夢占いとSNSと居間

先日買ったマイカレンダーという占い雑誌のバックナンバーに「夢占い」の記事があった。(2019.秋号)
その記事を読んでて、夢占いもやってみたくなり、寝る前に該当の問いに相当する図形を思い浮かべる、というのをやって就寝してみた。
といっても別に問いは思い浮かばなかったのでなんとなく丸を思い浮かべて寝たのだけど、起きた時に夢を覚えてられたので、夢占いをすることにした。

別段、儀式的なことをやるわけでなく、夢を書き出してみて自己分析するだけなのだけど。

夢の内容は以下のようなもの。

弾丸が飛び交う町に立っている少年。周囲では弾が当たって死んでしまう人やなぜか生きている人、血を吹き出している人などがいる。少年も最初は弾が当たっている様子だったが、気合を入れると、だんだん体が半透明になり、ホログラムのようになる。弾が通過するようになったので平然としている。そこへやってくる、髭がもじゃもじゃのボロい服を来た集団。大きなボロい車で乗り付けてきて、少年を弾から保護するようにして連れ去る。連れ去った先にはまたボロい団地があり、屋上では何かの機械を荒くれ者の技術者たちがいじっている。
という内容の映画を、古い日本家屋の居間で家族、共同体っぽい関係の人たちと見ている。

まず私が思い浮かべた「丸」という図形だが、4元素でいう「風」であり、「知性や情報に関わること」というジャンルだったので、それをヒントに夢の内容を考えた。

おそらく「弾丸飛び交う町」はSNSのイメージでは、と思う。最近Twitterで話題の誹謗中傷のみならず、見知らぬ人が発する正義や不満に対して、流れ弾に当たったように傷つく、という光景は日常茶飯事で、その様子のことでは?としっくりきた。自分自身も流れてくる種々の情報を受け止めきれず、かといってタイムラインを見ないと、会えない人々の事もわからないし、世間のニュースや注目度も知っときたい、というジレンマの中にいる。リストとか作ればいいのだけど、その狭さが嫌だったり。


そこで昨日「いるか」というSNSをみつけたので始めてみた。「いるか」は個人が全く特定されないSNSで、個人が特定されないのでフォローという機能自体がなく、タイムラインに該当するページは、公にはかけない不満や愚痴、どうでもいいこと、時には喜びのつぶやきが延々流れてくる。リプライ機能もないのだが、「共感、応援、スター」というボタンで呟いた人に何らかのアクションをすることはできる。
これが「体が透ける少年」のイメージにぴったり合わさるような気がした。「貧乏くさい組織」はTwitterの機能を多少抜いて「つながる」部分だけを残したイメージからかな?ちょっと「いるか」は動作がやや不安定な感じもあり、DIY感が漂っているのでそのイメージかも。

最後の「テレビを家族で見ている」は、その様子をさらに観察している共同体の存在、だと思う。
夢の中ですごく馴染んだ雰囲気、懐かしさ、安心感を感じた。一つの物語をテレビを介して共有する、というのは、自分の中に刷り込まれた、共同体、へのイメージだったと気づいた。言い換えれば「テレビを一緒に見ている」=「家族、共同体」と錯覚するほど、自分の中に画面を共有する感覚というのがしっかりあるんだ、ということ。
そこで、「SNSはそういう錯覚を起こさせてくれる、家族の居間の代用品みたいな場所」なんだと改めて気づいた。

言葉で説明しようとすると、どうも難しいが、だから「居間では、愚痴はいってもいいけど、寛ぐところなんだから大きな声出さないで!」という人がいたりしても不思議ではないというか、自分もどちらかというとその感覚だったのかも。
でもその「居間の整え方」は、実生活の整え方とは全く違うので、自分で扱い方を考えていかないといけないな、と思った。
「居間」の考え方を広げていくのか「居間」という考え方を捨てて行くのか。捨てるのはなかなか難しそうだな…

夢占い、なかなか良いです。

追記:
そういえば、私のホロスコープの「居間」は水瓶座なので、テレビやインターネットが居間でも不思議ではないです。水瓶座は閉じこもれる自部屋が必須なので、それも。とはいえほぼ魚座よりの水瓶で境目が曖昧なので、大海に流れてもそこそこやっていけるのかもしれない。


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