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「完璧」であるべきという幻想

先日、いつもお世話になっている「らしさLABO」の向 雅也さんとペア読書をしてみた。

ペア読書の詳細はこちらの記事に譲るが、30分間で1冊の本を拾い読みし、別の30分で学んだこと・気づいたこと・気になったところなどをシェアするものである。
*時間は目安。私たちも今回は読書とシェアを30分ずつで実施。

▼今回私たちが読んだ本はこちら

私は幼い頃から本が大好きで、小説を読むのはすごく得意(頭の中に情景が鮮やかに浮かぶので、スイスイ読める)。
一方、ビジネス書や自己啓発書は咀嚼に時間が掛かるので(上手く言えないけど、なんだか無機質な感じ?)、読むのに時間が掛かってしまうタイプ・・・(汗)。
この本も結局、読みながらあれやこれや考えたり、感じたりしながら読んでしまって、全然読めず・・・だったところから、雅也さんのシェアを聞いて、時間が掛かってもいいので、じっくりと読み進めることに。

今回は、その途中で感じたことや思い出したことを綴ってみようと思う。

本当に「省エネ」な人生だったのか・・・?

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雅也さんと本の内容をシェアしたとき、「人生グラフ」の話になった。
自分の人生の感情面の浮き沈みをグラフで表すもので、よく就職活動などで取り組んだ経験がある方も多いのではないだろうか。

もちろん、私も人間なので、これまで何度か描いた人生グラフにアップダウンはあった。
ただ、振り返ってみて、絶頂と言えるようなところや、どん底というようなところがあまりない…と言うか、そのときの「感情」が正直あまり思い出せなかった。

実際、雅也さんにも、「アップダウンはあるんですが、正直”良かった〜!!”とか”どん底でツラい”とか、感情があまり思い出せないんですよね〜”省エネ”な人生なんですかね・・・」と話していた。


さて、シェア会のときにそう思ったが、ワークを進めていくうちに、”あること”に気づいた。

そう、自分があまり「感情」を味わいきってこなかったことに。

特に、負の感情(挫折感、無価値感、孤独感、疎外感、悲しみや苦しみ…)が生まれたとき、私は必死にフタをし続けてきた。
まるで醜いものを見るかのように。

それに気づいたのは、2問目と3問目。

「自分の性格で、自分が嫌いなところと・ダメだと思っているところは?」
「何がきっかけでその自分になったのか」

この問いがきっかけで、以前からなんとなく分かっていた、私自身の思い込みに、より深く気づくことになったのだ。

「完璧」であるべきという幻想

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自分の嫌いなところ、ダメなところはいくつか出てきたが、その中に「人目を気にすること」と「自信がないこと」があった。
このうち、「自信がない」と思い始めたのはいつだっただろうか・・・と思い始めたところから、急速に思考が進み始めた。

幼い頃〜高校までの私は、人付き合いが苦手で友人関係に悩んだり、クラスにあまり馴染めないなど、いろいろあったものの、不思議と「自分に自信が持てない」と思ったことはなかったような気がする。
では、一体いつから・・・?

そう思ったとき、ふと思い浮かんだのは、大学受験に失敗したこと。
それまで一度も試験では負けなしだった。
高校入試も第一志望の高校に進学、学生時代に受けていた英検や漢検もすべて一発合格、大学入試も受けた大学はすべて受かっていた。
でも・・・第一志望だけは不合格だった。
そして、それがトラウマになってしまったのか、それ以来、試験や選考というものはとことん上手くいかない。


「自分の受験番号がない・・・」
中・高の6年間をその日に焦点を当てて走り抜いてきただけに(※)、その瞬間、挫折感、悔しさ、無力感・・・なんとも言えない残念な気持ちがきっとあったはず。
じっくり思い返すと、あの瞬間のなんとも言えない気持ちや光景が、10年経った今でも鮮やかに蘇ってきたのに、ワークをするまでその気持ちを思い出すことができなかった。
(※)今の私は「その日に焦点を当てて」というところが短絡的だなぁと思っている。当時の私は視野がまだかなり狭かった。

なぜだろうか・・・?
その理由を突き詰めて考えるうちに、「あまり感情を味わいきって来なかった」ことに気づいた。

当時、不合格だった段階で、次の試験が2〜3日後に迫っていた。
そこで落ち込んでいる暇はなく、すぐに気持ちを次の試験に向ける必要があったというのも大きい。

もうひとつは・・・これ以上、周りの人を心配させたり、残念な気持ちにしたくないと、いろいろな気持ちに無理にフタをしてしまった。

模試でも十分に合格圏内だったことから、合格発表の直後に登校したら、当然合格しているものだと思われていた友人に、出会い頭に「おめでとう!」と言われた。
「・・・あ、私、落ちちゃったんだよね。」と言った瞬間、友人の顔色が明らかに変わった。
その反応を見たとき、周りの期待に応えられなかった自分が情けなく、不甲斐なく、そして申し訳なく思った。

