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逃げたらダメなのか?

子育てから逃げたらダメなのか?その私の結論を述べさせて頂く前に
少し私の思う知り得る発達障害について書いてみたいと思います。
頻用しておいてなんですが、
私は発達障害って言葉、ハッキリ言うと大嫌いです。この障害ってところが特にね。(でも使用します、息子を育てている今までこの言葉から逃れられたことはないので、それも含めての経験を書かせていただいているからです。途中からこの言葉を変える時がくるかもしれませんが・・)
障害って障る(差し支える、じゃまな)害って書きますよね。
私の解釈で言うと当事者にとっての邪魔な害なのに、何だか周りから邪魔者扱い、または周りにとって害のあるような表現に聞こえませんか?
この特徴について何にも知らない、調べてるのかもわからない、知ろうとしない人たちが、何か少し変わった子や空気の読めない人をすぐ「あいつ発達障害じゃないの?」っていってるのを聞くのも本当に嫌です。
今は「神経」をつけて神経発達障害とよんだり、「障害」を「症」として障害の部分を取り除く言葉に変えて、神経発達症と言ったりしているみたいですが、発達障害という言葉は一般の人にとってとても印象的な言葉だと思います。
そして彼らの思う一般的な常識に外れた人を一括りにして使うのにとても使いやすいのかも知れません。
発達障害と言っても、いくつかの特徴をまとめた言葉で、厚生労働省のe-ヘルスネットを参考にさせて頂くと、
知的障害(知的能力障害)、コミュニケーション障害、自閉スペクトラム症(ASD)ADHD(注意欠如・多動症)学習障害(限局性学習症、LD)、発達性協調運動障害、チック症の7つに分けられているそうです。(最新のDSM-5「精神疾患の診断・統計マニュアル 第5版」を参照しているそうです)その一つ一つでもいろいろなパターンがあるので、目立たないものや生活に支障のある特徴など様々です。
息子の場合はADHD、特に注意力の欠如が目立ちます。感覚刺激に対する過敏さや物事に固執するところなど、自閉スペクトラム症の要素も少しありますが、大人になるにつれて、その点はマイルドになってきたような気がします。

息子は低学年の頃は本当に落ち着きがなく、クラスで授業中に立ち歩くことはなかったのですが、ふらふらと足を揺らしていたり、何かを手でこねこね、鉛筆がじがじ、手遊びが多く集中力の無さが授業中は目立ち、遊んでいる時や習い事の時は注意されてもしつこくお友達にちょっかいをだすなどが多くてほとほと困ってしまいました。
同じような特徴が出ているお子さんをお持ちの方で共感される方おられるのでは?と思いますが、
授業中集中力がない・先生の話を聞いていないせいで、指示や次の日の用意がわからない、配られたプリントをもらったかどうかわからない。鉛筆はいつもボロボロ、物は通常運転でなくすという一見男子あるあるみたいな感じでした。そのあるあるがさらにひどくなった感じです。

