見出し画像

ブックカバーチャレンジを批判する人へ

友達からFacebookで「7日間ブックカバーチャレンジ」なるものが回ってきた。

いわゆる「バトン」形式で、7日間1冊ずつ好きな本の表紙(ブックカバー)の写真をアップして、同時に、毎回1人の友達をこのチャレンジに招待するというもの。

これについて「チェーンメールと似た構造なので、断るべきだ」という批判をチラチラ見かける。「その通りだ!」と同意する人もいる。

でも、本当にそうだろうか?

私はそうは思わない。


「チェーンメール」というのは、内容が良かれ悪しかれ、出どころのわからない情報を、受信した人に「拡散して」「転送して」と要求するもの。

数十年前の不幸の手紙(○人に同じ手紙を送らないと不幸になる)に始まり、○人にメールを転送すれば恋が叶うとか、友達の友達の子どもが事故で血液足りないから献血して、とか、色々ある。


チェーンメールの何が問題かというと、たぶんポイントは以下の4つ。

(1)情報がまちがっている

(2)不安をあおる(風評被害みたいに、だれかを傷つける可能性がある)

(3)だれかに指名される = 強制、と感じる

(4)「よーわからん情報を拡散する(または受け取る)」という行為が習慣化する = デマが広がる土壌になる

・・・あと何かあるかな。


で、ブックカバーチャレンジは、どうかというと

まず(1)情報がまちがっている、には当てはまらない。

「私、この本が好き!」と私が投稿しているのだから、情報の出どころは確かだし、内容的にも正しい。


(2)不安をあおる(風評被害みたいに、だれかを傷つける可能性がある)

これにも当てはまらない。(悪意にみちた本を、おどろおどろしい文章とともに紹介しない限り)


(3)だれかに指名される = 強制、と感じる

これはチェーンメールの問題というよりは、個人の問題、あるいは人間関係の問題だと思う。

当たり前だけど、物理的に、だれかに無理やりメールを回させることはできない。(他人の指を私がつかんで、転送ボタンにタッチさせることは、ふつうの状況ではありえない)

それでも「強制されている」と感じてしまうとしたら、それは心の問題だ。きっとその人は、飲み会に誘われても同じように思うだろう。

こういうのは、ブックカバーチャレンジだけで起こることではないし、おそらくそれよりももっと根の深い話だと思う。

何より(私が考える)真理は、「どんな時でも自分の行動の決定権は、自分にある」ということ。

つまり、やりたくないなら、やらなければいい。←この考え方は、少なくともブックカバーチャレンジにおいては、そう暴論でもないと思う。


(4)「よーわからん情報を拡散する(または受け取る)」という行為が習慣化する = デマが広がる土壌になる

これは、一理ある。と思いそうになる。

どうやら世の中には、献血を呼びかけるメールや、ペットの里親募集の投稿など、まったく意味がわからないけれど、善意に依存したチェーンメールもあるらしい(誰得?)。

こういったものを排除するために「メールの転送」や「拡散」そのものをなくしてしまおう、という発想だ。


ただ、そこで生まれる疑問は「なぜブックカバーチャレンジだけが批判されているのか」ということ。

たとえば、Facebookのシェア機能やTwitterのリプライ機能も、同じ性格をもっているとは言えないだろうか。

Facebookのシェア機能は「よーわからん情報を拡散する」可能性が大いにあるし、Facebookのニュースフィードを眺めるのは「よーわからん情報を受け取っている」ことにほかならない。


現代社会には、他にもそういう事例はたくさんある。

たとえば「この場でツイートしてくれたら10%引き」という洋服屋さん(本当にいい服かわからんけど、お店の情報を拡散)。

「あなたにおオススメ」と個人的に勧めてくるAmazonやYoutube(特にほしくもない商品情報の受け取り)。


つまり、すでに情報の拡散・受け取りという現象や、そのためのツールは、世の中に溢れかえっている。

そしてブックカバーチャレンジよりはるかに前から、私たちはすでにそういう社会で生きているのだ。それが良いことか悪いことか、ではなく、事実として。

現代は「だれもが名もなき情報発信者」という、世にも珍しい時代だ。

私たちがすべきなのは、バトンを回す人や受け取る人を批判することではなくて、どうやって必要な情報を選ぶか、どういうふうに情報との距離の取るか(バトンを受け取らないことも含めて)、自分なりに対処することじゃないだろうか。


ちなみに、私はブックカバーチャレンジを批判する人に対して、特に嫌な気持ちを抱いているわけではない。

そういう人も含め「だれもが発信者」だからだ。大いに議論したらいいと思う。

ただ、もし一方的にバトンを回している(もしくは受け取っている)人をつぶそうとしている場合は、別だ。その人には「あなたは今、いつか自分がつぶされる社会をつくっているけど、いいの?」と一言問いたくなる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?