ただ、普段から明るく元気なイメージを持たれていた(そして、私自身もそう見られたいと願っていた)だけに、自分の気持ちをぶちまけることなんてできる訳もなく、そっとフタをして、何事もなかったように涼しい顔をし続けていた(実際、当時の担任はあまりにけろっとした様子を、逆に心配していた)。
それに、自分の情けない姿なんて、誰かに見られたくもないし、見せてはいけないと思っていただけに、自分の複雑な気持ちにはフタをするしかなかったというのもあったと思う。
そうやってフタをし続けてしまったがゆえに、簡単にはその感情を思い出せなくなっていたのだ。

ここからさらに、「周りの期待に応えたい」や「情けない姿を見られたくない、見せてはいけない」を過去の他の体験も含め、深掘りしていったところ、「完璧でないと愛されない」「結果を出せない自分は無価値」という思い込みがあることに行き着いた。
*思考プロセスはかなり長いので省略している。

そう、この思い込みがあったから、たとえ苦しかったり、ツラかったり、葛藤していても、誰かに弱音を吐くなんてできなかったし、涼しい顔をして乗り越えなきゃと、ネガティブな感情にすべてフタをしてきてしまっていた。

あるいは、苦しい・ツライと思っていることや葛藤していることを悟られないよう、まるで防御反応を示すかのように、周りの人に対してキツく当たっていたこともあったなぁと振り返って思う。

そして・・・今もこの思い込みは根深く持っているからこそ、ネガティブ感情にはフタをして、向き合おうとしないことが多いし、ネガティブ感情を誰かに悟られないよう、「怒り」という形で防御反応を示してしまうことがまだまだあると、改めて気づいた。

Love "who you are", NOT "what you can"!

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そこまでたどり着いたとき、私が私自身に投げかけた質問は、「本当に、”完璧”でないと愛されないのだろうか?」

もちろん、この思い込みは私自身、なかなか手放せないものではあるものの、この問いへの答えはNOだった。

たしかに、私は誰かに甘えたり、誰かを頼ったり、弱いところを見せたりするのは苦手で、あまりしてこなかった。
自分の中で苦しくても、もがいていても、葛藤していても・・・人前に立つときは何気ない風を装いがち。
ただ、ときどきぽろっと本音を漏らしたとき、話を聞いてくれる人がいた、温かい言葉で励ましてくれる人がいた、「何か力になれないかな」と言って一緒に考えてくれる人がいた・・・。

そう、「”完璧”でないと愛されない」は幻想なのだ。

そもそも、「完璧」な人などいないし、誰しもきっと弱い部分は持っている。
その弱みこそが、誰かにとっては愛おしく感じることだってあるだろう。


昨年コロナ禍で帰国し、「今の自分に何ができるんだろう」とひとしきり悩んでいた時期があった。
そんなとき、私の英会話レッスンを担当してくれていたフィリピン人講師が掛けてくれたひとことが印象深い。

Love "who you are", NOT "what you can"!
(”あなたのできること”を愛するのではなく、”あなた自身”を愛しなさい!)

私は、自分の能力、自分のできること、目に見える結果や実績・・・の部分でしか自分を認めてこなかったし、この言葉にガツンと来たわりには、今でも完全に受け入れるのはやっぱり難しい。

でも、他の人に置き換えて考えたとき、本当に「能力」だけが価値なんだろうかと問われると、それも違う。
人間だから、誰しもできないことや苦手なことはあるし、能力以外にだって、魅力や愛おしいところはたくさんある。

そう思えるなら、自分にとってもきっとそれは同じこと。
自分の弱いところ、苦手なところ、ネガティブな感情・・・それも含めてすべて「自分」として丸ごと受け入れられたら良いし、「”完璧”じゃないからこそ愛おしい」、そんな風に思えたら良いなぁと思った。

そのために、まずはネガティブな感情から目を背けず、感じきろうと思う。
今回のように、ゆっくり、じっくり感じながら、言語化していくことで見えてくるものもたくさんある。

「完璧」な人はいないからこそ、人は誰だって発展途上。
そう考えると、ツライこと・苦しいこと・悔しいこと・・・ネガティブな出来事や感情は、もう一段上がるためのヒントになるかもしれない。
じっくり、ゆっくり、向き合ってこ。

おわりに

とりとめもなく、私自身が自分と向き合う過程を書いてきたが、私と同じように、完璧主義で苦しんでいる方にとって、少しでも参考になったら嬉しいなぁと思っている。

同時に、過去も含め、自分と丁寧に向き合っていく時間を取ってみることで、自分特有の「上手くいかないパターン」のようなものが見えてくるなど、自分を客観視することで、私自身、次に進むヒントが得られた気がしている。
それに、とことんネガティブを感じきったら、そのとき周りで起こっていたありがたいことにも自然と目を向けられていて、それも再び前向きに歩き出す糧になった。
じっくりと自分と”対話”する時間って大事だなぁとしみじみ。

長らく”積ん読”になっていた本だったが、雅也さんがペア読書のお誘いをかけてくれたおかげで、とても良い時間を過ごせた…!
雅也さんにも、この本にも、そしていろいろと振り返ってみた過去の中で、折れそうなときでも温かく励ましてくれた、たくさんの方がいてくれたことに改めて感謝したい。


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