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国際結婚・海外移住|最初のストレス レバノン人妻と共感した話

こんにちは。アメリカに来て約一か月半が経ちました。昨日彼の友達の紹介でレバノンからアメリカに嫁いできたという方とお知り合いになりました。結婚9か月で私より先輩ですが、移住してきて最初に感じるストレスについて、共感の嵐。

アメリカに来てからというもの、色々なストレスは抱えつつも、約3年の遠距離恋愛を経てようやく一緒になったんだから、あまり嫌なことは言わないでおこうと、無意識にブレーキをかけていましたが、昨日は共感してくれる人がいて思わず愚痴がさく裂しました。

そこで今回はどんなストレスがある/あったか、どうやって乗り越えた/乗り越えられそうか、自分の気持ちを整理するために書き記しておきたいと思います。

住む家が見つかるまで

私の住むニュージャージーはニューヨークのお隣ということもあり、特にBergen群(ニューヨークすぐ横の地域)は地価が高いです。地元民の彼曰はく、一人暮らしのハードルは高く、30代で両親の家に住んでいると言っても珍しくないようです。私の彼もそうでしたし、昨日会ったレバノン人の旦那さんもその一人でした。

そのため、私がアメリカに来て新居が見つかるまでは、彼の両親の家に住むことになりました。もちろん、かなり気を遣うわけです。住まわせてもらえるのはとても有難いと感謝しつつ、初めは正直大変でした。

初め家庭のルールやお作法がわからなくて苦戦しました。例えば、バスタオルの洗う頻度、バスルームの扉は開けておく(誰も入っていないことがわかるように)、食器やコップの位置、電子レンジやトースターなどの使い方、などなど。

聞けば教えてくれる簡単なことなのですが、何かにつけて彼に聞かなければいけないのは我慢の連続で、小さなストレスが溜まって一人静かに泣いてしまうこともありました。

どう乗り越えたか、

時間が解決する。これしかないと思いました。ある程度家庭のお作法を覚えて、家族とも仲良くなってくると、気持ちはかなり楽になりました。最初は驚くことも多かったですが、それが一生続く訳ではない。慣れてしまえば、一緒に住まわせてもらっていることに感謝できるようになりました。

車が無いと色んなことに彼の許可がいる


これがレバノン人妻と一番共感したポイントでした。車が無いと何も生活できないのがアメリカ。徒歩圏内にお店ゼロということも少なくないです。

そうすると何か欲しいと思っても、彼にお店に連れて行ってと毎回頼まないといけない。彼も仕事や予定を確認しながら、お願いするのは意外とストレスが蓄積されます。

特に私は以前ニュージャージーに住んでいた時は、スーパーが徒歩圏、ニューヨークへのアクセスも良く、車も持っていました。当時はそれでも異国での生活は大変だと思っていましたが、今思えば会社のおかげで不自由なく生活させてもらっていました。

昨日出会ったレバノン人妻は旦那さんと結婚する前にニューヨークに1年ほど住んでいたらしく、自分で地下鉄に乗って好きな時に好きなものを買って生活できていたようです。

そんなアメリカ生活を知っているが故に、彼の許可無しで何もできない状況は、余計に辛いと感じるのかもしれません。

どう乗り越えたか、

私は、新居に移り住んでからは、徒歩圏内にCVS(ドラッグストア)、Dollar Tree (100均一的な店)、いくつかレストランなどがあり、それだけでかなりストレスが解消されました。あとはAmazonなどネット注文を使い倒す。スーパーが近くにないですが、オンラインで注文してその日のうちに届けてくれるサービスもあるので、いざとなればそれも活用できます。

彼を頼らなくても自分でできることを増やす、手段を考える、それが大事だと思いました。最終的に彼を頼るとしても、頼らなくてもいい方法を知っているというだけでも、ストレスは緩和されました。

自国で築いたキャリアが白紙


そもそも私はまだビザの関係でアメリカでは仕事ができないので、この問題にはまだ直面していないのですが、

昨日出会ったレバノン人妻はアメリカに来る前、建築関係の仕事をしていたようです。大学で建築を専攻し、資格を取って働いていたけれど、アメリカに来てからはそれが通用しなくて今はベビーシッターの仕事をしているらしいです。

もちろん愛する旦那と一緒に暮らしていけることは幸せで、それを決断したのは自分なのですが、それと引き換えに好きな仕事ができなくなったのは残念だと話していました。

アメリカでは共働きが当たり前。この国で死ぬまで暮らすのかもしれないと思うと、まず職を得るというのは越えなければいけない一つのハードルです。

私も日本では大学も出て、会社に就職して、それなりに努力してきましたが、アメリカで通用するかというと話は別なわけです。

まだ私はアメリカで働ける訳ではないので、考えてもしょうがないところがあるのですが、漠然とした不安が付きまとうというのは今は避けようが無いのかもしれません。

まとめ

気づいたことは、日本にいる家族・友達、食事が恋しい、、ということよりも自分の自由が制限されてしまったということの方が辛いということでした。

もちろん日本が恋しくないわけではないですが、今は無料で電話もできるし、ご飯だって日本食レストランもあるし、自炊すればほとんどの日本食が食べられる訳で。(NJが恵まれているというのももちろんあります)文明の進化に感謝ですが、異国に住むことは年々容易になっているということですね。

この時代に生まれたことに感謝して、なんとか自分でできることを増やしていくことが大事だと改めて気づきました。




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