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【感想】アオイトリ

ブランド : Purple software
発売日 : 2017-11-24
原画 : 克 , あきお , 安納エイト(SD原画)
シナリオ : 御影 , 緒乃ワサビ

⚠️ここからネタバレあり⚠️






■ネタバレ感想

©Purple software

祈りひとつ、想いひとつ、心が震える。
アオイトリに出会えて本当に嬉しい。

★はじめに

アオイトリは神ゲーでした。
しかも、圧倒的に神ゲーでした。
アマツツミを超えるべく制作されたと開発コラムにあった通り、様々な要素で対比構造がなされながら、テーマの芯は一貫し、ビジュアルノベル界に爪痕を残そうと気迫を感じる魂の作品でした。

物語を通して作品から何を受け取るのか。
受け取ったものにどんな価値を見出すのか。
主観で「傑作」とされる作品はその答えが明確で、すべてはこれに尽きると思っています。
作品を終えた時、自分の中にある手ごたえというか、心の学びというか、言語化が難しくても確かにそこにある何かを感じる嬉しさ。
心があたたかくなる感覚。
これがとても大切なもので、好きになれるもので、心の拠り所になると思うんですよね。

アマツツミでは、ほたるの言葉が自分の価値観に共鳴し、幸せの意味を見出すことが出来ました。
では、本作アオイトリは何をもって心動かされたのか、どんな言葉があったのか、どんな想いがあったのか。今回の感想記事ではそれを記させていただこうと思います。
自分なりに物語とテーマを咀嚼して言語化してみました。考察をメインとしたいわけではないので、あくまで言葉通りの「感想」となります。

欲張りすぎて伝えたいことが膨大になり、取捨選択が出来なかったかなりの長文です。
これでもかなり絞ったんですが……。

全部読むのは大変なので、目次から気になる項目だけでも読んでいただければ嬉しいです。

クリア済みの方が物語を振り返る助力と、新たな気づきになって欲しいという祈りを込めました。
どうぞお付き合いください。


★物語としてのアオイトリ

©Purple software

アオイトリの物語を簡潔に述べるなら
幸せになりたい、幸せにしたいという祈りの物語”でしょうか。
これをメーテルリンクの『青い鳥』をモチーフに物語としました。
作品のテーマはもちろん”幸せ”でしょう。

”特別”ゆえに”普通”の人間に憧れた律。
”普通”に辟易し、”特別”になることを望んだあかり。
持つ者と持たざる者がそれぞれに強く想い、祈りを言葉にする。
”特別”に反逆したあかりが律を愛したことで、生まれ持った贈り物(ギフト)、生まれてきた意味、生まれてきた価値を知り、自分自身を認め、”幸せ”に至るまでをドラマチックに描いていました。

そして最後に問われます。
「あなたは、この世界が好き?」と。

”幸せ”というテーマはエピソードのいたるところに散りばめられ、ひとつひとつが律やメアリー、あかりたちの言葉として示されます。
そのすべてをあかりルートの道筋としてメーテルリンクの『青い鳥』に併せて説く。
テーマを伝える物語構成が秀逸だからこそ、ラストの「二人だけのカーテンコール」は心が震えました。

”特別”に反逆するあかりの動機や、恋愛感情の変遷に描写不足を感じますが、それ以外の素晴らしさが気になる点を圧倒し、瑣末なことにすら感じます。
やはりテーマ性が光る作品です。

「この世は舞台、人はみな役者だ」
これはシェイクスピアの喜劇『お気に召すまま』に出てくる有名な台詞で、人生のざまざまな局面を舞台上の役柄になぞらえた言葉です。
律はこの言葉の解釈として、世界を舞台に人を役者とする皮肉な言葉としながらも、善意を信じたきれいで正しい言葉であり、シェイクスピアは善意を理解していたと捉えていました。

「この世は舞台、人はみな役者だ」という言葉の意味を本作の物語に当てはめると、善意の存在であるメアリーが書く劇の脚本が意味を成し、舞台として演じること自体、物語を物語として展開するための骨子だったと考えられます。
具体的に言えば、律とヒロインに課せられた試練、その先の成長こそ各ルートの道筋だったことでしょうか。
それゆえに、劇の主役を個別ルートのヒロインが担い、演出を悪魔が担っていたわけです。
各ヒロイン個別ルート(別の可能性)のフラグを分かったうえで折りにかかり、自らが主役と名乗り出て”特別”に反逆するのがあかりルートでした。
物語として展開する骨子がシェイクスピアならば、作品テーマの骨子はメーテルリンクの『青い鳥』なのでしょうね。

