「松井さんち」という現象


午後イチの飛行機に乗らなければならないのに、寝坊した。しかも1週間の出張なのに、荷造りすらしていなかった。

重いまぶたを持ち上げ、布団から身体を剥がしながら、必死に考える。

えーと、家を出なければいけない時間まで、あと30分か。寝ぐせを直して、着替えて、朝ごはんはパスだな・・・荷物は何を持って行くんだっけ・・・


が、しかし。

私がその次にとった行動は「体重計に乗って、今日の体重を記録する」という、ものすごーくどうでもいいことであった。

確かに、最近ちょっと太ったので、先週から体重を記録しはじめたところではあった。

でも、この寝坊という一刻を争う場面において、それは明らかにどうでもよかった。


あえて普通のことをすることで心を落ち着かせよう、と思ったわけではない。

ただ、目覚めて数秒、という状態の私は、「時間がない」という緊迫感のある現実に、とっさに適応できなかったのだ。

こういう現象のことを、私はひそかに「松井さんち」と呼んでいる。


「こういう現象」というのはつまり、「私にとって」緊迫している状況であるにもかかわらず、私本人がその状況に置き去りにされている、という状態のことだ。

「緊迫した状況だ!」と判断しているのも、「体重を測って記録する」というのんびりした動作をさせているのも、私自身である。

にもかかわらず、後者の私が、前者の私に置いていかれているという、謎の事態。


松井さんちの話をする。

松井さんは、確か90歳くらいのおじいさんで、私が看護師をしていたころに看取った患者さんだ。

心不全の末期で、酸素を投与して頑張っていたが、限界が近づいていた。

苦しそうな松井さんの横で、医者から松井さんの妻に「(命が)もっても、あと1,2日でしょう」と伝えられた。


妻は「どうしよう・・・」と戸惑った様子を見せた。

そして、何か声をかけようと近づいた私に向かって、こう言った。

「来週末の選挙、行けないですよね?」


は?

選挙?


「ちょうど昨日、投票のお知らせが届いたんだけど」


たった今「あと1日で夫が死ぬ」と言われたにしては、とんちんかんな心配事だった。

少なくとも、私が今まで立ち会った余命宣告の場面の中では、明らかに定形外の反応だ。

病室に、なんとなく間の抜けた空気がただよった。


その時、松井さんの妻が何を考えていたのかはわからない。

後から推測してみれば、「夫の死」つまり「夫の不在」という想像上の状態を、「夫は選挙に行けない」という具体的な文脈で理解しようとした、ともいえるかもしれない。


だけど、たぶんそうではなかった、と思えるような、明らかな空気の違いがあった。

余命告知という緊迫した場面に流れ込む、のんびりのどかな日常の空気。

晴れた日曜日の午後に、小学校の投票所に向かう、松井さん夫婦の後ろ姿。

不謹慎な言い方だが、その温度差には、一種のおかしみさえ感じた。


きっと松井さんの妻はそのとき、彼女にとっての切迫した事態に置き去りにされていたのだと思う。


(※ちなみに、松井さんは急変したわけではなかったので、それまでにも病状や予後の説明はタイムリーに行われていたと思う。少なくとも、他の患者さんたちと比べて何か医療者の説明が足りなかった、という印象はない)


松井さんの話はまだ続く。

翌日やはり危篤状態に陥った松井さんのもとに、息子が駆け付けた。

松井さんの心臓と呼吸の機能はゆるやかに落ちていき、医師からはもうすぐ亡くなるであろうことが伝えられた。


息子は、ベッドの横のパイプ椅子に、とても静かに座っていた。

私は「最期まで耳は聞こえると言われています。お父さんに声をかけてあげてくださいね」というようなことを話した。


すると息子は、ちょっと苦笑してこう言った。

「いや、話せって言われても・・・何を話せばいいんですか」


この反応も、定形外であった。

(ちなみに多くの家族は「お父さん、よくがんばったね」とか「今までありがとう」などの言葉をかける。)

私は「お父さんに伝えたいことがあれば、まだ届きますよ、という意味です」と、今まで誰にもしたことのない解説をした。


この息子もまた、自分を取り巻く状況から置き去りにされているように思えた。

これまでの親子関係などまるでわからないけれど、今にも父が死んでしまう、という人生屈指の特別な状況において、息子はまるで父の昼寝につきそっているかのようなのんびりした周波数を発していたのだった。



これは私の想像でしかないのだけれど、松井さんちは、とても安定した一家だったのではないだろうか。

今までと同じような日々が、これからも連綿とつながっていくことを、ごく自然に、当たり前と感じられるような。


そんなわけで私は今朝、寝坊して一刻を争っているくせに、のんびりと体重計に乗ったあとで「あ、松井さんちみたいだったな」と思ったのだった。

そしてその後、無事に松井さんちから脱出し、飛行機に乗り、出張先でnoteを書いている。

たぶんこういう日々が連続していくだろう、と私も思っているので、この先もたびたび松井さんちみたいになり、そのたびに松井さんちを思い出すのだと思う。

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