珠洲トライアスロンで「再会」した夏

2010珠洲トライアスロン第21回大会で初ミドル(Aタイプ)完走しました。「初めて」は一度しか体験できないことなので、その時何を感じたのかを書いておくことにしました。

珠洲の記憶

珠洲の海にいくのは30年ぶりだ。小学生の頃、親戚の家がある珠洲と、おばあちゃんの家がある輪島へ夏休みのたびに遊びにきていたのだ。
毎日毎日、1日中海で遊んだ。袖ヶ浜、曽々木、馬緤(まつなぎ)の海へ親戚のおじちゃんやおばちゃんに連れていってもらった。
30年前だから、まだ珠洲トライアスロン大会は開催されていない頃、当時のぼくは能登半島の端の海で夏の間じゅう遊んでいたのだ。


トライアスロンを始めて4年目になる。いままでスプリント(25.75km)しか出たことがない公園トライアスリートだったのだが、ミドルの距離に挑戦したくなった。OD(オリンピックディスタンス(51.5km)を未経験で、いきなり100km越えるレースに出ることに決めたのはいいが不安で一杯だった。なにしろ、公園のプールでしか泳いだことがなかったのだから。
そこで、真っ先に候補にあげたのはこの珠洲トライアスロンだった。会場は少年の頃の泳いだ海だから、少しだけ不安が遠のいた。


実は、珠洲Bタイプにするか少し悩んだ。AとBでは参加料が3000円の差しかないのだ。3000円の差でほぼ倍の距離楽しめるのなら、やっぱりAタイプだなと、実力とは関係のないところで判断して参加を決めた。

トレーニング計画と実績

とにかく各パートの10倍の距離を練習しておこうと計画を立てた。これは初めてマラソンに挑戦して失敗した翌年、完走(歩かない)のために練習したのがやはり10倍(420km)だったのでそれにならった。


珠洲Aの距離ははスイム2.5km バイク100km ラン23kmなのでそれぞれ練習量は、スイム25km バイク1000km ラン230kmを最低でもこなすことと決めた。期間は4月〜8月の4ヶ月半。今考えるとなまぬるい練習計画だなぁと思う。実際には、こんなメニューでも結局(ラン以外)は達成できなかった自分だった。結果的には練習していないパートが成績を引きずっているのだ。

種目 Swim Bike Run
合計 19900 613 393
目標 25000 1010 230
達成率 80% 61% 171%


大会前日

13時から息子(小4)が出るジュニアの大会があるので少し早めだが、9時ちょうど会場に着く。受付にハガキを渡すと、大会中のID代わりとなるリストバンドをつけてもらう。リストバンドにはレースナンバーと名前、それと小型端末で読み取れるバーコードが印刷されている。大会終了までこのIDははずしてはならないのだ。当日はトランジットエリアへの入場にもチェックされる、リストバンドは、多摩テックのフリーパスチケットのようだ。多摩テックは昨年閉園してしまったが。


受付でもらったゼッケンのステッカーをバイクとメットに貼って車検を受ける。車検では空気圧、ブレーキをチェック。そして軽く車体を弾ませて異音がなければOK。車検の隣にはバイクメカニックのテントがあり簡単な整備をしてもらえる(500円〜)。タイヤを張り替える人、チェーンのさびをとる人などなど、ひっきりなしだ。


大会説明会は12時が最初で、計4回ある。
15時頃には、いたるところレースでつかうバイクであふれかえる。大会説明会は12時の初回を聞いた。武道館は剣道と柔道にわかれていて、選手たちは柔道の畳のうえで説明を聞いた。


説明会では、大谷峠ののぼり口が昨年から変わったこと、大会参加者が昨年にくらべて100名増だったこと、大谷峠を越えて国道に戻るときは一時停止&降車があること、ラケット道路では追い越し禁止区間があること、そして決して無理はしないこと、でもせっかくはるばる能登の端の珠洲まで来たのだから、精一杯ゴールはめざすこと。を説明していた。

ジュニアトライアスロン

息子(小4)もジュニアトライアスロンに参加した。対象は6,5,4年生のみ。スイム100mバイク9kmラン1.4kmで行われる。スイムは25mプールを4コースに区切って泳ぐ。10秒間隔で順にスタートするウェーブスタート方式だ。

息子はスイムが苦手だ。小学校に入る前にスイミングスクールに3年近く通ってはいたが、いっこうに泳ぎがうまくなる気配はなかった。幼稚園の生徒は必ず親の付き添いが必要だったので、手がまわらなくて辞めてしまった。

