見出し画像

無職10年生が北海道で漁師をやってみた話

どうもぺカマス(MyknjtypeR)です。

世間的には梅雨と呼ばれるこの季節。
今って暑いんですか?寒いんですか?


自分は今なぜか、ほぼ日本最東端兼ほぼ日本最北端の快活でこの記事を作成していて、今の外気温は6℃らしいです、そら寒いわな。ちな現在は2022年の6月、こんな時期でもアカンたいと左門豊作が言ってました。

記事を書きながら南下を繰り返してたらいつの間にか人が住めそうな気温を通り抜けてむしろ暑いと感じるところまで来てしまいましたが、これくらいの距離感で移動してるとガチで緯度を感じるっすね。


さておき


ゴールデンウィーク手前の新社会人たちが社会の荒波に揉まれている真っただ中の時期に、界隈の片隅で一石を投じるかのようなツイートが目撃されたのが今回の出来事の始まりです。

(参考文献:バガボンドの12巻くらい)


これだけではいまいち全容がつかめないとは思うのですが、前提としてそもそも10年も無職でいるということは、自他ともに認めるそもそも働くつもりが毛頭ない人種のような気がしますがどうでしょうか?
まぁそんな人間やめかけの生物がいかにもこれから社会に出て働きます的な匂わせをしてしまったがために

「おめでとう!がんばって!」
「もって3日!」
「社会をなめるな。」
「は?逃げんなよ己の罪から」

などのリプやDM、個人ラインなどなど多数の激励の言葉などをもらいましてことの重大さ?を理解しました。てかなんだよ己の罪って笑



そしてその1か月後・・

特に大して説明をすることもなく、おそらくは海で撮ったであろう景色とそれに見合わない働いてますマウントをする痛いイキリ発言などを受けて

「漁師なんですか?」
「やっとパンクしたんですか?」
「いつ辞めるんですか?」
「働き出したくらいで偉そうにするのやめませんか?」

などの疑問や的確な意見もたくさんいただいた気がします。たまたま10年くらい人よりサボってただけなのに世知辛いやんけ🥹


今回はそんな無職歴10年目の自分が突然漁師になった一連の流れやそこから自分が経験したことや学んだことなどを記事にしようと思い、水揚げされたての新鮮な記憶の状態のまましごおわその手でキーボードをカタカタとやっております。ちな指が痛いっす。

この記事が無職もそうでない人も少しでも後学のためになれば幸いで、それだけが私の望みです。暇つぶし程度に楽しんで読んでいただければと思います。

それではどうぞ。

漁師をやることになった経緯

2022年4月のこと。

目押しができれば時給2000円の生活保護を受給しながらツイキャスを聞いていた時のことだったかと思います。


「ペカマス君、漁師やってみない?君はなんかそういうの好きそうじゃない?あっちのほう人手不足で困ってるらしいのよね」

と、すすきののスロットバーのオーナーさんからそんな感じのことを言われました。

画像1

どういう風に思われてこんな話を振ってきたのかわかりませんが、よくよく考えたら無職期間中に暇すぎて日本3周くらいしている中で、虫とか食べたり川で行水したり山で寝たりなど時々していたら、そういうのが好きそうと思われて漁師に誘われるということがわかりました。確かに自分の中に住むエドスタフォードがyes!!と吠えたのを感じたような気がします。

画像2


その日は確か「いけたら行きますわー(青文字)くらいの返事をして床に就いたと思います。うーん。漁師かぁ・・・
まぁたいして予定もないので物理的にもスケジュール的にも行こうと思えばいけるわけですが。

ここで直近の自分に関して少し。
年末年始は旅をしていて夜の街などで散財、2月くらいは5号機撤去に伴い逆張りホールで軽く大台越えのプチバブル期間を経て、その後には布団から抜け出せない何か月かぶりX回目の職業病を再発させていました。

どれだけ無職キャリア(笑)を積もうとも色々な悩み(笑)を抱えてるからこういうメンブレ的なのってしがちなんやないすかね。知らんけど。

ここ最近の稼働のモチベが0。夕方から起きて稼働するのもざら。むしろ朝から稼働行くとこなんて皆無になってしまった。このブログをこの時間に書いてる時点で明日も昼過ぎに起きるのはもはや明白なのだが

マダオのパチスロ旅日記  より引用

界隈の中では比較的モチベが高そうなレジェンドでもこの有様ですからね。経験ある人いると思うけど、うつ病の初期症状とよく似てるらしいですよこれ。


翌朝。

今日もやる気がでないのでおねんねスヤァお布団好き好き大好きでスタートの1日。
そして寝ながらも考えていました。うーん。漁師かぁ・・・

昼過ぎに起きて飲むコーヒー。この日も無職稼業に勤しみつつもやもやと考えていたのですが、そうこうしてるうちに俺の中のベアグリルスがLINEで「漁師行きます。詳細お願いします。」と返事をしていました。聞き方が完全にアレ。

画像3

ぶっちゃけ現状はパチ屋から生活保護受給したりなどしてる方が目先の金にはなる気がしますが、同じことの繰り返しに価値見出すことできない人生つまんないモードだったのでそういう返事をしたのだと思います。

最悪嫌になったら飛べばなんの問題もないしなぁ(ハナホジ
ごめん。俺は・・・行くよ。


うーん。漁師かぁ・・・

不安と期待と興奮とだるさと愛しさとせつなさと・入り交ざる何かを始めるとき特有の感覚が沸々とわいてくるのを感じました。この感情。嫌いじゃありません。
というわけで無職が突然北海道の限界環境で漁師をやってみたらどうなるのか自ら体を張って検証することになりました。

バーのオーナーさんから漁師町の人につなげてもらい、そこから電話で3分程度の説明を受けました。声の感じからして気さくな印象でした。

「はじめまして!」
「仕事内容はこういうかんじだよー!」
「給料はこんなかんじだよー!」
「期間はだいたい10日くらいだよー!」
ナカキンの動画を見ておくといいよー!あれと同じことやってるから!あれでてるの俺だから!」
「長靴は自分で持ってくるといいよー!」
「なんか質問あるー?」

