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人生を豊かにするものの正体

コロナは多くの人に大きな影響を与えた。私も大きな影響を受けた1人だ。

週5で出社して商談は全社訪問していた日常から、週5でリモートワーク、商談は全社オンラインになった時もあった。週5,6で昼夜外食していたのが、週1,2で昼だけ外食の週もあった。

それでも、いつも通り給与は貰えるし、仕事もなんだかんだ順調に進む。1日3食食べて健康に生きていける。

何か問題があるのだろうか。

世界に少しずつ日常が戻ってきている。少し遅れて日本も緊急事態宣言が明けて、街に人出が増えて活気と彩りが戻ってきた。そんな日が昇り始めた今だから、コロナで失っていた日常の豊かさに目を向けたい。



コロナで得たもの

本題の前にコロナは悪い面が多いが、良い面もあった。例えば、「リモートワーク」がその最たるものだと思う。

多くの人が満員電車を避けられるようになり、ストレスがなくなった。給与に換算されない通退勤の移動や出張・訪問の移動がなくなったり、時間ができた。他にも無駄な会議がなくなったり、本題だけ手短に話して雑談がなくなったりした。

その分、ある人はプライベートの時間が増えたのかもしれない。ある人はプライベートの時間は変わらないけど、仕事中の何も生み出さない時間が減り、生産性が爆増したのかもしれない。

良かった面をまとめると、コロナはリモートワークを加速させ、人々の「無駄」を減らし「時間」を増やした。


コロナで失ったもの

さあ、ここからが本題。

失ったものは何だろうか。人によって答えは違うはず。


私は「偶然」だと思う。


コロナ前には想定していない偶然の機会が日常に溢れていた。

・出社したら普段は合わない別の部の先輩がいて、挨拶がてら近況を会話することになった。

・クライアントに怒られた日の帰りに、テンションの低いことに気付いた上司が激励するために飲みに連れて行ってくれた。

・合コンに友達が急遽行けなくなって、代打で飛び入り参加したら一目惚れするくらい素敵な子と出会った。

みたいなことが。


(え、これそんな大事なこと!?と思った方も少なくないのでは。。(笑))

逆に、想像してみてほしい。必然だけで回るコロナの世の中を。


・出社がないから、もちろん別の部の先輩とは合わないし会話もしない。

・クライアントに怒られたけど、とりあえずMGRにエスカレして反省し対策だけ決めた。ちょっとテンションは低いけど、NETFLIXでも見て寝ることにした。

・そもそもコロナで合コンなんて開催しない。だから、友達が急遽行けなくなるなんてこともない。


どうだろう、日常に少し物足りなさを感じないだろうか。

何か失ってる気がしないだろうか。


私はもともと、必要最低限のコミュニケーションしか自分からは取ろうとしないし、会社の飲み会にも積極的には参加しない。それでもって自分の好きなように言動する。そんなタイプだった。先輩からしたら、生意気で扱いづらい代表的な若手である。(今も結構そんな感じ,,,(反省))

そう、当時の私は必然(=自分の考えられる範囲)だけで判断していた。でも、先輩は私のことを考えてくれて、私が普段絶対にしないであろうことをさせる機会を意図的に作ってくれていた。

例えば、絶対やりたくない飲み会の幹事とかを。

やってみると、何が目的で飲み会をやるんだろうとか、どうやったら皆が楽しくなるだろう、とかを考えて動くようになる。そういうのが仕事にも活かされて、お客さまにも喜んでもらえて、「あの時、幹事やらせて貰えて良かったな」とか後になって思う。

みたいな、偶然(=自分の想定外のこと)がどんな影響を与えていたのか、コロナで考えた。

ぼんやり分かったのは、自分にとって必然の機会(=自分の考えられる、想定できる出来事)だけでは何か物足りなく、偶然の機会(=自分の考えられない、想定していない出来事)が実は人生を豊かにしてたんじゃないかってこと。


さて、人生を豊かにするモノの正体を考えていくことにする。

先程の例だと次のような感情的な側面も大きいと思う。

・別の部の先輩に久々に会えて嬉しい。

・飲み会で上司と話せ、感情を整理できた。

(合コンの場合は人生が豊かになる要因が、一目惚れをするくらい素敵な子と巡り合ったこと以外で深ぼって考えづらいので、以後省略(笑))


一方で、感情面以外はどうだろう。

もしかしたら

・別の部の先輩が共有してくれた内容がちょうど自分のチームが抱えている問題を解くヒントになっていそうだったり。

・ここ最近は成長実感がなく、仕事に熱が入らなかったが、飲み会で上司と腹を割って話したことで、課題が鮮明になり頑張ろうと思えたり。


そう、偶然の機会は、新しい気付きのきっかけを与えてくれる。

私はこれが人生を豊かにするモノの正体なのではないかと思っている。



この現象を構造化して分かり易く伝えたい。

まず我々は誰しもが日々、「知っていること」を誰かに教えてあげたり、使ったりして、誰かの価値になっている。一方で「知らないこと」に直面し、出来るようになるために、努力していく。

自分が「知らないこと」を自覚し、「知っていること」(×使える状態)にすることが、いわゆる成長である。逆に言うと、成長するには、自分の「知らないこと」を自覚している必要がある。

着目したいのは「認識していない」×「知らないこと」である。

Note_3_説明図

自分の力だけでは「認識していない」×「知らないこと」の存在に気付けない。

私は「知らないこと」を「認識していない」から「認識している」にしてくれるのが「偶然」だと思っている。認識さえできれば、後は「知らないこと」を「知っていること」にする努力をするだけ。

今でこそインターネットが普及しているので、自分が課題を認識することさえできていれば、解決してくれる情報はどこにでもある。しかも、大体のことはできるようになりたいと思えれば、時間をかけずにできるようになる。

だから、その前段階の「認識していない」×「知らないこと」に気付けるかが重要なのである。それは、必然(=自分の考えてる範囲のこと)だけでは、辿り着かない。偶然(=自分の考えていない範囲のこと)が必要になるのである。


「偶然の機会が、新しい気付きを与え、人生が豊かにする」

自分にとってコロナは大事なことに気付かせてくれる良い機会になった。

日常の偶然をより意識し大切にしていきたいし、「そんな偶然の機会をどうしたら多くしていけるか」「どうしたら、その偶然の機会に気付いてもらえるか」をずっと問い続けていきたい。

それでは、また。

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