もうええて

こぼれるはなし

きょう、自分の特徴を発見して救われた話。(どんな欠陥でもわかっていれば対応できるから)

生まれて53年。さいきん、やっと自分を生き始め自由を得ると同時に、欠如している能力を補うことが難しくなってきて、加齢とともにどんどんポンコツになっていきます。記憶が抜けるんですね。実は子どもの頃から。おそらく、けっこうな努力で人並みに保たれてたんですけど、忘れてしまうことがあることを忘れていました。

なんで忘れるのかしら。電車の時間も、スケジュールを何度も確認したにもかかわらず、到着が1時間遅れます。楽しみにしていたイベントも、前日まで出発時間を気にして着ていく服も決めているのに、当日それがあることすらきれいに忘れます。書きかけたラフスケッチを掻き上げていくとき、最終案でなく、いくつか前のアイデアで描き込んでいます。記憶が入れ違うことも起きます。今回は何度も後戻りして作業が無駄になりました。

無策だったわけではありません。存在自体を忘れるメモやスケジュール帳は使えないので、アラームにしたんですが、過去に締め切りに追われたときの恐怖心が出てきてしまいアラーム音で動揺します。忘れていたことを思い出す瞬間がおそろしい。確認しようとページを開いて読んだことを覚えていないとき、息を飲みます。記憶が無いことに気づき、ものすごく動揺します。なぜなら、何度反省しても治らないから、わたしはダメな人間に違いないからです。子どもの誕生日を毎年忘れて、ダメな母親だと思ってきた。気がないということは、愛していないということです。子どもの誕生日をも忘れるのに他所を祝うのかと責めまてしまうわたしが居る。だから、未だに誰の誕生日も祝いません。

あまりに、当たり前のことができないので、予定することが怖くなりました。出来ない=相手を困らせる=相手を大切に思わない、ですから。ずっと、自分が気がないからだと反省してきました。でも、ちょっとおかしい、気があるなら忘れ無いのか。ちがいます、重大であるとか、愛しているとか、確認回数とか、無関係に忘れたり、記憶を取り違えてます。

即興で描くステージは、即興なので問題がありません。(LIVEの日を忘れなければ)出かけて行って作って帰る、そんなふうでないと出来ないのだと思います。仕事であれば、始まりから終わりまで、他を一切遮断して集中すれば作業内容を途中で忘れてしまうことはありません。何かぽんっと違うことが入るとダメです。記憶は、ハトのように飛び立ってしまう。

思えばずっとわたしはわたしに訴えていた。「これは、能力の欠如です。気が向かないとか、対する相手を愛してないとか、本当に関係ないです。」って、わたしが言うのに、わたしが信じてなかったんで今まですごく怖かった。これがわたしの身体的欠陥なら落ち着いて対応できる気がする。これがわたしの人間性で無いならどんなに安心するか。わたしはもう、これらの能力が欠如した人として生きる。それで得られ無いものは、もともと得ることができなかったものとする。

そう決めた途端、身体中が解けるように楽になった。幼少の頃から、ものすごい緊張感を持って今までわたしに用心してきたから。ダメな人間じゃないかと疑い続けてきたから。もう、これがダメならダメでいい。

これは発見ほやほやなので、メモ的に。後で再投稿する。



描く行為が好物、つくることが快楽。境界線なくイラストを提供したくなる病。難しいお話をやさしく描くのも得意。生きることすべてを描きデザインする。旅をして出会って描きたいつくりたい。だからサポートは大歓迎です。 ( ・◇・)ノ