だいたいこんな感じだったかなと。

画像4

全てが想像の外だったのでこの動画めちゃくちゃ参考になりました。ありがとうございました。

そしてこれらに対してすべて

「はい!了解です!大丈夫です!」

と返事をしました。

そして仕事が始まるまでなぜか狂ったように無職ハウスでBBQしてました。北海道の間違いねぇ海鮮も自ら仕入れて会でもするかーという目的も追加され、世間的にはGWが明けたころに俺の10年続いた長〜いGWもとりあえず明けてしまいました。

5月9日。
大洗港から苫小牧に向かう希望の船さんふらわあに乗り込みます。
道中たまたまやってたオフ会に凸して、仕事が始まる前にナンヤカンヤノゴタゴタがあっていよいよ漁へと出るのでした。

あ、そうだ。

「なんで漁師やってるの?」という質問は結構多数来ていて、パチスロと仮想通貨で負けすぎてパンクして所持金300円でオホーツク海に飛ばされたという設定でやっていたつもりでしたが、その質問に対する答えは実際のところは見ての通りただのノリと勢いです。でも仮想通貨では負けまくってます草。


実際に漁師をやってみた

画像12

とりあえず出勤初日のところからはじめていきます。

仕事中のメモなどをなぞるような形で以下作成していますので読みにくい部分あったら悪しからず。


5月16日、今日から漁師生活開始。

漁師の朝は早い。というかもはや朝ではなくもはや深夜だと思う。この日は朝2時に起き、2時半には集合場所の倉庫にいた。

自分が勤めることになったのは、北海道は道東にあたる紋別郡の漁業組合の中の1つの漁業部。港から数キロ圏内一帯にある建物のかなりの割合がおそらく屋号と思われる○○漁業という文字が壁やシャッターに書かれた倉庫、事務所、住宅だった。いわゆるThe漁師町だなぁというのが第一印象で、海と共に生きる人々の暮らしがそこにはあったと思う。

画像5

「ぉはようございます😀」

眠気まなこ擦りながらギリギリの笑顔を作り、倉庫のドアを開けてから漁師としての1日目がはじまった。

倉庫の中には、親方(漁師歴35年)、師匠(親方補佐的な人)、運転手(じいさん)、大学生(ここでの仕事は5年目らしい)が既に待機していた。基本的にはこれに自分を含めた5人で毎日同じ仕事をすることになっている。初対面で軽く自己紹介するもののみんな緊張しているのか会話は少ない。

倉庫についてからは、仕事着に着替えたりなどの準備をしてTVで流れているニュースや通販番組を見つつ3時過ぎあたりに

「よし、行くか、忘れ物するなよー」

という親方の合図とともに、倉庫前に止まっているトラックに乗り込んで港の船へと移動する。外はまだ真っ暗で肌で感じる気温もどう考えても寒い。

港に着いてから荷物を船に積んだら乗り込み5秒で出航。

とりあえずまったくもってどうしていいかわからなかったけど、

師匠「動き出したら座っとけ、立って乗るには10年早い。」

とのこと。船の真ん中の風の当たらないポジションで体育すわりで待機した。
まぁ間違って落水しようもんならさすがにガチのじんおわだものな。

港から防波堤まで少しの間の徐行区間を超えると船はそこから一気に加速する。風が気持ちいサボ・・・とはならんレベルでとにかく寒い。もう帰り・

10分かそこらくらいの時間だったと思うけど、船の加速が緩まりおそらく自分たちの船の組合番号であろう浮きのポイントまで到着し、親方と師匠があわただしく仕掛けを引き上げる準備作業を進めているのを眺めながらひたすら寒さに耐えていた。

ここにきて人生で初めて10人乗りくらいの小型船に乗ることになったんだけど、運行中は基本的にはずっと山手線で一番揺れる区間くらいには揺れていて、たまに波の具合によってがっつりなチンサムが来るといった様子。何度か乗っている大型船とは揺れ幅が全然違う。ダメな人は多分秒でアウト。ビビッて酔い止めを飲んでさらに常備もしていたけど、自分は揺れに関しては意外と大丈夫だった。耐え。

空を見るとまだ月がはっきりと出ていて、東のほうからは太陽が出てくるか来ないかくらいの感じだった。とても幻想的なんだろけどそれを楽しむ余裕はまだない。

画像6

新人ということで船の中では一番作業量が少ない立ち位置に配置される。個人的な感覚では仕事するにあたってありえないくらい何も説明されないし、マニュアルなんかも当たり前にない。典型的な見て覚えろスタイル了解です。

とりあえずまずは頑張って仕事の流れを理解しようと思った。ちなみに今回の仕事内容は、網的な奴に仕掛けられたホタテの稚貝を水揚げしてかご的な奴に移してとそれを積み下ろしたりする作業。聞いてる感じは多分漁師難易度的にはかなり優しい部類ではなかろうかと。ぺーリング海の一攫千金の動画よりははるかに楽なはず。知らんけど。

時刻は3時45分。

「稚貝作業船に連絡します。Aグループ1回目作業を開始して下さい。」

という無線とともに作業が始まる。
この港の作業船自体はたしか100隻以上はあるみたいなことを言っていた気がするので、出航や入港時の混雑を避けるためにグループ分けして時間をずらしているらしい。早番と遅番みたいな感じ。まぁ遅番って表現は全然しっくりこないから早番と超早番かなw

作業開始の合図から休む間はなく、次々と仕掛けられた網を引き揚げていくんだけれどこれが地味にしんどい。網自体は重くも軽くもない絶妙な感じだけど体勢的に腰に来る。そして一番痛かったのは指。寒さで指先が悴んだ状態で網の針金の部分を握り、中に入っている貝を籠にかごにふるい落とす。あ、一応厚めのゴム手袋は着用してます。手の保護と防寒も兼ねていたけどそれでも十分すぎる負担がかかる。

大体作業開始の合図から15分程度で30~40くらいの仕掛けを水揚げし、船に積んだかごに適量の稚貝が揚げられたら、すぐさま港へ戻り港に止まっているトラックにかごを下す。

ここまでが一連の流れ。

出航準備→出航→水揚げ→入港→積み下ろし→出航準備・・・の繰り返しで1日に5回これを繰り返す。

その他細かい作業もあったりするけど基本的には段取りがわからず特に説明されることもなかったんで見ていることが多かった。邪魔しないことが仕事で、たまにやらかして怒られるのも新人の仕事だと知った。知らない固有名詞いわれてもさすがにわからんw

