芸人のトークから感じたこの世の生き辛さ
アメトーークを観ていた。「企画プレゼン大会」と銘打って、芸人が「◯◯芸人」の新たなくくりを提案する、それ自体が人気の企画。
キングオブコント決勝常連トリオ、ジャングルポケットのツッコミ太田氏が、トップバッターでフリップを携え現れた。彼が提示したのは『たぶん第6世代芸人』。
瞬間客席から笑い声が上がったが、同時に僕もテレビの前でニヤリとしてしまう。
「“第7世代”という言葉が台頭してきて、間の芸人が立ち位置がよくわからない」
という内容が繰り出されるのだろう。
しかしその後太田氏が繰り広げたトーク内容はもう少し逼迫したものだった。
要するに「所謂第7世代と呼ばれる芸人達と、芸歴がそんなに変わらないのに御輿に乗れてない。僕達は『たぶん』第6世代ではないか」。悲痛だなあ。
“第7世代”という主語
思い返してみると、お笑い界における、この“第7世代”ほど悲喜交々な言葉も、ここ最近、他には生まれていないのではないだろうか。
“第7世代”という言葉が、お茶の間にも浸透してきた頃、バナナムーンGOLD(ラジオ番組)にて、パーソナリティーのバナナマンが「そもそも俺らは第何世代?」と言っていた。
放送作家のオークラ氏が、第1世代から順を折って、各世代を代表する芸人をつらつら挙げていたのだが、正直よく覚えていない。
恐らくスタジオで聞いていたバナナマンの2人も、もう忘れているのではないのだろうか。そのくらい、興味のなさそうな相槌が繰り返されていた。
既に売れっ子芸人として地位を確立した2人には関係のない話である。致し方ない。
年末の“検索ちゃんネタ祭り”では、「そもそも誰が“第7世代”なんて言い出したんだ」と声が上がり、スタジオにいた霜降り明星のせいや氏が手を挙げた。
「何気なく言っただけで、こんなに大きくなるとは思わなかった」
あまり現状を喜んでいるような表情ではなかった。
それはそうだろう。巨大な主語は発信者を置き去りにし、1人歩きするのが世の常だ。
しゅ‐ご【主語】 〔言〕(subject)
①文の成分の一つ。述語を伴って文または節を作る。一般に名詞がなり、主格をとる。「花咲く」「成績がよい」「太郎は天才だ」の「花」「成績」「太郎」。日本語では明示されないことがある。
②〔論〕命題(判断)において、それについて何か(述語)が述べられている当の項辞。「人は動物である」という命題では人が主語。主辞。主概念。 ↔述語
(広辞苑より引用)
「花咲く」の主語は“花”
「成績がよい」の主語は“成績”
「太郎は天才だ」の主語は“太郎”
明快だ。疑いの余地がない。
「第7世代を、テレビで観ない日はない」
「第7世代は、将来のお笑い界を背負って立つ存在だ」
どちらも主語は“第7世代”
明快だ。疑いの余地がない。
しかし“第7世代”が指すのは、数多の若手芸人である。
「数多の若手芸人である。」の主語は“若手芸人”。
明快だ。疑いの余地がない。
では、若手芸人とは?
どこからどこまでを指す?
更に、そのどこからどこまでが“第7世代”?
きっと視聴者の知らない、小さな劇場の舞台袖では、こんな会話が存在している気がする。
「めちゃくちゃウケてたな、さすが第7世代!」
或いは
「このコンビはいまいちだなあ、第7世代なのに」
大きな主語に巻き込まれること
僕はしがない教員である。芸人の友人なんていないし、住んでいるのは九州の田舎町。
それがなぜ、こんな妄想をパブリックなインターネット上でぶち撒けているのか。
「若いんだから」
「初任者なんだから」
「最近の若い人たちって…」
日々晒されているこれらの言葉こそ、巨大な主語の最たるものだからだ。
「同期のあの人はいい話聞かないのに、君は頑張っているね」
そんな相対的な評価擬き、嬉しいか?
「君と歳がそんなに変わらない彼がお茶を淹れているんだよ」
お茶を淹れるのに年齢が関係ある?
「若い者に選択肢はないのですか」
「初任者ですが家庭のある人間です」
「いつからいつまでが最近ですか」
「私はお茶を淹れるために早く出勤しているわけではありません」
もちろん飲み込む。当たり前だ。それが処世術だ。
内心何が燻っていようと、取り繕うなど造作もない。
いつかどこかで、爆発するとしても。
それでも生きる力とは
ゴッドタンを観ていた。
太田氏と同じように“第7世代”を取り上げ、自身の現況を嘆いているザ・ギース。
徳井氏は言った。
「ベテランがダントツ(の実力)でなければ、(現場では)若手を取るだろう」
根拠はビジネス。圧倒的かつシンプル。
板倉氏は言った。
「第7世代なんて言葉を君たちが使わなければいい」
言葉の概念化は怖いものだ。口にすればするほど脅威になる。
こんな大人が、なぜ我々の周りにいてくれないのだろうか。こんな大人とぐうの音も出なくなるまで論を交わすことができれば。
例え本意でないことにでも喜んで勤しむだろう。
太田氏はプレゼンを通して、石に噛りついてでも仕事を増やす逞しさを魅せてくれた。
ザ・ギースは嘆きながらも、常に新たな道を模索し今後の展望を仰ぎ続けていた。
主語から漏れて足掻く人間が1番かっこいいなと、そう思った。
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