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「人生を振り返って、英語ができなくてくやしかったこと」⇒(のちに人生のGIFTになった!)

私が4~5歳の頃、
自宅の2階から聞こえてくる
昔ながらの英文タイプライターの音にみちびかれ、
その音のする場所に行きました。

それは父の書斎でした。
父は仕事をしながら大学院に通い、
論文を書いていました。
約50年前のことです。

私はひらがなもまだままならない頃に
英語のアルファベットに興味を持ち、
後日父が英語のノートを買ってくれました。

私は大文字と小文字を練習し始めました。
それが私と英語の出会いでした。

父は英語を身近なものにするために、
英語の歌のカセットテープや
子供向けの英語教材(モクモク村のケンちゃん)を
買ってくれましたが、
英語の音にはあまり興味を示しませんでした。

そして、子供英会話にも行かなかったことを後悔しています。
(行っておけばよかったです)
 
中学生になると、
英語の授業が始まりましたが、
当時は主に読み書きに重点が置かれていました。

リスニングやスピーキングのテストはありませんでしたが、
読み書きの定期テストではいつもまずまずの点数を取ることができました。

一度、100点を取ったこともありました。
私は自分が英語が得意だと思っていました。
その頃、将来は英語の先生になりたいと思い始め、
バスケ部の顧問にもなりたいと考えました。
 
高校生になり、
都内の上位のバスケ部がある都立高校に入学しました。
強いチームでバスケを経験してみたかったのです。

願いは叶い、
厳しい部活動に毎日取り組んでいました。

強豪チームだったため、
優れた選手たちが集まっていました。
私は練習についていくのに必死でした。

朝練もありました。
部活が終わって帰宅すると、
夕食を食べずに疲れて寝るだけでした。
 
そんな毎日を送っていた中で、
初めての中間テストでの
英語の得点を見て驚きました。
これまで経験したことのない低い点数でした。
記憶によれば、
40点台だったと思います。
自分が得意だと思っていた
英語への自負心は崩れ去りましたが、
その時はまだバスケに集中することが優先でした。

中学時代の成績とは異なり、
通知表には5や4だけでなく、
3や2も記録されるようになりました。
それでもバスケ部を引退するまでの間、
勉強には熱心に取り組めませんでした。
 
 英語の得意さを失った私は、
「先生になる」という道は
難しいのかもしれないと考え始めました。

しかし、
なぜか英語を使った
ツアーコンダクターのような仕事に
興味を持ち始めました。

ただし、話すことや聞くことは苦手で、
ALTの先生の英語をほとんど理解できず、
洋楽にも興味を持てませんでした。
高校時代は英語の学習に
全く努力できなかった時期でした。
 
引退後の受験勉強では、
2年以上の怠けた時期を
埋めることはできず、
高校の英文法を理解しようと
塾に通ったりもしましたが、
大学受験までには勉強が追いつかず、
結果的にはいくつもの大学に合格できませんでした。
 
それでも私は何とか大学に進学し、
英語を中心に勉強を続けることになりました。

ただし、将来の職業については
まだ明確ではありませんでした。
しかし、念のため教職課程も履修していました
(当時の私「GOOD JOB!」)。
 
大学での英語の学習には
自分なりに頑張ったつもりでした。
3年生の時に家庭教師のアルバイトを経験すると、
やはり先生になりたいという気持ちが芽生えてきました。
 
4年生の時には教育実習があります。
私は英語の授業をできるだろうか?
いや、できない。

なぜなら私の発音は全くダメだったからです。
「R」と「L」、「B」と「V」、「TH」
といった音の発音ができません。
私の英語の発音はまさに
ジャングリッシュ以下のレベルです。
このままではまずいと感じ、
どうすべきか悩みました。

結局、
自分の英語力を向上させるためには、
英語圏で実際に生活しなければならないと考えました。
 
その結果、
私は大学4年に進級せずに
1年間の休学をし、
イギリスのイーストボーンへ
語学留学することにしました。

イーストボーン・英国

教育実習に臨む前に、
発音を指導できるほどに
上達させる必要がありました。

私はまったくのゼロから
スタートすることになりました。
初めての海外生活で親元を離れ、
新たな生活が始まりました。
1年間の留学生活については、
別の機会にゆっくりお話しします。
 
私の人生で英語ができなくて
悔しかった出来事は何度かありましたが、
その中でも特に
「高校時代の自分」と
「教育実習前の英語が全く聞けない、話せない自分」が
思い出されます。

その時期があったからこそ、
英語ができなくてダメダメだった自分がいたからこそ、
語学留学をすると決断し、
1年間英国留学する経験ができました。

また、高校で英語の成績が悪く、
高校英語の文法に苦戦したからこそ、
生徒の「英語がわからない」気持ちが
わかる英語教師として
20年間、中学校、高校で
生徒と向き合ってこられました。
自分をほめてあげたいと
思います。

今では
悔しかった・つらかった時期が
自分にとってのGIFTだったと
氣づけました。

さて、 私がどのようにして英語を習得し、
以前よりも話せるようになったのか、
また帰国後の教育実習はうまくいったのか、
それについては別の機会にお伝えします。
 
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
私の英語学習の旅の話はまだ始まったばかりです。

引き続き読んでいただけたらうれしいです。
(写真の英文タイプライターは実際に父が使っていたものです)

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東京生まれ、東京育ち。
宮城県出身の両親に育てられた3姉妹の長女。
🏫マジメすぎて、頑張りすぎる性格⇒
中高教員時代・心身不調⇒復活経験あり
🌏衣食住はなるべく自然なものに
👵 80歳の母 同居で楽しくケア中
🌏 シドニーAUS留学・永住ビザ生活
🌸シドニー現地高校日本語教師
🏡 日本帰国し公立高校英語教諭14年
🌏あなたと世界をつなぐ橋渡しがミッション
🌟 53歳で早期退職からの軽やかな生き方を追求中!
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