てか、

1日目の1回目の作業が終わった時点でもうまぁまぁキテるんすよねワラ
さすがに働くんしんどすぎんか?1日が5倍くらいなげえよw

画像7

そして、なんとか気合で乗り切った初日の感想がこちら。

仕事が終わって倉庫に戻った後で帰る頃にこのツイートをしていた気がするので、終わった時間はちょうど正午くらいだったのかなと。

倉庫に戻ると、親方の母親がいろいろ作業をしながらシケモクを吸っていた。鮭とばとこまいの加工されたやつがしこたまタッパーに詰めて合って

「これ食べていいよ!」

と言われた。これはうれしい!うまい!
これらをちょいとつまんだ後に、倉庫から車で3分の宿泊先に戻って風呂に入り、上がってから20秒で寝落ち。さすがに寝た。

画像11

この日の風呂が人生で一番印象的だった気がする。感覚のマヒした手先にじわーっと血液が循環していくのがわかる。船の揺れが体に残っていたためか波など一切ない湯船の中でわかめくらいの感じで自分の体が揺らいでいたのがウケた。仕事などせずに、はやくわかめになりたい。今ならいい出汁になれる自信がある。こんなに働いたんだもの。

そんでもって寝て起きたらもう次の日が始まっていた。仕事して1日2食カップ麺くって寝て起きてまた仕事に行く。
やっぱりシャバの中で最も懲役に近い暮らしがそこにはあったきがしますね。プリズンブレイク最終シーズンまで全話3周は見てるので間違いないです。ええ。ぜひこの罰ゲームは誰かに味わっていただきたい。

初日の感想ですか?
あたりまえにしんどすぎて飛ぶことを決意。こんな過酷な環境で働くなんてみんなきっとバ〇なのだろうとガチで正直にそう思ったすね。ええ。



ほな2日目へ。

起きた瞬間から握力がなく、グーを握ろうと思っても掌に指先がつかないくらいの状態でじんおわ。この日は飛ぶ予定だったのが間違えて出勤してしまったので出勤したそのままの勢いで刑務作業を繰り返し一日を乗り切ることに。早番グループより30分おくれの出航。

このじかんだとギリギリ日の出の時間が過ぎたくらいで一番景色がきれいだと感じる時間だったと思う。まぁ綺麗とかよりとにかくダルいとしかおもってませんでしたけど・・・

「稚貝作業船に連絡します。Bグループ1回目作業を開始して下さい。」

画像9

うつ病誘発放送が船内になりひびき仕事が始まる。同じことの繰り返しで初日から累計6~10セット目の作業をこなす中で、初日よりは段取りを覚えて最初よりは体感倍くらい早く1日が過ぎた。1回目、2回目あたりは先が長くてしんどいけど終わりが見える4回目あたりからは気持ちが楽になる。

ゆうても作業自体は単純作業なので覚えてしまえばそこまで苦はない。気温的にこの日は雲一つなく波も穏やかだったのもあるかも。作業中に横目でみた日の出はすごい色だった。写真はない。

船が港に着く時と港から出る時に岸と船の間にある緩衝材的なやつを引き上げて漁師結びもどきをする仕事を2日目にして覚えた。

なんか結び方が単純なんだけどよくわからなくて成功率75%くらいだった。こうしてこうしてこう!なんだけどな。

ちなみに太陽が出てしばらくしたときに、乗組員が全員

「あっちーべなぁー!!!!」

とかいいだして、きっと遺伝子とか細胞構造が違うんだなと悟った。この日の最高気温くらいが個人的には適温かなんならちょっと寒いくらいだった。みんな仕事が早い時間に終わるからという理由で早番が好きらしいけど、個人的には気温が1℃でも高いほうがどう考えてもありがたいので遅番がいいと思ってた。その点に関しては分かり合えません←オイ

この日も無事にけがも事故もなく乗り切り、2日目で飛ばなかったことにより乗組員の方々とも打ち解け始めつつあった。

たぶんこの環境の仕事ならある程度バイトが飛ぶことも視野に入れつつ仕事をしないといけないと思うし、新人であれば特に親方たちもその不安や心配もあって初日は緊張があったのかもしれない。

こういう仕事ならではなのかもしれないけど仕事期間中に身内に不幸があったりするらしいやないすか。てか

画像8

この期間中に実は親父がリアル入院して飛ぶ口実としては十分でしたが、絶妙に帰省しなくても大丈夫そうな状況だったのが悔やまれます。

そもそもお客さんを接客するような仕事ではないので不愛想な対応はあるものの決して嫌われているからそんな感じなわけではない。
野良の打ち子に金を抜かれて飛ばれる経験も自身あるので、そのあたりの心労は理解しているつもり。まぁいきなり他所からくる無職を一緒に船に乗せるのもまぁまぁストレスやろなーとは思う。

2日目は、親方たちの中でそういったやべーやつ対象のフィルターは抜けれたのかもしれないと会話の中で思った。

初日よりしんどく感じなかったのはこの部分が非常に大きい。
実際この仕事は、肉体的なしんどさと同時に精神的なしんどさもなかなかにやばい。そしてこれは限界環境で仕事する中でも一緒に仕事する人たちとの関係性や雰囲気でかなり緩和されるものだと知った。

仕事は何をするかもやけど、誰とするかもかなり重要よね。上司ガチャで感嘆する社会人の気持ちは身をもって実感した。嫌な奴と一日何時間も一緒なのしんどすぎるもんな。
あと、自ら仕事しやすい関係性づくりみたいなのができるかできないかもこういう場所での立ち回りの一つかなと無職歴0年で知った。案外それは得意かも知らん。


仕事が終わって宿に戻った後にまたもや理不尽が襲ってきた。

働き出す前のふんわり説明で宿と飯は保証されているものと思ってましたが、この日は飯を自分で用意しなければ食うものがないらしいです。あんのぉ・・・

民泊オーナー「すいません。一人でやっとるもんで・・(うだうだ)」

空腹maxと疲労maxを天秤にかけた結果。勝ったのはかろうじて空腹でした。まぁさすがになにかは食わなきゃと思い、最寄りの食糧が調達できる約10km先のコンビニに向かう。普通にこれもくそだるい。