あかりの台詞にはアマツツミに出てきた言葉も。
「人を動かすのは、絶望ではなく、愛情」
言葉通り、愛情が律を動かし、あかり自身を動かしていく。
だからこそ、クライマックスの「二人だけのカーテンコール」の威力は絶大で、感情のすべてを持っていかれてしまいました。
アマツツミのクライマックスが気づいたら静かに涙が溢れてくるような優しい感覚だったのに対し、アオイトリのクライマックスは感情が抑えきれない完全なる号泣。
それも、あかりの”幸せになりたい、幸せにしたい”という祈りが、あまりも儚く、尊いものだったからでしょう。

本作は考察要素も多く、アマツツミに比べるとやや難解ではありますが、始まりは言葉からのとおりで、それぞれの言葉の意味を丁寧に読み解いていくと、ひたすらに優しさに溢れたメッセージばかり。
メアリーやあかり、律の言葉には感情が動いた以上に、心そのものが震える学びと喜びがありました。
これは間違いなく個人的に歴代トップクラスの感動。
とても価値あるものでした。

もしかしたら幸せに答えなんて無いのかもしれません。
でも本作には、ライターの御影さんが思う幸せの答えが込められていたように思えます。
きっと、御影さんは人間の「善意」を信じ、「愛情」を大切にしている人なのでしょう。
その象徴がメアリー・ハーカーなのでしょうね。
善性に由来する幸せのメッセージこそが、『アマツツミ』同様に自分の価値観と共鳴したからこそ神ゲーに至ったのだと思います。



★アオイトリはアマツツミを超えたのか

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アマツツミを超えたか否かを定量で語るなら答えは明瞭ですが、定性で語るならば話は別。
そして受け手側の感情はもっと別の話になります。
人により考え方や感じ方が異なるように、物語の解釈や受け止め方は人それぞれ。
なので、あくまで個人的な見解で申し上げます。

アオイトリはアマツツミを超えた。間違いなく。

これは自信を持って言えることで、自分として納得した答えです。
では、具体的にどこがアマツツミを超えたのか。

①感情に訴えかける威力が絶大
②世界観の説得力と美しいビジュアル
③濃厚なえっちシーン
④『アマツツミ』のメッセージを踏襲し、テーマをより強固にしていた

この4点でしょうか。
以下は簡潔に補足を。


①感情に訴えかける威力が絶大

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「始まりの3日間」のラストシーンを始め、各ルートにおいて感情の山場が明確でした。
物語の展開、ピークタイムのタイミングも絶妙。
特に「二人だけのカーテンコール」の演出は凄まじく、もう泣きすぎて死ぬかと‥‥。
挿入歌の爆発力って本当に凄い。
ビジュアルノベルの魅力が最大限に発揮された、凄まじい威力を持つ泣きゲーと言えます。

②世界観の説得力と美しいビジュアル

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わいっしゅさんの背景美術が素敵すぎます。
美の情報量が凄まじく、作品の舞台としてアマツツミよりも魅力的に写りました。
美しい背景美術は物語の閉塞的な空気感を引き立てるもので、作品の世界観への影響力は絶大であったと思っています。
世界観とはビジュアル面だけで語れるものでは無いことは理解していますが、それでも画面の中の世界は明らかに美しかった。
ちなみに、克さんの時間を切り取ったかのような超絶美麗なCGの素晴らしさは言わずもがな。




③神の所業と言える濃厚なえっちシーン

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天才です。神です。奇跡です。
まず異論がある方はいないでしょう。
もうまじで、震えるほど、ナニがナニなほど、むっちゃくちゃえっちでした。主にあかりが……。

救世主を「受胎」させた重要イベントもあり、物語としてえっちシーンが必須で意味を成していたのは拍手。



④『アマツツミ』のメッセージを踏襲し、テーマをより強固にしていた

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善意と悪意から愛情を語ることで幸せを説いたのがアマツツミだったと解釈するならば、そのテーマをさらに肉付けして生まれてきた意味や価値を説いたのがアオイトリだったと感じました。特にあかりトゥルー。
幸せの解釈はある意味で一点突破型ですが、メーテルリンクの『青い鳥』を用いたドラマチックな物語が、”幸せ”というテーマをより強固にしていたように感じました。

と、以上の4点を理由とさせていただきます。
他にもメアリー・ハーカーの存在も理由としてあげたいですが、完全に個人的な感情の話なので省かせていただきました。
異論があることは承知してますが、あくまで主観による見解ということで。

長くなりましたが、本作は物語の展開と演出、ビジュアル、エロス、そしてテーマの「幸せ」対しての説得力がアマツツミを超え、どうやっても神ゲー認定するしかなかったという話しでした。



★対比構造について

本作はアマツツミの対比を形成する作品です。
季節はアマツツミが夏に対し、アオイトリは冬。
物語としてはアマツツミがスタートダッシュ型に対し、アオイトリはじわじわ尻上がりに盛り上がるタイプ。
神から人間になっていった主人公に対し、人間でありながら異形の力や存在と関わる主人公。

