愛がなんだ


公開中見に行きたかったのですが限られた場所でしか上映しておらず、泣く泣く諦めた作品をようやく見ることができました。

「愛がなんだ」

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岸井ゆきの 成田凌
原作 角田光代「愛が何だ」(角川文庫)
監督 今泉力哉

テルコは私が1番嫌いだった頃の自分にとても良く似ていたので、はじめは本気でイラっとしながら見てしまいましいた。
恋をすると周りが何も見えなくなってしまって、何でも平気で疎かにするし、好きな人の前だと自分の意思もなくなってしまう好きな人にはやたらと従順な人間。

私も学生の頃はそんな恋をしていて(付き合っていたのでテルコとマモちゃんの関係とは少し違うけど)大切なものを沢山失いました。そんな自分を思い返してみて「あの時の自分は本当に痛かった。みっともない。惨めだった」とずっと思っています。
恋をしていたのでも、相手を愛していたのでもなんでもない。
ただ私はあの人に執着していただけだったんだ。と今になっては思うからです。

テルコはまさにそんな自分を思い出させるような人物で「なんて痛い女なんだ」と思ってしまいました。でもテルコは決してマモちゃんを好きな自分を嫌いになったりはしない。苦しい思いをしていてもむしろ幸せそうだった。

最近「好き」と「愛してる」の違いという記事を書かなければいけないことがあり、私はライターをしてきたなかで1番頭を悩ませました。結婚をして子供を産んだ経験があるのにも関わらず、それでも「愛」がなんだかわからないと改めて思い知ったのです。
(子供に対する愛とかじゃなくれ恋愛感情のほうの愛ね)

その後に「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」というアニメを教えてもらってヴァイオレットちゃんと一緒に「愛してる」の意味を探しましたが全話みても何となくボヤっとしたままでした。(ヴァイオレット・エヴァーガーデン自体はとても良い作品でしたよ)

でもなんとなく、「愛がなんだ」を見て「愛」には色々な形があるし、それで良い。そもそも正解はないということを改めて思いました。テルコの最後の言葉「どうしてだろう私は今だに田中守ではない」という言葉がとにかく衝撃的だったし、むしろ「愛」なんて一言では表現できないことだってあるよね。と思わざるをえなかったです。

マモちゃんがテルコに「もう会わない」って言うシーンとかリアルすぎて動悸ものでしたね。痛いほどテルコの気持ちがわかったから。でもテルコは私が思うよりはるかにマモちゃんのことが好きでそれはもう「愛」を遥かに超えている感情だった。

私にとっては消し去りたかった学生の頃の恋の思い出ですが、この作品を見て「なんかあの時はあの時でそういう恋をすることができて肯定できない部分ももちろんあるけど、それはそれで良かったのかな」と思えました。まだ若かったしね。

割とシャンとしていて恋に溺れたことがないという人には全く共感できない映画かもしれません...だってマモちゃんは本当にクズでしかないしテルコはイカれてるもん。「いや、おかしいよね」と言ってしまえばそれまでなストーリーではあります。

でも人によっては、やっぱり人を愛するって自分を見失うしなんか病的なものです。自分を犠牲にするようなことも平気でできてしまったりするから本当に怖い。それを愛だと言っても、共感できない人にはできない。でもそれも愛の形の一つなのです。

私はもうテルコのように恋に溺れてしまうようなことはないでしょう。でももし、また恋愛をするようなことがあったらその時は自分なりの「愛」をきちんと見つけたい、そんなことを思いました。

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