もう何日か晩飯が出ない日もあるということで、とりあえずそこで日持ちする食料を用意しようと思い見慣れないセコマ商品のカップ麺を買い溜めしてきたる食糧難に備えることに。普段カップ麺とか食わないんだけどなぁ。

こんなに疲れた状態で自分で食事を用意しなければならないときなどに実家のありがたみを痛感するらしいですが、実家どころか昔住んでいたドンキの真ん前の賃貸にまで感謝するところまできたのが今日の感想。

おやすみ。明日こそは飛びます。


3,4日目。

相変わらず朝が来るたびにうつ病の限界くらいの心理状況から抜け出せずにいたのだけれど、ここでとある体調の変化に気付く。

画像10

仕事開始のその日から便通がない・・・

おそらく記憶している限りでは人生で初の出来事。
そもそも酒飲みだし年中下痢気味の自分からしたら便秘など無縁の話で、まぁ慣れない仕事でのストレスや生魚とか炭水化物メインの食事だったからかなぁ。食物繊維などがたぶん採れていない気はしていたんだけど、このことに気づいてしまってから船の上で便意ビビりながら過ごすことに。ぴえん。

乗っていた船内には、トイレ的な設備はなくおそらく港を出てしまってから便意に襲われてしまったらどうなるのかは想像に容易い。高速道路の渋滞で便意に襲われる以上に危険な状態かもしれない。

小は何度か海に向かって放っていたりなどしてまぁいけるのだけれど、落水のリスクや遮るものがない大海原で大のほうの用を足すのは、恐怖と恥ずかしさで新たな扉を開く可能性もあるのできればその状態は避けたかった。

船の上から大海原にぶっ放すのもネタ的には面白かったかもだけど、幸いにも4日目の仕事中も便意が来ることもなく、食ったものがどこに消えているのか疑問に思いながら、夜に硬式野球のボールとちょうど同じくらいの物が出てきてあなるが悲鳴を上げましたワラ。便秘ってこえーな。

トイレなんてこのご時世2分圏内にないほうが珍しいくらいの環境で生きてきたので便通が来ない恐怖は人生で初めて感じましたね。これもまた経験か。

仕事が終わってから倉庫に戻ると親方がおばぁちゃんにめちゃくちゃ吠えていた。何かをやらかしたのだろうか?ちょっとかわいそうだなと思ったが、後々わかったけどおばあちゃんは死ぬほど耳が遠いので基本的に会話がすげぇボリュームになって怒ってるように見えるけどそれがデフォなんだと知った。

おやすみ。明日は飛ぶかどうか起きてから考えよう



そして5日目が過ぎたころ。

同じことを20回以上繰り返すとまぁ不思議となれてくるもので、仕事が終わるたびに解放感と達成感で感動するという繰り返しでとある発見をした。

「別にこの仕事きつくなくね?」

です。草。

もともと体力ガイジな部分もあるかもわからんけど、気づいたこととしては運動強度的にはたいして強くはないんすわ。同じことを気温20度の陸の上でやってたとしたらこんなんで金もらっていいんですかくらいの神バイトだと思う。

全くやったことのない作業であったり極寒であったり波の上であったり早起きだりぃーであったりなんか変なうねうね虫が飛んでくるなぁであったり、諸々のオプションが加わるからしんどさがレベチになってくる。つまりしんどい部分全部北海道とかオホーツクが悪い←オイ

画像13

なんがオホーツクの恵みかて←オイ

あとは、初日は仕事が始まってから終わるまでの数時間緊張しっぱなしだったのもあるかもしれない。流れが分かってからは、ちょっと休める時間が分かってきて作業と休憩のメリハリが出てくる。

別に仕事きつくないな状態に入ってしまえば今まで感じていた懲役感はいっきに消えていった。むしろ楽しいまである。声出してえいさほいさ作業するまぁ部活みたいなもん。漁師ズハイってやつですか?知らんけど。

うん。まぁ折り返したくらいまで来たし、最後まで飛ばずになんとか行けそうやな。

おやすみ。


7日目。

漁師生活1週間経つ頃にはもはや片道1時間圏内くらいの場所を毎日しごおわ観光していて感覚的にはリゾートバイトと化しつつあった。

まぁ正直体力的にはきつくないといえばウソになるけど、仕事してカップ麺食って寝るだけの懲役生活よりは、息抜きや遊び要素や旨いご飯が混ざるだけではるかに毎日が楽しくなることは痛感した。生きがいは自らみつけるものっすね。

どれだけ急がしかったとしても人には遊びが必要なんだなと身をもって痛感。そもそも観光楽しむ場所がありすぎて困るくらいだし、飯は一生うまかった。北海道すげー!

おやすみ。明日はどこ行ってなにくうかなー。


仕事開始のその日から8連勤を達成し、月月火水木金金を地で達成してしまっていたために、自分だけでなく乗組員の人たちも疲労はそこそこ限界を迎えていた気はする。ある程度慣れてきたとは言いつつも、疲れは蓄積されていくもので・・・自分以外の乗組員の方々もまぁまぁ仕事をしんどそうにする場面もあったし、

親方「事故が怖いべなぁ」

みたいにぼやいてたのでそろそろ休みたいと感じていた。9日目の朝。

初出勤から数えて初めての休みが与えられることになった。海面は霧で真っ白やったけさすがに危ないわな。

前日もまぁまぁ霧がやばくて、師匠曰く視界が300あるかないかとか言ってた。300がなんなのかわからないけどデニール数的な話なのかなーとは思った。霧の中に船の上で回るパトランプが吸い込まれて消えていくのまぁまぁ綺麗だった気がする。

この日は早朝に出勤してから1時間以上待機してからのこれだったので欲を言えばもっと早く言えや!ですが、念願の休みがやってきたので宿に戻って爆睡をかました後に観光へと繰り出すのでした。この時発見したけど困ったらとりあえず道の駅巡りは面白いからおすすめ。北海道はこれで大体何とかなる。

おやすみ。いい息抜きになったな。



10日目、11日目。

この日は大学生のバイトの子の同級生が加わっていつもより1人多い人数で船に乗り込んだ。同級生の子も何年かここを経験しているらしく釣りの名人と呼ばれていた。道具から明らかにガチさが伝わる。