アマツツミは作品として一本道の良さがあったことに対し、アオイトリではルート分岐が明確に意味を成す物語構造となっていました。
それが最大化されたのが小夜ルートですよね。
どちらが優れているではなく、異なるアプローチからアマツツミ超えを目指したんだろうと推測できます。
この対比を考えながら読み進めるのも面白かったです。

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そして意図的に同じなところも。
例を挙げれば、物語冒頭で顔を踏まれる主人公。構図も台詞もほぼ同じです。
でも踏んだのがこころの片足に対し、メアリーの両足は対比‥‥はさすがに飛躍しすぎですかね。



★メアリー・ハーカーを想う

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人生とは旅である。
これを体現したのがメアリーでしょう。
アマツツミがほたるとの出会いに価値があったとするなら、アオイトリでの最大の価値はメアリーとの出会いでした。
メアリー、好きすぎる。可愛すぎる。
アマツツミの可愛いの権化・善意の象徴であるこころと、心に大きな学びをくれたほたるがフュージョンしたかのような、超絶魅力的なヒロインでした。
これ、伝わりますか?どうか伝わって欲しい。

メアリーの心のありかたは、素直に尊敬できるものばかりでした。
100年を生き、人生の旅で経験した人間としての厚みというか、説得力があるんですよね。
「メアリーは人を信じているし、世界をきれいだと思っている」という律の言葉通り、人の善意を信じ、その心で世界を見ているからこそ、メアリーに対し憧れを感じているんだと思います。
自分を含めた”普通”の人にとって、これは仕方がないことで、あかりがメアリーに惹かれた理由も、”特別”を持たざる者だったからでしょう。
だってメアリーの存在自体が絶対的に”特別”な存在ですから。

アマツツミの感想でも述べましたが、自分は「可能な限り善意を信じ、物事をポジティブに捉えたい」という価値観を持っています。
でも、これがとても難しい。
人間には善意だけでなく悪意だってありますし、善悪合わせて人間らしさでもあるんですから。
人の行い全てを善意として受け取れば不幸になることなど目に見えています。

それでもメアリーは人の持つ善意も悪意も理解したうえで、人の善意を信じている。
これは自分自身を信じていると同義だとも思うんです。
だから世界がきれいだと捉えることが出来るんでしょう。
”世界は幸福と祝福に溢れている”と。
そして”人を好きになることが幸せに繋がる”と。

もし、世界中のすべての人がメアリーのような心の持ち主だらけだったら、善意は当たり前のものになり、「ありがとう」というきれいな言葉すら失くなってしまうのでしょう。
そう考えると、メアリーは憧れの存在であると同時に、歪な存在でもあるのだと思えます。
その歪さこそ、絶対的な美しさなのかもしれません。

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ただ、メアリー自身が幸せに溢れていたかというと決してそうではなく、吸血鬼になってしまったことで抱えた哀しみもありました。
飽くほどの命の長さを手にしてしまったからこそ、生きる意味、限りある命の価値を理解してたんだと思います。
だからこそ、人間であるために自らの命に制限を設けてまで、生を謳歌しようとしたのでしょう。

「生きていることは本当に楽しくて幸せで、価値があるんだよ」
「もちろん、100年を生きて、あの時死んでいたほうが良かったってかんがえたことはある」
「何十回も何百回も」
「でも、あの時死ななくてよかったって思えることが、間違いなく、それ以上にあったんだよね」
「何千回も何万回も」
「そういうことを思えるのも、結局は、生きてるからでしょ」
「つまり、生きてるもの勝ち」
「いえーい♪」

「始まりの3日間 2」より引用

この言葉は人生讃歌かもしれません。
ああ、メアリーにいい子いい子されたい‥‥。
メアリーが言うと、素直に心に刺さるんです。
もし命に制限がなければ人のモラルや生きる目的は消滅してしまう。
永遠なんていう”奇跡”など残酷で、意味を成さないという答えのひとつですよね。
この永遠はあかりルートの最後に繋がります。

よく考えてみればそんなの当然の話で、限りあるから慈しむべきもので、精いっぱいに幸せになろうという想いこそが祈りであるはずです。
吸血鬼ではなく、人間としての死を望んだメアリーが示してくれたんですから間違いはないはず。
これも幸せを探すヒントなのだと思います。

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本作における最大のメッセージといえるメアリーの言葉がこちら。

自分を信じなさい
他人を信じなさい
自分をもっとよく理解しなさい
他人をもっとよく理解しなさい
そしてーー
幸せになりなさい
幸せにしなさい
あなたが生まれてきた意味は、その、たった2つの答えだけだから

