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視覚 -移住記

夕食の片付けもせず、期間限定という言葉につられてコンビニスイーツを買うかの如く、この時間を逃すまいとベランダから眺める景色に誘われる午後8時前。
小学校のグランドにはナイター用のライトが煌々と白く光り、遠くからでも虫たちの集会所になることが想像できる。
夕立を降らせた雲が役目を終え、伸びやかにピンク色のドレスを着て空を舞う今、西の街へ越してきて半年経ったことを考えた。
旅行者だったわたしが住人になったと感じたいくつかの観点にまつわる思いを書き記す。
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15時に仕事を終え、寄り道をしながら家に帰ってもまだ日は高い。
シュイーンと音を立て空気の中を掘って真っ直ぐ進む飛行機と、電子音かと聞き間違えるようなセミの声。
日陰で吹く風が丈の長いノースリーブの裾を揺らした。
懐かしい気持ちで部屋を見渡す。
がらんとしているキッチンには、朝食に使った皿が洗われるのを待っていた。

なぜ夏の日の暮れぬ夕方はこれほどまでにマーブル模様の気持ちを作り出すのだろう。
「何もしない」ということをしたくなり、暑いのに外の風を欲しがり、誰かと居たいのだけどひとりぼっちが好きになる。

学校がない代わりに子ども会のフットベースボールの練習があっった小学生時代の夏休み。
家に帰ると学校から帰ってくるよりは少し早いとはいえ夕方になっていた。
親が帰ってくる前の家は自分の特等席ならぬ特等家。
シャワーを浴びて、うとうとしながらアイスクリームを食べて、レザーのソファを独り占めするのが好きだった。
でもいつの間にか寂しくなって、家の周りを散歩して、亡くなった猫や犬たちのお墓のある裏山でしばらく時間が過ぎるのを待っていた。

それだけなのにそれだけという言葉がしっくりこない。
1年に1度しか味わえないものは特別で、感覚として永久保存される。
さらには保存容器の中で熟成され、年代物になればなるほど希少価値まで付いてしまう。

わたしのどこかに保存されていたそれは、夕方らしからぬ日の高さを維持する今日、汗で湿った足のうらが冷たくも温かくもないフローリングに迎えられたその時、箇条書きになった項目すべてにチェックマークが入ったと言わんばかりに容器から溢れた。

展望台を独り占めした心地で会社や学校から帰路につく人たちを見送る。
顔をあげれば少し先のマンションたちの隙間に数分間見える6両ほどの動く箱が淡々と人々を輸送していた。
これらの光景に加え、どこからか聞こえる皿の擦れる音や魚を焼く匂いは時間帯限定のいいオプションだなと思いながら、今日も賑わいをみせるであろう西の街の繁華街を想像した。
繰り出して知り合いと顔を合わせようかと頭をよぎったが、久しぶりに容器から飛び出してきた”それ”ともう少し一緒に過ごしてみることにした。

シャワーを浴び、まだ誰も帰ってこない特等家でレザーのソファに座る。
さっきの視覚情報は再び保存容器の中で熟成されることだろう。
そしてまたいつかの夏に保存容器から溢れる”それ”の構成要素の一部となるのだろう。

うとうとする目の奥には、小学生のわたしが西の街の我が家でレザーのソファに座り、アイスクリームを食べていた。

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