ゼッケンは69番。6年生から順にスタートしてくので4年生は最後になる。全員で79人のエントリーがある。呼ばれた5人づつプールにつかりスタートの笛を待つ。

スイム(ジュニアトライアスロン)
他の選手はみんな泳ぎが速い。息子は心配そうに、でも少し微笑みながら、「パパ」と何度も振り返って僕に手を振る。ひざ頭に指をさして目をつむるしぐさをした。息子は、ほんの10分前に転んでひざをすりむいてしまったのだ。明日の大会説明会に参加していたパパを探して駆け回っていたときに転んだようだ。擦り傷になったひざと手のひらには絆創膏を貼った。でも、汗で絆創膏の粘着はなくなり、プールのスタートを目前にして結局とれてしまった。


息子からくちゃくちゃの絆創膏を預かった。いよいよスタートだ。笛の合図で泳ぎだした。手足をバランスよくまわして進んでいく。なんだ、結構泳げるじゃないか。と思った。心配してたほど泳げないわけじゃないのだ。と思って見ていた。20メートルを過ぎたあたりでプファーっと勢いよく立ち上がった。息継ぎができなかったのだ。


それから残る75メートルは。3回かいてはプファーの連続。スイムの順位は16人中16位だったけど、最後までがんばった。
スイムを終えてバイクのあるトランジットエリアまでは飛ぶように走っていった。あとで聞くと、スイムで何人かに抜かれて、あとに続く選手は数人だったので、(ビリになりたくなくて)思い切りダッシュしたんだ。と言っていた。

バイク(ジュニアトライアスロン)
焦りながら、自分で着替えを済ませ、カゴつきの自転車でかっ飛ばしていった。あっというまに見えなくなった。あの飛ばし方では、9kmも漕いでいられないだろうと思ったけど、それはそれで勉強になるだろう。


子どものバイクもちゃんと車検がある。タイヤの空気圧やブレーキの効きをチェックしてもらい、OKがでれば合格シールを貼ってもらえる。息子のバイクは普段つかっている自転車なので、ドロヨケもついているしカゴもついている。方位磁石のアクセサリーもついている。


普段は道具にとやかくいわない息子だが、他のジュニアの選手が乗っているロードレーサーや、マウンテンバイクを見たあとに、今すぐ自分のバイクからカゴを取り外してくれと言ってきた。なんでボクのは普通の自転車なんだよ、恥ずかしい、もっとカッコイイ、もっと速そうな自転車がいいのに。と顔に書いてあった。今回は初めての大会だし、息子がもっと大きくなったら専用の自転車にしような。と言った。あまり納得してはいないようだがしかたない。
そんな自転車のカゴにスポーツドリンクを入れたボトルを積んで走り去っていった。


先にスタートしている、高学年の速い選手が次々にトランジットに帰ってきた。そのあとに続いて、高学年の普通の自転車の選手が帰ってくる、しだいに、帰ってくる選手の体格が小さくなってきた。そろそろ4年生かなと思って選手たちを見ていた。


息子は、出かけたときの半分くらいのスピードで、真っ赤な顔をして帰ってきた。あとで聞くと、ひとつ大きな坂道があって、そこを登るのがとにかく大変だったよ。と話してくれた。

ラン(ジュニアトライアスロン)
バイクからランへのトランジットは早い。バイクグローブを外すだけだ。勢いよくランのトラックコースに走りこんでいく。僕は大声で帽子はどうした?と声をかけた。息子はいらないとの返事。本当はトランジットで焦りすぎて帽子をかぶるのを忘れてしまったようだ。1.4kmは競技場を3週半するコース。1週ごとに色違いのたすきをもらい、3枚あつまったらゴールに向かうのだ。


息子は真っ赤な顔をして走っていく。歩く気配はない。がんばれーと声をかけると、応援に応えようと手を振ってくれる。決して速いわけじゃないけれど、がんばって走っていく姿をみているとジーンとしてくる。トラックにはエイドステーションがちゃんと設けられていて、水、スポーツドリンク、バナナなどが用意されている。


エイドでは何も飲まずに周回を重ねていたいた息子だった。最終周回でスポーツドリンクをを一杯もらった。A.S.のボランティアの生徒の手から奪い取るようにもらっていた。


ゴールに向かう息子。僕もトラックわきからムービーをまわしながら同時にゴールへ向かう。なんだかわからないけど、息子のゴールを見ていて涙がじわぁと出てくる。息子はハァハァと荒い息遣いで完走メダルをもらい、大きなタオルをかけてもらう。息が止まるかと思ったよ、といいながら息子の目にも涙がじんわり浮かんでいた。