「共通ルート3」より引用

包み込むような優しい声で伝えてくれた言葉。
意味を理解する前に涙が溢れました。
心が先に反応したのかもしれません。
どうしようもなく、訳も分からず、ただ泣いていました。

愛らしポンコツ吸血鬼だったり、お姉さんぽく振る舞ったり、おっぱい小さいことを気にしていたり、「わたし、メアリーママちゃん♪」「壁に耳あり障子にメアリー!」とおどけたりしてるくせに、ふとした時に人生の糧になる素敵な言葉をくれる。

この引用した共通ルートでのメアリーの言葉は、作品のテーマそのものですよね。
アオイトリは幸せのありかたについて、命の価値、生きる意味、普通や特別、奇跡の力など様々な要素で語っていますが、突き詰めれば全てこの言葉に集約されているように思えます。
本作の幸せの表の語り手はメアリーの役割でした。
(裏の語り手はあかりでしょう)
だからこそ、アオイトリのメッセージ性は強固なもと言えるかもしれませんね。



★各個別ルートについて

ここからはヒロインの個別ルートについて語らせていただきます。
攻略順は【理沙】→【メアリー】→【小夜】→【あかり】です。
あかりルートを除けば、特に好きなのは小夜ルートでした。


【理沙ルート】

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見事な姉妹丼、ごちそうさまです!
物語の根幹に少しだけ触れながら、あかりルートへの布石として、あくまで姉妹を堪能する閑話であったと捉えています。
シナリオはLaplacianの緒乃ワサビさんが手掛けたようで、律の軌跡の力、悪魔の契約のひとつの可能性を提示したルートであったように思います。
内容は本筋に深入りしないために、かなり自由度が高いものであった印象だからか、いわゆる「外伝」であるとされているのでしょうね。


【メアリールート】

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可愛かった。ひたすらに可愛かった。
もうそれだけでこのルートが好き。
恋人ごっことか、好きになる暗示とか、イチャイチャとか。最高かよと。
メアリーを引き立てるシナリオでありながら、人を愛すること、思いやることへの価値を示し、アオイトリという作品に深みを与えるシナリオであったと捉えています。

たとえどんな生まれでも、どんな生い立ちでも、どれだけ本当の罪を背負っていようとも
人を好きになること、愛すること、思いやることー
それ自体が罪だなんてことは、絶対にない

「メアリールート6」より引用
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これはメアリーの告白ともいえる懺悔に対し、律が語りかけた言葉。
吸血鬼であることに罪の意識を持つメアリーにとって、恋愛を自分事として見れなかった少女が初めて抱いた尊い想いを救済する言葉でした。

これはつまり、人を愛すること、幸せになることは誰もが持って生まれた”特別”なもので、素晴らしいものであるとも解釈できます。
だから、どんな人にも平等に与えられている想いの可能性、意志であると受け取りました。
この時のメアリーの気持ちを思う泣けてきます。
ぼろぼろに。

このルートが描いたのは”メアリーは最初から最後まで人間だった”というロジックこそすべて。
物語としては「外典」にあたり、愛が奇跡を凌駕して悪魔に打ち勝つ王道展開は読んでいて気持ちが良かったです。
そして、改めて思うのはやはりメアリーのもつ善意への憧れ。
メアリーの100年の旅が完全肯定された見事な帰結でした。
ただ、特別な二人にとって、自分たちが特別であると気づけない。
これが最後のあかりルートへの布石とされ、アカイトリとされています。


【小夜ルート】

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めちゃくちゃ良かったです。
物語の後半はずっと涙目。良すぎる。
このルートが見せたものは深愛と家族愛。
そして、母が与える小夜への無償の愛と、律への絶望でした。
悲劇とはどこまでも甘美で、儚さはどこまでも心を侵す。悪魔が小夜を利用し、正しく律を篭絡した「正史」にあたる物語でした。

小夜への愛しさはこのルートを終えるまでにカンストして、歴代最強の妹ヒロインなのでは?と思うまでになっていました。
メアリー至高という強い意志は変わりませんが、少しでも油断すれば小夜に感情のすべてを持ってかれるほど。

小夜の愛は狂気を孕む深愛。
ただ、言葉通り狂うのではなく、切実な想いと優しさに狂っている。
それは夜の闇に咲く桜のように。
可愛いや愛しいだけでは言葉が足りない。
儚くも美しいヒロインでした。

命の取捨選択という重い展開も合わせて進み、儚さの極みはやはり物語のクライマックス。
廃駅での会話と電話ボックスのやり取りでしょう。

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「そう、か‥‥‥わたし‥‥‥幸せ‥‥‥だった、んだ‥‥‥」
「なら‥‥‥いいや‥‥‥」