今は酪農の仕事をしているらしく、実に北海道らしいと思った。釣り具を持参して、仕事というかそれ以上に何やら気合十分で船に乗り込んでいた。

そして、基本的には口数が少ない初日から一緒に船に乗る大学生の彼ともこの頃くらいにはよく話すようになってた。めちゃくちゃにいい子。そしてめちゃくちゃさわやかでイケメン。少しサボテンダー(笑)に似てる。

このステータスなら主に嫉妬からくる感情でいけ好かないやつレッテルを張りそうな気がするけど、まったくそういうことがなく、北海道の大自然が育てた人間形成は恐ろしいなと感じた。尊敬すらしてしまうよね。

そんな彼についてすこし。
実家は関東で進学で北海道で一人暮らしをしているらしい。そして住む家が港から何個か隣の市のため、通勤に片道1時間以上かけて通っているとのこと。
さらに、漁師の後にダブルワークで別のバイトもこなす非常に働き者。このシーズンはハチャメチャにきついとは思うけどそんなことも表情に出すことなく勤勉だった。怠惰な無職とは対極に位置する存在。えらい。

そんな人種ともまずここに来なければめぐり合う世界戦はなかったと思う。体は細いのに俺よりずいぶんとパワーがあるし、たくましい頼りがいのある良き先輩乗組員だった。


余談ですが、

そもそも、この漁師バイトは地元の大学に求人を出しているらしく、そこからバイトに来る人は一定数はいるものの年々人は減っているらしい。
おそらく給料的な面では、コンビニなどに比べると倍くらいの収入にはなりそうなので体力のある貧乏学生からは人気が出てもおかしくない気はする。
がしかし、聞くところによると、今どきの大学生は昔に比べると親から十分な仕送りをもらっているためにバイトをする必要がない子が増えたとのこと。たぶんそんな状態でわざわざ過酷なバイトを選ばないだろうし、そうなっても飛ぶことも多いんだろうなというのも勝手に想像できた。

家族経営がメインの漁師サイドも、地元の大学生のバイトさんを確保できるのが一番コスパはいい気はするけどそこから十分に人手が確保できないとなるといよいよもってこんなところまで話が来るんだから、人手不足に関しては本当に深刻なんだと思う。現に今の船は自分含めて最低人数で仕事してるっぽいし。

そんな背景もあり、ここにバイトにきてしっかり働く子たちは本当に偉いなぁと思う。人によっては自分で学費や生活費を稼がなければならないような状況もあるだろうし、シンプルに人として強いと思った。汗水たらして働く彼らを見ていると、いくガチ?とかくだらないことばっか言ってるやつらもこれを少しは見習うべきなのではと感じた。知らんけど。

そんなこんなで経験者が一人増えた状態で仕事がはじまったわけやけ、どう考えてもこの人数で仕事するのが正しいということが証明された。
仕事の工程の進みが早いのと、一番負担のかかる師匠のポジションンがだいぶ軽減されそうな気がした。

ちな親方と師匠は年齢的にはうちの親父とそう変わらんくらいやと思う。そう考えると動けすぎて恐ろしいなと感じる反面、このままいくと10年後にはこの船は廃業すんじゃね?みたいな心配もある。周りを見てもそんな雰囲気のところは多いのかもしれない。知らんけど。

仕事の流れが速くなるとそもそもグループごとにある作業の開始時間まで余裕ができ休憩の時間が長くなり、そうすることで空いた時間に釣りを楽しむこともできる。この日はこれがメインまであった笑

画像14

自分は釣りは全然わからないけれど、こんな場所で釣りすることなんて確実に漁師特権の一部である。ふつうはできないので貴重なオプションの一つだと感じた。ちなみに5匹の釣果があったのを眺めていてまぁまぁ盛りがった。去年はまだまだいけてたらしい。会話のやり取りをわからないながらも聞いていたけど釣りやっぱり奥が深そうだなぁ。

海面に浮かぶなにかはわからないんクラゲがいてすげー鮮やかに光るんすすわあれ。シチュエーション込みでエモいねあれ。はやくクラゲになりたい。

こんな感じでこの日はもっと体感かなり早く仕事が終わった。え?もう終わたんですか?くらい。観光も一通りは終わって一息つきたいくらいでもあったし、とはいえ暇だったのでしごおわ後の残業までお付き合いすることにした。

仕事余裕♪とか思ってた矢先に顔面にウジ虫群を食らったりなどしたのでやっぱり過酷だったわ・・・

おやすみ。


12日目の翌日。

朝の出勤前にラインがなり、今日は風が強くて仕事は中止とのこと。3日前に中休みがあって、人数の多い仕事で楽だったのでたいして疲れているわけではなかったものの、せっかくの休みということで観光へ。

というか観光も車で1時間圏内の大まかなところは見て回っていたので遠出をしないとエリア的に2周目に突入することになる。

そんでこの日の昼間にはツイキャスをしていた。暇を持て余してしまったらしいけど、これくらい暇になるなら仕事でもよかったなぁとは思った。


ん?

てか、、初めに来るときは10日くらいで終わると聞いていてもう10日出勤していますが、前日にはまだ結構終わらんと言われてたけどこれいつ終わるんですか?

これは当然いうべきではない話でちょっと愚痴にはなってしまうのだけれど。

この漁師のお仕事は休みの日は当然ながら日当が出ない。おまけに仕事の日の日当も自分の無職稼業のパフォーマンスより余裕で低いのでここでの期間が長引けば長引くほどに金がなくなっていくのと同義だったのでそれがまぁまぁな苛ポイントの一つだった。なんでこんな罰ゲームに自ら志願していったのかいまだによくわからんw

まぁこれは自分にめちゃくちゃ当てはまるのだけれど、人間暇だとろくなこと考えないわな。そんなことを思えるようになったのも、仕事を乗り切るので精いっぱいだったのが、いつの間にかそれも慣れてしまってもはや飽きてしまったし、想定していたよりも長くなってしまったのも原因だとは思う。

天候や生き物を相手にする仕事に理不尽はつきものだなぁと思った。まぁある程度赤字になっても経験への投資だと思うつもりで来てはいるんだけどね。


そんでもって。

そこから天気の崩れで4連休になる。これがマジで一番しんどかったまである。そもそもシフトやら連休という概念ではなく、今日は休みです×4で結果的に4連休になった。
どういうことかというと、