表彰式(ジュニアトライアスロン)
表彰式。各学年3位までの表彰されている。表彰されてトロフィーをもらっている選手たち。息子は完走メダルを手にをうらやましそうに見ている。自分もトロフィーがほしかったなぁと、ぼそっと言う。練習もせずにトロフィーをもらってもうれしくないだろ、完走したことに意味があるんだよ。と僕は言った。


来年もこの大会に出るか?と聞くと半分えぇーといった表情を見せた。来年は妹は4年生。息子は5年生で出る。おまえは今回出たのだから、妹にどんな感じだったか教えてあげるんだよ。と話した。すると、よしわかったと言う息子。スイムの練習、特に息継ぎの練習が要るなと思った。
あと、余計なパーツがついていないバイクか。

カーボパーティー

珠洲の太鼓でパーティーがはじまった。地元メンバー男女がステージで自己紹介する。はっぴを脱ぐと体にはナンバーが書いてある。明日出場する選手でもあるのだ。


パーティーでは、サザエの蒸し焼きが山盛りになっていた。バナナ、から揚げ、ドーナツ、豆腐、水、サザエ、などとにかくほおばる。あっとう間にテーブル上の食材が消え去る。選手たちの胃袋に溜め込まれる。イナゴの大群が過ぎ去ったかのようだ。


バナナをもらおうと丸テーブルに向かう。ふと選手と目線が合った。高校の同級生によく似ている。世の中には、知り合いによく似た人間がいるもんだな。と思った。実は、大会当日にもう一度会って、本当に高校の友達だったことがわかる。大学時代はアルペンスキー、今はトライアスロンをやっている、なんだか似たようなことばかりやっているなぁと笑いあった。


カーボパーティーではTwitter上で知り合った選手と会うことができた。なんだか不思議な感覚。不思議なつながり。

カーボパーティーをあとにし、馬緤の親戚の家に帰宅して、そうめんやゴハンを食べる。明日は4時起床。20時30分には寝た。

大会当日の朝

朝5時。スタート会場の鉢ヶ崎公園に到着した。少しひんやりした空気だ。今日だけでも猛暑が緩んでくれればいいのだが(結局34℃の猛暑だった)芝生の上に霧がかかっている。会場そばの駐車場にクルマをとめる。積んであったバイクを下ろして準備している選手がかなりいる。驚いたのは、クルマの脇にテントを張ってそのまま寝泊りしている選手もちらほら居たことだ。前日がテント泊だなんて、本当にすごい体力の人たちだなぁと思った。


5時半。当日受付開始。
腕と足にゼッケンナンバーを書いてもらう。肩にマジックで書いてもらった。そうだバイクは半そでだったのでこのままでは見えないな。と思ったがそのままにしておいた。
バイクラックで見かけた選手はスタンプで押したようなナンバーを腕にしていた。たぶん自分で体にナンバリング(スタンプ?)するための道具を持っているのだろうなと思った。


バイクをラックにかけ、バイク、ランの道具を周辺において、スイムの準備にとりかかる。ワセリンを体にぬる。素手ではベトベトになるので、ビニール袋を手にかぶせて塗るのだと兄に教えてもらった。
iPhoneをクルマに置いていくのを忘れた。詰め込んで邪魔にならないようにバイクわきに置いておいた。

スイム

兄と会話しながらスタートを待つ。ぼぉーっと立っていたら第1ウェーブのかたまりの中だった。自分は第4ウェーブ7:15スタートなので後ろに下がる。
スタートエリアとしてロープで仕切られている。親戚のおばちゃんや息子が応援に来ていないか確かめる。さすがに、朝早いので居ないかとおもっていた。「パパぁーーー」という息子の声。眠っていたけど、どうにか起きて、バイクコースではない馬緤峠を通ってたどりついたらしい。
スタート前に声援をもらえるなんて思っていなかったのでとてもうれしい。息子と一緒に写真を撮ってもらった。


実は、シロモトのウェットスーツを手に入れたのは8月上旬。クーラーの効いた部屋でひととおり着てみただけで、実際にウェットを着て泳ぐのは大会当日の今日がはじめてなのだ。


はじめの感想はまず、「すごい」。脱力しているとプッカリ海の上に木のように浮かんでいる感じがした。兄が、ウェットを着ればあとはぐるぐる腕をまわしていくだけ、と言っていたのを思い出す。


スイムコースは、浜から垂直に沖にむかって300m進む、そこから右に折れ、1kmほど海岸と平行して進み、Uターンする2.5kmの距離。スタート直後は浅いが、いったん深くなり、また浅くなる海底。