「小夜ルート10」より引用

死の臭いがすぐそばに迫る時にはじめて気づく幸せ。
母の愛を知らず、家族の愛を知らなかった小夜が、律と出会い、メアリーたちと出会い手に入れたものは間違いなく幸せであったと。
幸せは目を凝らしてよく見ないと、すぐには気づけないものなのでしょうね。
それがどれだけ近くにあったかとしても。
まさにメーテルリンクの『青い鳥』です。

小夜ルートではバニシング・ツインの効果で救世主の力が最大化し、時間すら超えるという奇跡を発現させます。
もうこれは道理を超えており、いずれ訪れる破滅からは逃れないと予測しながら読んでいたら、まさにその通りの帰結で泣きました。
というか、それしか落し所は無かったともいえるので受け入れるしかありません。

自分の命と引き換えに、小夜を救う。
この主人公、どうやってもプレイヤーを泣かせにきます。
特に電話ボックスでのやり取りは、律の心の叫びそのもので屈指の名シーンであったと思います。

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「苦しいことや辛いことなく、ただ、幸せであればよかった」
「もっと遊んでいたかった」
「愛する人が出来て、その隣で笑って、一緒に年をとりたかった」
「ただ、それだけ」

「小夜ルート10」より引用

愛する人と一緒に生きたかったという純粋な想い。
この感想を読んでいただいている方、ぜひこのシーンは読み返してみてください。
ヤバいですから。

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物語のラストは律を探しに旅立つ小夜の後ろ姿で。
狂い咲いた夜の桜と共に、余韻を残した美しいラストでした。

「人を動かすのは、絶望ではなく、愛情」
エピローグの言葉はアマツツミでも語られていましたが、この言葉こそあかりルートに続くキーとなります。
そして、救世主の力を宿した律が最後にあかりを救うという優しい展開の布石となりました。




【あかりルート】

©Purple software

あかりのどすけべを堪能する物語でした。
……嘘です。いや嘘じゃないけど。
でも凄かったんで。色々と。

えー、コホン。仕切り直します。
“普通”であることに辟易し、呪い、もがき苦しんだ一人の少女が特別な存在へ反逆する物語。
アオイトリの本筋、それこそがあかりルートでした。
あかりという少女は、自分たち普通の人間たちの代弁者であり、特別に憧れを持つ気持ちを肯定してくれる存在。
さらに、”幸せになりなさい、幸せにしなさい”というメアリーの言葉を最も考えさせられるヒロインでした。

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あかりルートはあくまで律の視点で展開するので、あかりの心情が意図的に伏せられています。
「人を動かすのは、絶望ではなく、愛情」という言葉もあかりの表層だけを見れば不穏な空気をまとっているように思えますし、あかりの言葉に裏を感じてしまうミスリードとなるのでしょうが、あかりトゥルーで示された真実は逆で、言葉通りに受け取れるものでした。

律を含め、あかり自身も物語の中で、絶望より愛情に動かされていきます。
律はあかりの普通を変化の象徴であり、可能性であると肯定しました。
特別は、すでに特別だからこそ何者にもなれない。
でも、普通は、普通だからこそ、何者にでもなれる、と
これはあかりだけでなく、プレイヤーである自分にとっても確かな救いでした。
だからこそ、あかりは律の言う可能性を信じ、どこかの誰かではなく、あかり自身と、律の幸せを見つけたいと願っていたはずです。

「もっと、わがままになってください」
「ああしたいとか、こうしたいとか、言葉にして伝えてください」
「同じものなんです、欲望も、後悔も、可能性も、未来も」
「なにかを、誰かを、より良くしたいという祈りなんです」
「始まりにあるのは言葉なんです」

「あかりルート5」より引用

これってつまり、アマツツミの”言霊”ですよね。
ここで言う祈りとは他者との心の繋がりを指しているはずなので、言葉から始まる心の繋がりと受け取ることができます。
「本当に人を幸せにしたいなら、まず自分が幸せになることが最低条件」という言葉も、律に幸せになって欲しいというあかりの祈りなのかもしれませんね。

実はこういった、ひとつひとつの言葉を丁寧に読み解いていくと、既にあかりルートから溢れる愛が伝わってくることが分かります。
このシーンを読んだとき、だんだんあかりの見えない心情を理解出来ていったように感じました。

だからこそ、あかりの豹変は驚きよりも圧倒的な悲しみが感情を支配しました。
ああ、何でこうなってしまうんだろうって。
だって、二人が語り合った『青い鳥』の解釈はあんなに優しかったのに、「受胎」が目的だったとしても愛の営みに疑いなどなかったはずなのに。
さすがにこの時ばかりは心臓がバクバクして、クリックするのが少し怖かったです。
でも不思議と、律とあかりの二人が育てた愛情に確信があるようにも感じていました。