「今日(明日)は中止です。」

という連絡が朝の3時だったりお昼の15時だったりに来るので基本的には次の日の仕事に備えつつ過ごさなければならない。だから宿泊前提の遠出や飲み歩きなんかにも出れなかった。一人で行っていたので孤独だったし、運転もずっと一人だったのでだんだん苦痛になってくる。2年前に北海道1周したときは2人だったのでそれがめちゃくちゃ楽しかったなぁとか思ったり。

何もすることがないのに時間と場所に縛られたのが個人的には今まで経験したことのないレベルのストレスでした。止まってると死ぬマグロみたいな生き方してるのでほんまに大変息苦しゅうございましたね。

このしんどさがわかるか?😁

まぁこういう経験したからこそかもわかりませんが、今まで過ごしていた自由に使えてどこでも行ける時間ってめちゃくちゃ貴重なんだなって思いましたね。ええ。


この結果的に連休になった1日のうちに前日に休みが分かった時に、いつもなら寝る夕方から片道1時間半くらいかけてパチンコ屋に行きネカフェに泊まるという無職ムーブを1日かましました。これが死ぬほど面白かったです。忘れてたけど、たまにこんな生活するくらいが当たり前に幸せやないすかワラ

全然疲れてないので酒飲んでおやすみ。


16日目。

無職の価値を改めて痛感したのちにまた仕事は始まります。

連休後にはギリギリ漁に出れる天候が続いてまぁとにかく寒さに耐える時間とこれいつ終わってくれるんだという気持ちと裏腹に、
めちゃくちゃ真面目に残業までこなす日々が何日か続きストレスと理不尽に耐える力と働く尊さを感じてきました。

しごおわ後に民泊の風呂に行くとだいたい誰かしらがいて基本的にはみんな漁師なのでそこでもいろいろ情報共有するようになっていてその時間もまぁまぁ楽しかった。自分以外にも10人くらいの遠征勢(てかみんな道民)がいてみんな終わりが見えていて最初に比べると表情が明るい。

「うちは明日で終わりだわー!」
「やっと帰れるー!」

みたいな感じで、やっぱりそれを聞くとめちゃくちゃ羨ましいと思った。まぁなんだかんだで正直やっぱ帰りたくはなってるよね。

第三者から聞いた話、

「今回のデメンはよく働くわー」

的なことを親方が言っていたようで、あ、これ俺のことね。これが実にうれしみ。正しい評価だと思います←オイ

もう6月にも入っていて、家に帰って布団の中で明日の狙い台を考える日々を過ごしている予定が、明日は何が仕掛けの網にかかってるかを予想しながら寝落ちする自分がいましたね。

おやすみ。あー、家に届いた車税が延滞金になっちまうなぁ。


18日目。

しごおわ残業がデフォになっていて、自分の乗る船の仕事がないときには自分の乗る船以外でも残業するくらいに働いてしまう体になっていたんだけれど、

仕事が終わって飯をもらいつつ談笑している中で、心霊的な話になっていき・・・

「000(泊ってる民泊)、あそこはなぁ心霊スポットでな・・」
「風呂場が特にやばい・・・」

土地柄なのか地元民だから知っているのかわからないけど、そういう場所が多いらしい。というか泊ってる場所がやばいとかやめてよwww

霊感なんかないんだけれど、なぜかその日は宿に戻った時間が遅かったのにコンビニ行ったり洗濯したりしてしまい日が落ちてから周りの人が寝静まった後に風呂に入るという暴挙に出てしまう。

画像15

怖い映画を見た後とかってシャンプーするの怖いやないすか?わかるかな。
もうめっちゃそれ。しかも人がいるはずのない女子風呂のほうから音がし始めて死ぬほど怖かったから秒で風呂あがったわ。
次の日にわかったんだけど民泊のオーナーがメンテナンス的な感じで女子風呂に入るようでちょうどそのタイミングだったらしい。怖かったなぁあれ。

おやすみ。


20日目。

何周回って仕事するのが逆に気持ちよくなるくらいのタイミングで

わいの漁師バイトは唐突に終了。
本来は次の日も漁があったらしいんやけど、他の人員の確保の目途が立っていたり天候が崩れる可能性があるので自分の仕事はここで終わることになりました。帰りたいオーラがばれてたのかもなw

宿にチェックアウトを伝えたのちに親方に挨拶。そして給料を手渡しで頂いてから流れるように港をフェードアウトしました。

こうして長いような短いような自分の漁師としての期間は終了。お疲れさまでした。いやー、、、長すぎワロタw

ファーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!
終わったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!
おつかれび!



結構長くなってしまいましたが、やってみた全容としては大体こんな感じです。こんなものでは語り足りないくらいの経験はしてきた気はするけどこれ以上は書く気がしないので←オイ おわりです。

お読みいただきありがとうございました。





あ、もう少しお付き合いください。まとめトピックをもう何個か。

漁師バイトでつらかったことと課題

漁師とは理不尽に耐える仕事です(違う

ということで自分が特に感じた理不尽3選をまとめます。
これもあえて書く必要はないのですが、きっとこれを読んだだれかの来年以降に活きるだろうと思ってここに書き記します。主に漁師サイドに対して自分が思ったことと言い換えてもいいかもわかりません。


まずはこれ

・出勤3日前の呼び出し

このツイートに多少の脚色はあるものの、出勤する3日前に顔合わせという理由で港に呼び出されました。というか言い方的にこの日から仕事が始まると思ってました。が、仕事着の支給と連絡先の交換でこの日は終了。

そして用意してもらった宿のチェックインは2日後でした。

え????


今でもこれは思うんですけど、この顔合わせって前日でよくないですか?
何か準備的な段取り的なものがあるのかとは思うけど、ここで飛ぶメーターが一気に振り切りそうになりました。相手が無職とはいえ時間は有限です。

まぁ、おかげさま?でなかったはずの飲み会の延長戦ができましたが、それすらなければ俺はいったいどんな気持ちでこの2日過ごせばよかったのでしょうか?