泳ぎだしの直後はパニック状態になる場合もあるから気をつけなよと兄がアドバイスをくれた。以前ウェットを着て締め付けられたのが息苦しく、しばらく平泳ぎしかできなかったことがあると言っていた。


いよいよ、スタート。第1ウェーブは7:00きっかり、150人の集団があっというまに沖まで到達している。第2、第3のウェーブもスタートし、残るは白いスイムキャップの第4ウェーブの我々だけ。

スタート
緊張感はない。兄に「では完走をめざそう」と声をかけた。号砲。TIMEXのスタートボタンを押してスタートを切った。


浅瀬が続き歩いていたが、そろそろ足がつかなくなたところで泳ぎだす。周囲にはまだ沢山の選手。少し進んではぶつかって水面から顔を出す。リズムにのれない。


300mの沖にある最初のブイを曲がるころ、人がまばらになってくる。ヘッドアップで前を確認しながら泳げないので、右手にコースロープを視界に入れながら泳ぐ。淡々と腕をまわす。何度か、コースロープに乗り上げたり、ぶつかったりした。後ろを泳ぐ選手の手が自分の足先をかすめる。


コースロープは見失いやすいので、自分と同じペースの人を目印に泳ぐ。勝手にペースメーカーにさせてもらった選手を右斜め前にずっと捕らえたまま泳ぐ。彼がコースを見失ったら自分も迷ってしまうが、それはしかたない。自分が決めたペースメーカーを見ながら、たんたんと、ひたすら腕を回す。


いつのまにかBタイプ(スイム1.5km)の折り返しを過ぎていた。スタートから見たときはAタイプ(スイム2.5km)までの折り返しははるか先。これからが長いなと感じる。珠洲の海は透明なので海底までよく見える。海の底では砂が舞っている。とても足が付かないところを泳いでいる自分がいる。ときおり、コースロープ?が海底に這っていて選手が迷わないようにしているようだ。


ようやくAタイプの折り返し。コースロープをくぐる。日差しが正面から向かってくるので水面が反射してよく見えない。折り返しでペースメーカーにしていた選手も見失ってしまった。再びペースメーカーになりそうな選手を探しながら泳ぐ。選手はまばら。コースロープ沿いに泳ぐ人をみつけて左ナナメ後ろにつく。淡々と淡々と泳ぐ。残り600メートルの表示。


練習で町田市民プールで泳いでいたことを思い出す。プールで泳いでいると進まないし泳ぎ終えた後はどっと全身が疲れるのだけど、ウェットを着て海で泳ぐ2500mとプールで泳ぐ2500mとは違うものだなと思う。


残り300mを切った。最初のブイを左に折れ、あとはまっすぐ浜辺へにたどりつくだけ。コース幅も狭くなっているので、選手の数が少し増えてみえる。


足をつき、歩いて上陸。疲れはさほど感じていない。スタートで手を振ってくれた息子がシャワーエリアで待っていてくれた。兄はさっき通り過ぎていったところだという。
時計を見ると1時間4分。1時間切るくらいかな?と想像していたけど、思ったより時間がかかっていたようだ。


エイドでスポーツドリンクを一杯飲んでトランジットエリアに向かった。


スイム: 1:04:24 518位

トランジット(スイム〜バイク)

トランジットエリアに着きバイクラックを見ると、かなりの自転車はすでに出発済みだった。混雑しているよりは着替えやすいけど、少し焦る。3分前に上がった兄がもうすぐバイクの出発みたいだ。


バイクにかけておいたタオルで頭を拭き体を拭く。ウェットのズボンを座って手で裏返しながら脱ぐ。ウェットはバイクラックにかけてバイクに出ればよかったかも。ボクは入れてきたビニール袋に入れて置いた。隣の袋には、iPhoneが入っていたままだ。忙しくてとても「トランジットなう」なんてツイートしている余裕はなかった。

着替え終え、バイクを押す。いよいよ100kmの始まりだ。

バイク1週目


バイクを出発して1キロほど進むとすぐにA.S.があった。スポーツドリンクを一杯のんで進む。昨日クルマでバイクコースを下見をしたのは大谷峠側の約1/3だけだ。これから通る道ははじめて通る部分。海岸を見ながら反時計周りにすすむ。


緩いのぼりが続く。大会要綱にのっていたバイクコースの高低グラフによると、大谷峠のほかに2つ小さなのぼりが書いてあったが、いま登っているのがはたしてそのミニ峠なのかはわからなかった。


1つめの峠を越えたあたりで、兄に追いついた。声をかけて前に出た。その後1度平坦な道で追いつかれたあと、のぼり坂で追い抜いたきりレース中に合うことは出来なかった。


ラケット道路をぬけ、気持ちいい下り坂の先で息子が待って(遊んで?)いるA.S.に到着。
氷水や、パンや、バナナをすすめてくる。僕は、勧められるままバナナをほおばる。自転車にまたがったまま息子と写真を撮る。さっきまでスイム会場にいたのによく半島の反対になる馬つなぎのA.S.にたどり着くものだと関心する。(おばちゃんありがとう!)


