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書く
19くらい
ラブソングをはじめから書いた。
足りない言葉
足りないメロディ
足りないだらけの歌。
真顔でよく人前で歌えたよなって思うような歌。
でも、その時
まるで自分の手の中に世界を見たような感覚で
0を1にできたような
生きてるって感じれたような
そんなスタートだった
でも
そんなのも
きっと嘘っぱちで 幻想で
我がが書いたような顔をして
それはいつだってどれだって何かの誰かのコピー
自分というフィルターを通しているだけ
知らずにだれかの何かからの抽出
知識も感覚も言い回しもすべてこれまで経験したり知ったマイライブラリーからぽろりと落ちた音楽や文章やワード
かもしれん
悲しいかな
そしてそれを拾い上げてほこりをはたいて
大事そうに並べて
ごちゃ混ぜにして
時に投げつけて
まるで自分の価値観のごとく
もちろん自分自身の考えでもあるかもしれんが
納得した上で書くことに変わりはないけど
ただ、価値観すらもコピーだと思うと
それはいつだって少し濁る
パクるとは違うんやけど
往々にしてそうなのだろうし、仕方のないことといってしまえばそれで話は終わる。
国も宗教も民族も陰謀論も教育も文化も何もかも
僕が生まれる前からずっとあるもの、生まれてからもずっとあるものの影響
ある、ということは、誰かがどこかで、この世界から無くさないようにコピーし書き続けて引き継いできたからこそ、ある。
それがみんなを納得させられることだから、とか、それが当たり前だから、とか、色んなこと。
ずっと不思議だと思ってたこと。
小さい頃から感じてた。
当たり前ってなんなんやろ
生まれた時からルールがあって、後から生まれた存在だから仕方のないことなのだろうけど、従わないといけないことがたくさんあって、生き残るためにはそうするしかないのだろうけど、 振り返ると、ほんと嫌な子供だったと思う。
ある意味危険因子。
なんで? ばっかりだった。
そういう意味で、意見や考えをちゃんと受け止めてもらえなかった記憶、子供のくせに、だったり、生意気を言うな、だったり。
残ってる。
でも決してひねくれたわけではなくて、頭で理解はしたけれど、感覚の中で
白色の明度が少しずつ落ちていく
社会のルールに逆らうつもりなんてさらさらないのに、従わなければいけないことが初めからある、ということ。
発言をするためには、そういう立場が必要だということ。
そうしなければ社会は成り立たなくなる。
そりゃそう。回らない。
だいたい、自分で食べるものさえ生み出せない人間が何を偉そうに言えるってんだって話。
わかっている。
それが大人になることよ、という価値観。
自らの半生を振り返って思うこの国の教育というものの扱い方。
偉そうに言いたいわけじゃなく、
自分の子供のころは、それはそれは幸せな事だったんだと思う。
切実な生き死にに直面するような日常はなく、ある程度のほほんと、ある程度ぼんやりと、ある程度ひんやりと、もちろん世界の終わりだと思うくらいに嫌なこともあったかもしれない、でも
このままでいいのだろうか、と感じること。
自分が、書く、という行為になんの意味があるかなんて知らないけど、それでも
体に染み付いたこのすこしの濁りの意味
なんで?の答えとか
残ってる、ことの意味とか
今書く、ということにもし繋がってるとしたら
きっとこうやって、リアルタイムでこの時代まで生きていて、社会をこの目で見て、感じること、痛い事、嬉しい事、泣いちゃう事、愛おしいこと、しらけること、全部、書かなければいけんのかもしれんと思う。
それがいつかコピーではない、ものになればいいなと、期待せずに、ただ、徒然なるままに書く、しかないのだろうなと思う。
だれかのなにかのためにとかじゃない
なによりまず自分のために書く。
誰かの顔色を伺いながら
批評される前提なんてそもそも違う
そういうことじゃなく
批評なんて関係なく
対峙しなければいけんのはいつだって我がであり、世界を見ている自分だとちゃんと覚悟しなければ。
逃げ場なんてない。
うんざりすることも
きゅんきゅんすることも
これからがどうなろうと、
書く。
価値観もひとそれぞれみんな違うこと。
変わってもいくこと。
人を見ない。自分を見る。
足りん頭で自問自答は続く。
エンパシー
と言うタイトルの歌できました。
いつか歌うので、よかったらまた詞を読んでください。
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