時々先生からちょっとした学校での揉め事の報告で電話がかかってきたり、家でもちょこちょこ問題を起こして、何度も勘弁してよ!!!と思ったことか・・・・
最初の頃、子供とぶつかりすぎて私も子供も切羽詰まってしまうようなことが多く、息が詰まりそうでした。
数年経ってこのままじゃ私がやばくなってしまう!と感じた時にしたことが
「軽く逃げる」ということでした。
詳しくはまた次回一つ一つやってみた事で書いていこうかなと思うのですが、大きな問題に発展しそうにないことは無理に修正しないことと、息子を怒ってしまった時に、息子が少しパニックになったり話を聞き入れることが難しいような時は、その場に一旦自分が居なくなること(小さな時は瞬間的にキッチンに逃げるとか試してみましたが、さらにパニックになることもあったので大きくなってからの方がいいのだと思います)が効果的でした。
もし人の助けをかりられるのであれば、一旦親も子もクールダウンするためにお互い離れ、第三者(私の場合は私の母)に「何が間違っているのか、どうすれば良かったのか」を話してもらうことがさらに効果的な気がします。
私の場合はそれが時折役に立ちました。
また、「大きな問題に発展しそうにないようなこと」ですが、家の中で多少家族が我慢できることや将来そう簡単に大きく困らないような、「やりっぱなし放りっぱなし」や「多少忘れても自分がちょっと困るだけの必要なものの前日の用意」です。結局自分が物が見つからず困ったり、恥ずかしい思いをするだけだからです。ただこれにはある程度用意の仕方を教えてあげてからの方がよいと思います。
ご存じの方もおられると思いますが、ADHDのお子さんはマイナス3歳から4歳と考えるとよいそうです。年数は先生によって変わりますが、息子の主治医は大体2−3歳、私の体感だと4歳くらいの年齢の開きがあるように思えました。
もし100直して欲しいことがあったとして、それ全部を全力で自分が何とか直してもらおうとしていたらはっきり言って倒れます。おかしくなります。
だって発達障害の子供って一筋縄じゃいかないんだから。
だから当たり前のしつけから少し逃げることにしました。しかもこの年齢でこれはできないといけないということもマイナス4歳ならできない。例えば3年生で9歳だとしたら5歳。5歳といったら幼稚園の年長さんくらい。これを考えると、
ああ・・・そりゃできないよね・・とあらためて冷静になれるのです。
ふと思う時、私の第六感が多少働いていて、診断がおりるまで、子供が小さい時から「うちの子何かあるな」と思いながら子供と接してきたので、おかしな事があってもぐぐっと我慢するというか、諦めることもできたのではないかなと思います。(まあ腹が立つことには変わりないのですが)
もし発達障害の可能性を思いもしなかったとしたら、どうしてうちの子は他の子ができることができないんだろう、教育のせい?私のやり方のせい?とイライラして、下手をしたら虐待をしていたかもしれません。
これは本当に怖い(まあ子供が大きくなってからは言い合いやら、私が怒りに任せて物を投げたりで半ば虐待のような時もあるのでですがね・・・)
それともう一つ、グレーゾーンを含め、子供と同じようなタイプの子も何人かまわりにいたので、あそこのうちも頑張ってるなあと、一人で考えすぎたり周りを見る余裕がないということが少なかったので、厳しく教育することが全てとは思わないで済みました。
例えばお道具箱の中身が恐ろしいくらいぐちゃぐちゃだったり、落ち着きないとか忘れ物王だったり、ちょこちょこ揉め事起こしてるような息子と同じようなお子さんのママさんと「うちの子・・何ででしょうね・・・」とお道具箱の中のカオスを見ながらお互いに話しあったり。
小中学校の1クラスに1−2人くらい発達障害の子供がいると言われている昨今、もし一人で悩んでいるお母さんお父さんが居られれば、自分だけでないとまわりを見るとよいと思います。同じ悩みをもっている親が必ずいると思います。
必ずこんな風にさせなきゃならない、この年齢でできなきゃならないと考えてしまうからすごく悩む。でも同じ悩みをもっている人もいることは確か。
だからこんなにたくさんの書籍が出版されていて、学校の先生たちが「発達障害」についての研修を受けていて、メディアでも多く取り上げられていて、専門の先生や医者やカウンセラーがいるわけですよね。
また、小さな頃から苦労していたけど、大きくなってからそれが大きく表面化して「大人の発達障害」として気づくようなことが、今まさに色々なところでクローズアップされているということは、もうみじかなことなのだと思います。
あくまで珍しくなくなったということの例えで言ったら、一昔前なら外国人や外国人の血が入った子供さんは学校でも珍しかったけれど、今は多様性の時代で色々なルーツを持った人、日本人がいる。そんな風に当たり前に発達障害児がいる時代です。だから親も学校も先生も職場も近所の人たちだってある一定の理解と手助け、困っている子が困らないようにする工夫と過度に特別扱いしないことが大切なのかなと思います。

当たり前の教育から、当たり前の常識から、少し逃げてみるのもアリではないかと思うのです。


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