一応近く(ゆうても片道1時間ちょい)に知り合いがいたりでぎりなんとかなりましたけど、できることなら無駄になる時間はなしでお願いしたいところです。かろうじて無職だったから耐えましたが、それでも2日あれば結構いろんなことができます・・・

まぁ個人的に漁師サイドに異議申し立てしたい主な部分はそれくらいであとは致し方なしな部分であったり提案であったりする部分が主です。



次。

・休みの間隔

もはやこれは天候に依存するのでどうすることもできないのですが、仕事が始まって8連勤であったり、10日間で終わると思っていたものが結果ふたを開けてみれば20日だったのは笑えなかったです。

今年は特に長い年だったらしく、理由としては主に2つ

水揚げできる量は重さで制限されていて、既定の重さを超えると罰金があるのに対してホタテの個体が大きかったのであらかじめ仕掛けられた網を上げきるのに日数が多くなってしまった。
直近で起きた沈没船問題で安全操業に関して特に気を使っていたせいか休みが多くなった。という感じだったかと多います。

一応ほぼ同じ作業?の別の港では1週間早く漁を終えていたり、乗っていた船自体が港の中では最後のほうまで仕事していたらしく、自分たちより2,3日早く漁が終わる船もあったみたいでそういうのも含めてヒキヨワかましていたのかも知れません。

正直かなりこの点に関しては我慢が必要でした。なのでどうにか天気を操れる能力とホタテの成長を操れる能力を身につけてから来年は挑みたいところとは思いました。

まぁこれはちょっとハードルが高そうなのでこういう案があります。


次項にて。

・人員数

これに関して自分がどうこう言える立場ではないのは億も承知なのですが、しんどい反面、なんだかんだで魅力も多い仕事だと思うので、もっとそこをアピールしつつもう少し求人に力を入れるのはどうでしょうか?

人手不足は嘆くだけでは改善されないと思います。船の上での仕事ではめちゃくちゃ逞しいと思っていましたが、こういう点に関してはちょっと疎すぎるのでは?と感じたのも事実です。まぁでも職人さんとかって基本はそんなかんじよね。

ぶっちゃけ自分自身は正直出稼ぎという感覚ではなく、学びや経験を目的としてここにきたつもりなので、日当半分で人が倍いるだとか日数が半分で済むだとかのほうが圧倒的に働きやすく感じた気がします。

まぁ一口に求人に力を入れるといっても、漁師サイドが負担する広告や人件費、教育などの心配はあるかとおもいます。
幸いにも自分の周りには、1年のうちにたったの数日くらいは世のため人のために働きたいと勘違いして北海道までくるような無職が少なくとも200人はいます。

採算度外視で本気でうまいガチ海鮮を食ってみたい奴は進んで船に乗ると思うし、稼働だりぃとか言ってる贅沢な悩みマンも当たり前に船行きだし、毎日昼過ぎまで寝てる自堕落も然り、ダイエットしてる風の大食い野郎も失敗したら船に乗せるし、俺にサイコロで負けたやつも当たり前に船に乗せます。あれ?200人じゃ足りないかもな・・・

まぁうまいことやればきっと人手不足で頭を抱えなくて済むような状況を作ることができるでしょう。ちなみにうちの母親の旧姓は行船(種子島産)なのでこの行動はただの血筋です。

まぁあとは研修期間などもなくいきなりスタートするので、ある程度経験者の指導なり説明なりマニュアル化なりをしてしまったほうが飛び率はぐっと下がって働きやすさは上がると思います。知らない固有名詞となんとなくの指示語で仕事するの難しすぎワロタなので体力ガイジとプライド芋虫じゃないときついです。

何するかわからない時と親しいと感じれる人がいない時が一番きつかったまであるので、それをケアできる人間がもう少しいればまぁまぁ安泰なんやないすかね?あくまで個人的な意見ですが。

これらの点に関しては今回の経験含めてお互いがより良い形で落ち着くような提案ができる気もするので、ちょっと個人的な課題として考えておきます。これが人材派遣PMJの興りかもわかりません。報酬は海産物で大丈夫ですワラ


この課題もおおむね解決案ができたところでメリット的な話もしておきましょう。


漁師バイトを通してをして得られたもの

少し愚痴っぽいっ部分を書いてしまいましたが、ここからは声を大にして大いにみんなに伝えたい部分になります。経験を買いに来たという名目もあってか日当やら多少の理不尽は目を瞑れるレベルのたくさんのオプションがありましたのでその一部を紹介します。

・飯が一生うまい

先ずはこれに尽きます。空腹は最大のスパイスとはよく言ったものですが、毎食毎食まさにその通りとしか思えないくらいのうまさでした。

仕事して体を動かすと自然に腹が減ってくるんですよ。その状態であれば日常であればあまり感じないうま味まで感じ取れてしまうようになりました。舌が肥えるというよりうまさを感じ取る能力が高まるという感じ。

そんでもってデフォルトで提供される飯がそもそもうまいのでどういうことが起こるかというと、めちゃくちゃ幸福度が高まります。今までがいかに空腹を満たすだけの食事だったのかがわかる。

うまい飯をうまく感じれる状態で食うのにはまりそうなので、特に空腹じゃない時にもせっかく来たとかいう理由で惰性で食ってた観光の時の蛇足飯はもうやらんでええわとか思いましたね。

加えて

これが最高の漁師オプションといっても過言ではないのですが、鮮度が命とされる海鮮で通常経験することのない水揚げ2秒後に食う食材の旨さたるや・・・その辺のメシイキリ勢では到底わからん領域やと思います。自ら食うもん狩りに行く的なトリコ的な感じですかね。

漁師の人たちは生の海鮮をあまり他所で食わないらしく、理由はおいしくないから。加工される過程で味が落ちやすい生ものは当たり前にこういう食事をしすぎて舌が肥えてしまってる人からするとそりゃ食えたもんじゃないでしょうね。お金出してわざわざ普段よりまずい飯を食うストレスはわかるのでこれはめちゃくちゃ理解できます。外食を一緒にした時も自分は海鮮系のお店のおすすめ的なのを食べましたが、漁師の人たちはラーメン食ってました。

これもハチャメチャにすごい特権ですよね。親方裁量でしこたま稚貝を頂きました。いったん無職を飼っている自宅に送ってから実家とおばあちゃんに贈りましたが、かなり喜んでくれました。まだ冷凍庫で余らせてるのでそのうち盛大にするパーティーでもやりましょう。