ジリジリと暑くなってきた。コンピュータを見ると時速27kmくらい。まずまずのペースかなと思う。そしていよいよ大谷峠の入り口。さっき息子がいたA.S.でほおばったバナナがエネルギーだ。1漕ぎ1漕ぎあがっていく。途中バイクを押して歩く人もいたが僕はどうにか足をつかずに進む。バイクコースは途中で大谷峠の旧道に入る。直前にあるA.S.に停車して再び補給だ。


旧道に入ると一段と坂がきつくなったように感じる。実際きついのだと思う。車は来ないので道幅全体をつかってなるべく斜度の低いラインを通る。次は頂上か?次か?と思いながらカーブを曲がるが、なかなか急坂が途絶えることはない。


目の前にチェックポイントが見えてきた。オフィシャルがゼッケンを読み上げている。ここがバイクコース上で一番スピードが落ちるポイントなのだろうなと思う。
「頂上はあと少しだよ、頑張れ」と声をかけてもらう。
そこから2つほどカーブを上るとようやく頂上についた。


下りだ。足はヘロヘロだけど、体全体に風をうけてきもちいい。旧道は道があまりよくないのでスピードを出すのが怖い。旧道がおわり国道に接続する。ここはバイク唯一の降車ポイントだ。いったんバイクを降りて押してころがす。降りる時によろけてしまいそうだった。


しばらく下り坂が続く。僕のバイクはDHバーがないので、ハンドルの下をつかみ、できるだけ低い姿勢で下る。あとでコンピュータをみると最高時速は62.8kmだった。ところどころアスファルトを縦に溝を切った部分があり怖い。ハンドルをしっかり握り締める。


大谷峠を気持ちよく下り終えたら、トランジットエリアにもどって2週目だな。という感覚でいた。実際は気持ちよい下りを終えたけど、そこから先10kmくらいまだコースが続いている。ほぼ平坦なコースだけど、くるくるペダルをまわさないと前に進まない。長い。まだかまだかとクルクルまわす。珠洲ビーチホテル手前で下り坂になる。気持ちいいけどペダルをまわす元気はない。


途中、2週目を終えるトップの選手に抜かれた。「もうすぐトップの選手が通過します」という放送をきいたあと、ペダルをくるくる回す僕の右脇をDHポジションのままの選手が通り抜ける。速いなぁ。来年も出れるなら、トップに抜かれずにバイクを終えることが目標の1つになるなと思った。


ようやく1週目が終わる。長い旅だ。

バイク2週目

トランジット近くのA.S.。1週目では軽く立ち寄っただけだったけど、2週目はしっかり補給する。どこを走っていても、明らかに1週目ほど元気がない。時速は20kmくらいか。踏み込む力がなくただただ回し続ける。


坂道が目の前に見える。有無を言わさず一番軽いペダルにあわせ、ひたすらくるくるまわす。背中に水をかけようとボトルを手にとる。すでに水ではなくぬるま湯になった水を背中にたらす。ボトルをゲージに戻そうとして手がすべり落としてしまった。上り坂で速度がなかったので立ち止まり拾い上げる。下り坂だったら捨てていっただろうなと思う。

クラッシュ!?
ゆるく続く下り坂を降りきるあたり。視界には先行するバイクが1台。前を行くバイクはスピードが緩くなってきた。このまま坂のスピードを利用して、一気に前の選手を追い抜こうと決めた。ペダルを少しだけ踏み込む。スピードが上がる。選手の右側には十分なスペースだ。対向車もない。


いよいよ追い抜こうというとき、先行するバイクがフラフラッと右側に寄ってくる。まずい、このままいけばクラッシュだ。体ごと投げ出されてひどいスリ傷だらけになって、初参加の珠洲大会も途中棄権で終えるのか!?と、一瞬あたまの中をよぎる。


とっさに前後輪をフルブレーキをかけた。ロックしたまま滑っていく後輪。なぜだかわからないけど、「ごめんなさーーーーーい!!!!」と大声を出していた。ギリギリぶつからずに止まったときには「大丈夫ですか!?」
と言っている僕。それは相手のセリフだろうに。声をかけられた相手の選手はなんだかわけがわからない感じでぽかんとしていた。どうやら、”トイレあります”の看板をみて、道路右にある小屋に止まろうとしたらしい。本当にぶつからなくて良かった。命拾いをした。