この解答はあかりトゥルーで明かされるので、この時点ではあくまで自分の希望であり、あかりの善意を信じたい気持ちがそうさせたのかもしれません。
どうか律とあかりには幸せになって欲しい。
そう願いながら震える手でクリックしていたと思います。

このあとの展開はご存知の通りカオスな状況。
あかりの狂行は、どう考えてももがき苦しむかのようでした。
もう、あかりの愛に疑いのないのは明白。
理解してしまえばなおさらに辛く、愛の奇跡を信じるしかない。
儚く切ない物語を何より好む自分には最高の状況で、とんでもない展開に泣きながら歓喜しました。
そして名シーンへ。

©Purple software

「僕が、君を赦すよ」
「愛しているから」

「あかりルート10」「あかりトゥルー3」より引用

とても綺麗な言葉。
世界を綺麗だと思える言葉。
あかりの全てが報われた言葉。
髪が伸びているのも、いつか律が言っていた長い髪が好きって言ったからでしょうね。
健気さに泣ける‥‥。

あかりの最大の誤算は真実の愛を知ってしまったことでしょう。
でも、これを誤算と受け取るのか、幸せだったと受け取るのか、答えなど既に出ていますよね。
どこまでも普通で、不器用で、アンバランスで、危うい。しかもエロい。
こんな幸せで哀しいヒロイン、初めて出会いましたよ。

アオイトリは主人公・律の魅力も凄まじい。
思うのは「お前よくやったよ」ってこと。
メアリーと同じく、彼に対しても尊敬の念を抱きます。言葉にするととてつもなくチープですが、素直にそう思います。
心から感銘出来た主人公でした。

あかりルートのエンドは、”特別”に反逆することで”特別”になろうという計画の果てに自らの死を迎え帰結します。
悪魔が言うように、この発想こそがどこまでも”普通”で凡庸なもので、最後まで自分が生まれた意味や価値を見出せないまま、死による永遠でしか救われなかったという結果でもありました。

でも、ハッピーエンドに続く道はここから。
既にプレイヤーも知っている、とても普通で、きれいで、優しい女の子の話を少し変えて。
そして、母親の愛情と父親の愛情から「この世界が好きだ」の”言霊”につなげて。





★二人だけのカーテンコール

まずはこれ観ましょうか。
その方が伝わりやすい。

この世は舞台、人はみな役者だとするならば、二人だけのカーテンコールは完璧な終幕であったと思います。
カーテンコールを演じきったあかり。
そして、「幸せになりたい」という純粋な祈りが導いた本作最大の瞬間最大風速シーン。
このシーンのために物語が紡がれてきたと言っても過言とはならないでしょう。
めちゃくちゃ泣きました。
泣きすぎて死ぬかと思いました。

「二人だけのカーテンコール」の歌詞を読むと膝から崩れ落ちました‥‥。
第二幕、光浴び、最初の台詞は私の愛の言葉紡ぐに続く歌詞通り。

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「……そうか」
「そうだったんだ」
「私が、この世界に生まれてきたときに持たされた贈り物は、きっと、そういう”弱い人間の心”だったんだ」
(中略)
「とても弱い、普通の私……」
「……だからこそ、みんなの気持ちが分かるんだ」
なんだ……こんなに簡単なことだったんだ。
私が生まれてきた、意味。
私が生まれてきた、価値。
どこまでも迷うことがーー答えそのものだったのだ。

「それは、あるがまま」
「生まれて初めて、認めてあげられる」
「やっと、認めてあげられた」

「あかりトゥルー3」より引用

”普通”であるゆえに”特別”に反逆し、青い鳥を踏みにじることで”特別”になろうとした少女は、ようやく自分の弱さと”普通”を認め、この世に生まれてきた意味と、この世に生まれてきた価値を知りるに至ります。
ここがあかりルートと決定的に異なる点。
律を心の底から愛したからこそ、たどり着いたんですよね。
「私の幸せは、決断は、意志は、私のものよ」と。
自らに宿る新たな尊い命を犠牲にしたとしても「私が逝くわ」と。

「二人だけのカーテンコール」の歌詞とあかりの台詞、ふたつが同期してくような感覚。
ビジュアルノベルの最大火力に感情爆発して、まじで鳥肌たちました。
既に感情が昂って涙目なのに、ここからさらに畳み掛けられる展開へ。
もう何もかもが凄すぎた。

まず、あかりの手に入れた愛の大きさが凄い。
「愛されたい、愛したい」の答えが凄い。
それを母親として新たな命に語りかけるが凄い。
ああ、語彙力‥‥。
これは間違いなく”特別”なものですよね。
律への愛だけではなく、母親としての愛にも溢れている。
『青い鳥』で最大の愛とされる無償の愛です。
この世界に生んであげられないけど、幸せにしてあげられないけど、ごめんなさいと。
でも、選んでくれてありがとうと。