このほかにもやきそば弁当の大量ストックだったり、水産加工品など諸々。とにかく良くしてもらったなぁという印象です。なんやカンやみんないい人ですよ👨🏽‍🦱

また、今回の経験を通して食に関する興味が非常に沸きあがってしまいました。金で解決できない食材の味を知ってしまったのと、その手の技術介入や知識介入も多く身につけたため非常に価値を感じました。

今後こういった経験はもっとしていきたいと思うようになりましたのでいよいよ次は、牛を育てるか野菜を育てるかそういった職業も経験してみたいと考えています。草。


・自己肯定感が高まる

画像16

冒頭でも少し触れまして、ここに関してはまぁ人それぞれ意見はあるかと思いますが寝て起きてパチンコ屋に行くような生活を繰り返してるとか当たりまえに病気なんすわ。誰にも迷惑かけてないとはいえ世の中から非難されて当然とは思います。

堂々と胸張って無職やってまーす!と言い張れるような人間は別に何とも思わないよトータル収支・・みたいな考えでいいとは思いますが、たいていはそうじゃないんじゃないですかね。俺はここにきて年収同期TOPのサラリーマンに負けましたしね。プライドいもむしで朝よく起きれなかったです。無職病怖い。

自身も数年間は自分の自由度と働かなきゃ的なプレッシャーとの狭間でいまいち中途半端で振り切れない部分をストレスに感じていました。さすがに社会に出て何か仕事するのには遅すぎるところまでは来てしまったかもしれませんが、今回の経験を経てまぁ多分どこ行っても何やってもやってけるなーという謎の自信が生まれてしまいました。もし履歴書を書くことがあれば00卒の後に漁師と書くことになりそうです。

なんつーかここまで読んでくれた方には少し伝わるかもなんすけど、すげー理不尽を食らった気はするけどそれら全部乗り切ってのやり切った感てすごいんすよね。
言葉でこれをうまく表現するのがなんとも難しいのですが、帰り道にキャスやってるときに

「声が過去一調子よさそう」
「大人になったな」

などの言葉をもらったんできっとそういうことだと思います。

生活水準的に今回の漁師生活は裕福かといわれると全然そうは思いません。むしろ自分の無職生活のほうがよっぽど生活水準としては高いと感じました。もしかしたらこの辺りは倹約家が多いのかもしれませんが、現状見た限りでは景気のいい雰囲気は感じませんでした。むしろ自然との闘いだったり燃料や機材などの高騰などでしんどいと感じる場面がありそうとまで思います。

でもなんかめちゃくちゃみんな松崎しげるでみんな笑顔なんすよね。これ自体は自分で経験したのでわかりますが、朝日を浴びて体を動かしてうまい飯食って風呂に入り談笑や観光などもありつつ、つかれた状態でしっかり寝る。これを繰り返すことで体調も心理状態も劇的に改善します。この状態はかなり頭も体も理想に近い状態なのではないかと思います。

画像18

仕事をするということのめんどくささと大切さを学べた期間でもあり、やっぱり生きるのにこういう経験は定期的にしておきたいなというのが今の心境です。今は1日30時間くらいでも仕事できる気はしてます。

というわけで俺にギリギリ飛ばないくらいの難易度の限界仕事を紹介してください。今回みたいな形でレポートして体験の共有をし無職の就職活動?を支援できる形で社会貢献しようと思います😁✊

働くの怖くないよ。

実は今も無職期間は長く作らないための仕事ストックは何個か持ってますのでそのうち出てくるかもわかりません。


漁師バイトの給料は?

今回の漁師バイトの自分の給料は漁1回につき3000円でそれが天気が良ければ5回あるので日当15000円という条件でした。

それに加えて宿と食事は実質漁師サイドの負担だったので一般的な誰でもできる系の仕事の中ではおそらく高い給与水準だとは思われます。

自身のもらった給料は20万ぽっきりでした。内訳としては漁65回?(ちょっと曖昧ですが)+残業代という感じだったと思います。

拘束時間は3週間、天候の不具合がなければ13日、これが高いのか安いのかは人それぞれかなと思いますが、個人的には安かったけどお金以上の経験にはなったなと感じています。

ちなみにカーフェリーで車持って行ったり、道中の寄り道だったり、観光だったりでお金は使っていたのでこの期間でのキャッシュフローはまぁまぁしっかり赤字です(笑)
当然ながらふつうはこれに固定費も給料から賄うものと思われるので20万くらいは金が減ってそう・・・めっちゃ働いたのに🥹
サポートもらわないと間に合いません。どうか投げ銭よろしくお願いします←オイ

そもそも交通費、ガソリン代で15万くらい行ってるんだもの。
それを考えると道外の人間が自己負担で出稼ぎに来るのはあまり現実的ではない気がしますが、このへんはまだ改善の余地がありそうなので最低限金が残るような形で経費削減できるように善処します。そうしないと持たないしね。

漁師にちょっとでも興味ある方へ

最後にちょっとしたお知らせで、多分なんですが来年も人手不足であくせくしてる漁師たちの姿がすでに思い浮かぶんですよね。

なのでもうここで勝手に募集しておきます。

毎年5月15日がこのエリアの稚貝漁の解禁日らしいので基本的にはそこに合わせて集合するような形になり、基本的には10日(笑)程度の期間がハイシーズンで人手不足になる模様です。

明確に求人人数や日当の条件などは詰めていかないとわかりませんが、自分としては働く現場の人たちの人手不足問題の一助となり、働くことをあきらめた無職などの社会復帰をサポート(笑)することができればと思っています。
必要な能力は最低学歴小卒程度の知能と健康な体とある理不尽に耐えられる耐性のある方という感じでしょうか。

自分が提供できるオプションとしては、仕事期間内に働きやすくなるような諸々のサポートや周辺の観光案内、ワイの家(千葉県)での庭BBQ無料招待くらいです。

まぁ楽しく仕事できる人がいればええなぁと思ってますんで、ちょっと行ってみたいレベルの人でも最悪と飛べば何の問題もないので←オイ お気軽に自分のtwitterアカウントのほうまでDM頂ければ対応します。

なぁお前ら、俺と一緒に漁師をやってみないか。

画像17


今回かかわっていただいたみなさま本当に貴重な体験をありがとうございました。

というわけで今回の記事は以上となります。面白かったらチャンネル登録、高評価、フォロー、サポート等もよろしくお願いします。


長くはなってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?