生きていることを感じる
珠洲の海岸線は美しい。下り坂では一段といい気分になる。右手に美しい海岸を眺めながら坂を一気に下り降りる。左手は山だ。まわりに選手はいない。一番重いギヤに切り替えまわす。ペダルは軽い。


「ひゃっほーーーーーーー」


こだまするくらい大声で叫ぶ。叫びながら坂を落ちるように下る。
なんだか生きている。この世に生まれてきて、こうして駆け抜けている喜びをからだ全体で感じる。生きているってすばらしいことだ。


叫んだあと、ほろほろを涙がでてくる。生んでくれた母。こんなに面倒くさい趣味を理解してくれている妻。エイドで待っていてくれた息子。レースを手伝ってくれているたくさんの人々。みんなのおかげで生きているんだなと思うとまた涙がでてくる。

エイドステーションの息子
大谷峠前のA.S.ここで腹ごしらえ。1週目に出迎えてくれた息子と再会だ。息子はいつのまにか上下水着に着替えている。僕が1週する2時間のあいだ、海で遊んでいたようだ。ころあいをみはからってエイドのお手伝い?に戻ったようだ。


「パパ、もうすごい待ったよ。」と笑いながら息子が言う。氷をもらって体を冷やす。エイドへの到着が遅かったのでもうバナナが残っていない。なにかお腹にためようと思っていたのに、こりゃまずいなと思った。バッグに残していたパワーバーのジェルを1つ飲みほして再出発した。


息子はホースから出る水を選手にかける手伝いをしていた。あとで聞いたのだが、「水、要りますかーー?」とでかい声で叫び、必要な選手には頭からジャブジャブかけていたようだ。ホースの出口を指で押さえ、高い水圧にして選手に浴びせるいたずら?もしていたようで、もし標的になった選手がおりましたらお詫びいたします。ごめんなさい。


大谷峠の入り口。前をいく選手が1人。彼も僕もゆっくり漕いでいる。ゆっくり漕ぐ体力しか残っていないのだ。彼は峠を前にボトルから水分を補給している。


早々に一番軽いギヤに変え、のぼり始める。1週目で経験した峠だけど、あとどれくらいあるのか、カーブの先の斜度はどうたったかなど、漠然とした記憶だけ。体は覚えているけど頭は覚えていない感じだった。


体を左右にふって登る。ダンシングするとあっという間にへたってしまうので、シッティングで登る。ひとこぎひごこぎ、ヘェ、ハァという自分の息づかいを聞きながら登る。ハンドルにしがみついて登る。なにがあっても、バイクから降りずに登っていった。


旧道に分岐するまえのA.S.にたどり着いた。やっぱりお腹を満たすものが足りない。一旦自転車をおりて、パワーバー1本まるごとムシャムシャと口に入れた。なかなか飲み込めない。氷水といっしょに飲む。頬がパンパンだけどムシャムシャ食べる。ついでにトイレに入って体を少し軽くする。再出発。


旧道を登る。1週目と同じ。続く坂。違うのはバイクを降りて歩いている選手の数だ。漕いで登っている人のほうが少ない。なんだかわかならいけど、僕はとにかくバイクを降りずに漕いで登っていった。このあとのランで使う体力なんて、もしかして残っていないかもしれない。と思った。もしかして、ランを走り出したらまったく動けなくて、そこでリタイアになっちゃうかも。でもそれはそれでいいや。もしリタイアになっても経験が足りなかったのだ。と思いながら、とにかくバイクを降りずに登った。


大谷峠を終え、気持ちい下り坂。漕いで行く元気はない。重力のまま下り落ちていく。そこからまた10kmの平地。あいかわらず長い。全然前に進まない。

足がつりそう
バイク残り3kmのところ。右足がつりそうになった。右足のフトモモの裏からからふくらはぎの裏まで、右足全体の裏側がつりそうだ。なにかのきっかけでピンと張り詰めたようになる。まずい。まだラン23kmが残っている。騙し騙し漕ぐ。力を入れて漕いだら一気につって収拾がつかなくなるような気がした。そっと騙し騙し漕いだ。


珠洲ビーチホテルにむかう最後の坂を惰性で下り、トランジットに着いた。

トランジット(バイク〜ラン)