『それなら……いいかな……』
『あなたが選んだことなら……いいかな』
ぽつりとしたつぶやき。
『あなたは、今、幸せですか?』
「はい」

「あかりトゥルー3」より引用

祝福を運ぶ青い鳥へ、言葉で伝えられた奇跡。
ああ、アオイトリは神ゲーだなって思ったのはこの瞬間でした。
この時の気持ちは言語化すらできない……。
考えるより感じろです。
心を裸にして、あかりの愛のあるがままを見届ける。
自分にはそれしか出来なくて、そうすると涙が止まらなくて、無事に感情が崩壊しました。

時間が動き出し、律に抱かれ、愛に包まれたまま逝こうとするあかりの言葉は心に刺さります。
あかりルートの最後と同じですが、あかりが伝えた言葉ひとつひとつが、あかりの心情と共に伝わってくるんです。
同じ言葉なのに、言葉に宿る想いの受け取り方が全く異なりました。

©Purple software

世界で一番幸せだった。
いいえ、あなたに、世界で一番幸せになって欲しかった。

「あかりトゥルー3」より引用

あかりのありのままの心情はこの言葉がすべて。
あかりがどれだけ律を愛していたのか、どれだけ幸せだったのか。
そう思うと、アマツツミでほたるが言った「人を好きになること以上に大事なことなんて、なんにもないよ」を思い出します。
人を好きになるって、愛するって、そんなこと世界には幾らでも溢れています。
本当に幾らでも溢れているんです。
でも、そのひとつひとつが特別で、生まれてきた意味で、生まれてきた価値でもあったんだなと思わずにはいられません。
どうやっても、完全に気持ちがあかりに傾いてしまったので、普段ならむず痒くなるようなことでも素直に受け取れます。
物語が伝える想いの力って本当に凄いですよね。

そして終幕へ。
カーテンコールが幕を下ろす最後にこそ、あかりルートではたどり着けなかったハッピーエンドが待っていました。

「君に、伝えたいことがあるんだ。それは、一人の女の子の話なんだ。とても普通で、きれいで、優しい女の子の話なんだ。」

「あかりトゥルー3」より引用

全てが繋がったと鳥肌が立ちました。
ああ、そうか。物語を紡ぐ者がいなくなったからこそ、律は語り部となったんだなって。
だから「二人だけのカーテンコール」のムービーはこの台詞から始まるんだなって。
母親の愛情で祈りを伝えたあかりに変わり、今度は律が父親としての愛情をもって祈りを伝える。
君に選んで欲しいと。

「生まれ、この世界を生き、みんなに出会えた事だけは、幸せだと断言できる」
(中略)
「僕はみんなが好きで、みんなを幸せにしたい」
「君にも会いたい」
「君を幸せにしてあげたい」
「そのためにも、母親を救い、君に、生まれてきてほしい」
「それが願いだ」

「あかりトゥルー3」より引用

全ての想いを込めた律の願い、愛ですよね。
善も悪もある不完全な世界に生まれてくることを一度否定してカーテンコールの幕が下りる刹那に、両親から投げかけられた予想とは少し違う優しい質問。

「君は、この世界が好きかい?」
「あなたは、この世界が好き?」

『“この世界が好きだ”』

ようやく気付きました。
自分たちプレイヤーが何者だったのか。
そうか、”ボク”の半分は自分だったんだって。
この物語は律が主人公であり、あかりが舞台の主役であり、同時に語り部でもありました。
それをプレイヤーとして、”ボク”として観測していたって事ですよね。
しっかり考察しているわけではないので確証は無いですが、そんな気がします。

父親を殺してまでも、母親を生かそうとした新たな命。
たしかに自分はあかりに生きていて欲しいと願っていました。意志がありました。
なぜなら”普通で、きれいで、優しい女の子の話”を、この長い物語を既に知っているんですから。
だから最後の質問を肯定するしかないんです。
物語が伝えてくれた”幸せ”に惹かれるほど、世界はきれいだと、『この世界が好き』だと思わせられるんですよね。

ああ、なんて凄いんだろうと。
素敵なことなんだろうと。
たったひとつ、この問いをするためだけに、この物語があったんだと思ったら言葉がありません。

現実世界で『この世界が好きだ』という答えは、簡単に言えるものでは無いかもしれません。
でも、そう信じて生きるということが幸せの道しるべとなるはず。
これはアマツツミでの”言霊”です。
自分の決断を信じて前に進む。
人の善悪も人間らしさとして、不完全な世界として、そのありのままを受け入れる。
心の在りかたで世界は変わって見えてくる。
世界が輝きだす。

