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大人の発達障害 その3

「ガチャガチャ」さん その3

私は丁度、その社会福祉士を叩いた後、彼女が対応していた困難ケースで大きな動きがあり、その居宅のケアマジャー、その管理者から呼び出され、私も対応に向かうと、キーパーソンの息子が晩の19時半頃にならないとそちらに行けないという。

ケアマネジャーと、その管理者は、「私たちはこれで帰ります」と18時半頃に帰ったが、私も会合があって早く帰りたかったが、今、息子が帰って来てここで説明したら、大きく物事が動くと確信していたので、私は初めてのお宅訪問で息子の帰りを待つという離れ業をして、受診につながる事が出来た。

それから数日して、困難ケースは大きく解決に向かう事になった。私が残って息子と面談した結果だった。その時、私は叩いた社会福祉士は入院したまま、私を警察に告訴した事を知り、解決の糸口が見つかった居宅からは、「包括支援センターにはもう関わって欲しくない」と言われ、また運悪く不安症の利用者の家族から、ケアマネを外れてくれと事業所にあり、「腰が痛いから、私に会いたい」と言われても、私は医者ではないし、当時のセンター長にも相談しても行く必要が無いとの事だったので、そうしたら家族から外して欲しいの電話があった。

そんなぐちゃぐちゃな時に、施設長から「私が法人の弁護士を使って守ってあげる」と言われたのだ。ホロホロ鳥のように崩れ落ちていただろう。

しかし、私はそこで気付く訳である。「守ってあげる」と言った言葉に最初は感謝したが、「待て、待て。これは俺を盾にして、入院した社会福祉士を辞めさせようとしているだけやないか!」と。

そもそも論は、施設長が彼女が発達障害という事を知っていながら、放置していた訳である。私は責任を取り天職だとさえ思っていた包括支援センターを辞める事にした。

私は警察に呼び出され、不起訴を勝ち取るべき行動を行った。印象が大切と、私は常にスーツ姿で警察署に行き、調書を取られた。私にとっては、人生がかかっているので必死なのに、どうやら大した事件では無いと、練習用に新人に調書を書かせて書類の抜けがあり、後日呼び出される訳だが、これも自己覚知で身につけた発達障害由来の「洞察力」でわかった事なのだが。 続く

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