ようやくバイクを終え、トランジットエリアに戻る。自分のバイクラックだけポツンと空いている。ああ、皆んなランに出かけてしまった後なのだと思う。


まわりで着替えている人は3、4人だ。そのうちの一人が係員にリタイアを告げている。どうやら第1ウェーブでスタートした人らしい。


その選手はバイクのタイムオーバーになってしまったのでランのスタートをあきらめたのだ。選手は係員にアンクルバンドを渡そうとしたところで、計時はどうするか尋ねられていた。計時はランのスタートゲートに設けられている。そこで計時しないと、バイクのタイムがどれくらいだったのか、リザルトに残らないのだ。タイムオーバーだとしても。


その選手は結局どうしたのか覚えていない。計時して終えたのかそのまま帰ったのか。そこでやっと自分にも時間がないことに気がついた。第一ウェーブがすでにタイムオーバーということは、その15分後にスタートを切った第四ウェーブの自分も残り時間がないということなのだ。


僕は係員に聞いた。「間に合いますか?」
係員「ええっと、第4ウェーブですね。あと10分です。」


どうにかランのスタートは切れそうだ。この時点でトランジットにいない兄はここでタイムオーバーだろう。残念だけど、いっしょに来た母に、あなたが生んだ息子たちは元気に育って、こうしてゴールできましたよと、そろって報告することはできなくなってしまった。


いつもの、ランニングパンツ、いつものランニングシャツを着て、いつもの帽子をかぶって走り出した。レース用に新しいものを使うよりも使いなれた道具をまとうと落ち着く。


バイクタイム 5:10:46
通過タイム 6:15:10


(リザルトを見てわかったのだが、この通過タイムは完走できた選手のうち最後の通過タイムだった。つまり、僕のあとにランに移った選手は誰も完走できなかったのだ。)

ラン(スタート〜見附島)

珠洲ビーチホテルのわきを抜ける。沿道にはすでにレースを終えた選手もいる。バイクの終盤つりそうだった右足も、走りだしたらなんともなくなった。バイクで使う筋肉と、ランで使う筋肉は違うのだなと思う。


青いゼッケンをつけたBにエントリした人も混じってランニングしている。Bの折り返し地点までは同じコースなのだ。


23kmはトレーニングで走った多摩境の道と同じ距離だ。トレーニングの時は2時間15分くらい。この炎天下で多少歩いたとしても、3時間あれば帰ってこれるだろうと考えていた。


走りだしは重かった足も、リズムをつかんでくるうちに軽くなってくる。A.S.でレモンをかじりバナナを食べてスポーツドリンクを飲み、氷水を頭からかぶる。帽子の中に氷を入れて走って見たがあまり効果かはなかった。


途中自宅のシャワーを沿道に伸ばして、水浴びさせてくれるお宅があったり。玄関先に椅子をならべて、選手に声援をおくってくれるお宅があったり。本当にありがたい。応援して元気にもらうたびにありがとうございますって、何度も言った。こちらは勝手にこんな炎天下に走ってヘロヘロになっているだけなのに、何の得にもならないのに、応援してくれるなんて、なんてありがたいんだ。と、思った。


A.S.までのこり200メートルという看板をみつけるとうれしくなる。A.S.は2kmおきに設営しているようだ。残り200メートルというのが絶妙で、とにかく次のA.S.まではがんばろうと思い立たせてくれる。いつのまにかA.S.につくたびに、「よぉーしついたぞぉ」とひとりごとを言っていた。


体温を冷やし出発する。体を冷そうとと調子にのってホースから出る水を頭からかぶっていたら、ランニングシューズもびっちょり濡れてしまった。シューズの中でたっぷり水分を吸い込んだ靴下が、着地するたびに、クチャっと音をたてる。指先もふやけてしまいそうだがこのままいくしかない。


Bコースの折り返しが見えた。ここまでが5kmだ。あと7km先の見附島まで行く。相変わらずスピードアップはできないが、A.S.で止まる以外は歩いていない。どうにかこのランを走り抜けたいと思っていた。


ラン(見附島〜ゴール)

同じペースを刻むランナーがすぐ目の前を走っている。スピードはないがこちらも抜く元気はない。毎回同じタイミングでA.S.に立ち寄っていた。見附島の折り返し、三角のコーンがあると思っていたら、公園をぐるりと時計回りに回って折り返すようになっている。


「折り返しまで遠かったですね、全然もうすぐじゃないしっ」とその選手会話をした。折り返しにあるA.S.に立ち寄る。元気のいい中学生がボランティアだった、ああ、その元気を分けてほしいと思った。スポーツドリンクをのみレモンをかじりバナナをつめこみ、ホースから出る水を浴び復路へ。あと少し。