たった一言なのにあまりにも深く、なんて美しい言葉なのだろう。
自分にとってもいつか”言霊”にしたいと思えました。

このシーンを何度も読み返しましたが、ロジックとしても、感情としても、何より幸せというテーマに対しても完璧だったと思えます。
何度も言いますが、アマツツミのテーマも内包した完璧な流れでした。

©Purple software

ラストでは小夜ルートの律があかりに祝福を送りました。
後の流れは、どうやら御影さんがアマツツミよりさらに前に手掛けた『クロノクロック』を絡めているようですが、残念ながら未プレイ。
ここを意味を理解するにも近いうちにプレイしたいですね。
なにはともあれ、グランドルートとして素晴らしい幸せの答えだったと思います。


★受け取ったメッセージは

©Purple software

正直あり過ぎて絞るのに苦労します。ですが、全てを表した言葉は先に述べたように共通ルートでのメアリーの言葉でしょう。

『”幸せになりなさい 幸せにしなさい
あなたが生まれてきた意味は、その、たった2つの答えだけだから”』

これこそ、本作から受け取ったメッセージです。
物語を読み終えると、この言葉だけで泣けてきます。

このメッセージを深く読み解くには、メーテルリンクの『青い鳥』が重要なキーになってきます。
ここでいう生まれてきた意味とは、青い鳥のエピソードである「未来の国」の子供たちが生まれてきた意味と同義でしょう。

生まれてきたときに授けられる贈り物(ギフト)。
それはこの世界に対しての贈り物。
大きかったり小さかったり、形のあるものだったり、ないものだったり。
生まれてくる意味のあること。
生まれてくる価値のあること。
誰もが、必ずそれを持たされて旅をして、この世界へ生まれてくる。
生まれる時に忘れるだけで、誰にも必ずこの世界にいることの真実がある。

これを考えると、人生とは旅であるという喩えがとてもロマンチックに思えますよね。
生まれもった贈り物が何かを探しに人生を旅する。
つまり、生まれてきた意味や、生まれてきた価値は誰もが持つ”特別”なもので、それを探すことこそが人生であると。

その旅を豊かにするものが人を愛するということ。
根底にあるものは幸せになりたいという想い。
幸せにしたいという想い。
個人的な解釈ですが、メッセージはこんな感じでしょうか。
このメッセージはアマツツミのメッセージを補完するものでした。
2作のメッセージを合わせてみます。

”世界は幸せと祝福に満ちている”

そして、メアリーの言葉。

”幸せになりなさい 幸せにしなさい
あなたが生まれてきた意味は、その、たった2つの答えだけだから”


さらにメッセージはこう続くはずです。

”進め。あるがままに。幸せにのために”

なぜなら。

『この世界が好きだから』


アマツツミとアオイトリは対比構造とされましたが、テーマの芯は同じ。
2作を併せてメッセージを受け取れたことが本当に嬉しくて、アオイトリをプレイした価値があったと心から思えます。
だからこそ、2作は連作として合わせて楽しむべきだと強く思いました。
もしアマツツミをプレイしていない方がいたら、どうかプレイしてほしい。
アオイトリは間違いなく神ゲーでしたが、アマツツミも同じくらい神ゲーですからね。
素直にそう思いますよ。



■最後にまとめ

めちゃくちゃ長くなってしまいました。
もし全部読んでくださった方がいれば本当にありがとうございます。

では最後にタイトルについて考えていたことを。
初期タイトル画面、各ヒロイン個別ラストに出てくるタイトルロゴの色は赤。
そして、あかりルートのタイトルロゴは青。
これ、絶対に意味がありますよね。
青いタイトルロゴは青い鳥で解釈は明確ですが、赤い鳥や黒い鳥には様々な解釈があるようなので、はっきりとした答えが出ませんでした。
分かる方コメントお待ちしております。

さて、まだ解釈不足もあるので、もっと理解を深めて『アオイトリ』の素晴らしさを骨までしゃぶりつくしたいところですが、結局はライターの御影さんが言うとおり、せっかくのゲーム=娯楽なので、難しいことは抜きに楽しむが正解だと思います。
そして作品を好きになり、もっともっと理解を深めたいと思えばネタはごろごろ転がっているよってことです。
そう思えるのも良い作品だったって事ですよね。
素晴らしい作品との出会いは心の潤いであり、人生を豊かにする贈り物。
自分にとって本当に価値のあるものであった、幸せだったと断言できます。
この先にも新しい出会いを求めて、ビジュアルノベルの旅は続きそうです。

では最後に謝辞を。アマツツミの時と同様に心からの謝辞を。
心に潤いを与えてくれる出会いをくれたパープルソフトウェアの皆様、作品に関わられたすべての方に感謝を。
そして、このアホみたいに長い自己満足の塊のような感想にお付き合いくださったあなたにも最大限の感謝を。
ありがとうございました。

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