り返しのつかない状況の中でどう生きていくか考えずには済まないのだと思います。

たくさんの人が、愛しい人を守ろうとして「あかいつぶつぶの絵」や放射線のテキストを使ってくれました。わたしのところへは使用のお知らせの連絡がたくさん寄せられました。どんな人が何をしたか、みな真剣で熱心だったのをわたしはよく知っているかもしれません。わたしの知っている状況を話し、誰かを責めるようなことには使わないように長い話を聞いてもらうこともありました。

子どもには大人に劣ることのない理解する心があります。原発事故後、放射線のテキストを作ることで最初に子どもと関われたのはわたしの幸福でした。彼らがこんなに勇ましく向かうなら、わたしもそうしようと思いました。

描く行為が好物、つくることが快楽。境界線なくイラストを提供したくなる病。難しいお話をやさしく描くのも得意。生きることすべてを描きデザインする。旅をして出会って描きたいつくりたい。だからサポートは大歓迎です。 ( ・◇・)ノ