制限時間が気になる。9時間30分だっけ?9時間40分だっけ?すでに腕時計は朝のスイムから7時間30分経過している。
交差点でランナーを見守ってくれている大会関係者に聞いてみる。


「制限時間って何時間でしたっけ?」
「たしか、午後4時xx分には解除だったはずですよ」と言う返事。


そうか、道路が何時まで監視するのかは知っているけど、ゴールまでの制限時間は知らないんだよな。少なくとも9時間前半を目指そう。と思った。どうにか歩かずに進んでいる。


往路で通った同じ道を戻る。左側通行だ。前方をみると最後の選手らしき人が見附島方面へ走っている。そのすぐ後ろにはオフィシャルカーが続く。少し遅ければあのクルマに回収されていたのかと思った。疲れたけど歩いている場合じゃない。


後ろを振り返ってみた、続く選手がいない。ポツンとただ1人。淡々と一歩一歩を刻む。反対車線にあった往路でお世話になったA.S.はもう畳まれてしまっていた。前方には、選手らしき影が3,4人確認できる。


Bの折り返しがあった三角コーンまで行けばあと5kmのはずだ。そこまでは歩かないぞと決めて走った。いつまでたっても青い三角コーンは現れなかった。A.S.で止まって残りの距離を聞くと3.5kmだという。すでに青い三角コーンは撤収されていたのだ。


ひざを包帯ぐるぐるにまいた選手をパスする。歩くしかないようだ。どうにかゴールまででたどり着いてほしい。


もう間に合わないな、という会話をA.S.の人と会話している選手。第1ウェーブでスタートした様子。スタート時の15分の差が効いて来るくらいの時間になってきてしまったのかとあらためて焦る。


残り2km。最後のA.S.に立ち寄る。経過時間はもうすぐ9時間丁度になろうというところ。マラソンでは残り2kmが永遠に続くような長さなんだよなと思う。もしロングだったら残り20kmもあるんだよなと思った。うらはらに足が止まった。間に合いそうだという気持ちが体を安心させてしまったのか。僕は歩道を歩き始めた。


500mくらいは歩いただろうか?距離も時間も覚えていない。残り1kmの看板で再び走り始める。前に選手が1人いる。


同じタイミングでゴールしないほうがよいよな。なんていらない心配をした。
ゼッケンベルトを確認しよく見えるように位置を調整した。


ようやくたどり着ける安心感でなんだかじわっと涙がこみ上げてくる。

ゴール

コースを左手に折れる。往路を走っているとき、ゴールはここを曲がるんだなと思って見ていた。前から、息子と兄がコースを逆に向かって歩いてくる。いつ帰ってくるかわからない僕をまっていてくれたのだ、息子は僕を見つけたあと、同伴ゴールするために再びゴールに向かって駆け出した。


ゴールは野球場。3塁側から入り外野の青々とした芝生の中を抜けゴールだ。
「帰ってきたぞぉ」と思わず口から出るセリフ。
息子と手を繋いでゴールテープを切る。ああもう走らなくてよいのだ。と思う。


完走ポロシャツ、タオルをうけとり、アンクルバンドを係員に外してもらう。
芝生に寝転ぶ。もう夕方だ。16時をまわっているけど日差しはまだ強い。青空と芝生を眺める。球場のスコアボードは珠洲トライアスロンの電光計時。


兄いわく、制限時間まで残り5分だったよ。ランを3時間で帰ってきたんだな。ナイスランだと言ってくれた。ええ?制限時間まで5分?のこり15分くらいあると思っていたのに。


大会要綱を見直すと制限時間は9時間20分だ。危なかった、気をゆるめて歩いていたら、完走はなかったかもしれない。


芝生で休んだあと、バイクを片付けにラックへ向かった。まばらに選手が野球場にたどり着く。制限時間はすでに越えている。無情にも選手から係員がアンクルバンドを外している。ゴールはさせてもらえるが計時はないのだ。ようやくここまでたどりついたのに、くやしいだろうなぁと思う。


トータル 9:13:45


S 1:04:24
B 5:10:46 (6:15:10)
R 2.58:35

終わって

少年の頃に遊んだ珠洲の記憶。大人になって走り回った珠洲トライアスロンの記憶。30年前も今も同じ海がここにはあるのだ。珠洲の海が僕のことをいつまでも待っていてくれたような気がした。


応援してくれた息子が当時遊びまわっていた自分に重なりあって見えた。
トライアスロンの魅力に再会し、自分自身に再会し、珠洲の海に再会した夏だった。


来年もまた会いにこよう。
この海と山と、そしてすばらしい人々に。


おわり


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