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嗅覚 -移住記

夕食の片付けもせず、期間限定という言葉につられてコンビニスイーツを買うかの如く、この時間を逃すまいとベランダから眺める景色に誘われる午後8時前。
小学校のグランドにはナイター用のライトが煌々と白く光り、遠くからでも虫たちの集会所になることが想像できる。
夕立を降らせた雲が役目を終え、伸びやかにピンク色のドレスを着て空を舞う今、西の街へ越してきて半年経ったことを考えた。
旅行者だったわたしが住人になったと感じたいくつかの観点にまつわる思いを書き記す。
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わたしは昔から匂いに敏感だった。
匂いに酔ってしまったり、潔癖症であったり、そう言った意味ではなく、嗅覚に頼ることが好きで、人や場所や出来事を覚えるためによく匂いを使った。
塗料と資材からパサパサと湧き上がり混ざった空間であるホームセンターの一角に作られたモデルルームスペースを連想させるような匂いだった我が家は、住まいが変わったことをわかりやすくわたしに教えてくれた。
同時にまっさらな土地でのスタートだということへの気持ちを高ぶらせるものでもあった。
家の間取りは2DK。
彼とふたりで暮らすのには広すぎず狭すぎず快適で、お互いの趣味やインテリアへのこだわりもかなり深い部分で似通っていたので、好きなものを好きなように配置していく楽しさですぐに全ての部屋がそれぞれの役割を持った空間へと進化した。

好きだった。
空間を作ることも、そこで暮らすことも。
でもできなかった。
家でくつろぐことが。

好きなものに囲まれて過ごすことと、その空間に自分が順応することは、どうも別の感覚を使っているらしい。
人間の中にある様々な分野での基準線は、テレビ裏に大量にうねるコードのように絡まりあい、ホコリがついたり外見が同じ色だったりするとどのコードがどの機材の配線であるのかが分からなくなるようだ。
部屋の隅々まで揃えたいものが溢れた部屋で、一緒に住む彼との関係だって良好。
しかし、暮らしをしているのではなく、外から自分の理想の暮らしを眺めていた。

いつからだろうか、自分が作った空間を眺めることが好きであったのが、自分がその空間を使うことが好きになった。
絡まったコードをきれいにほどき、抜くべき配線と挿すべき配線を間違えず行い、操作できたその時点がきっとあったのだろう。

気づけばホームセンターのモデルルームの匂いも消えていた。
完全に消えたのかわたしの鼻が麻痺したのか。
モデルルームの一部に自分がなったのか、自分の一部にモデルルームがなったのか。
はたまた、嗅覚に頼って覚えることをしなくても、この家がわたしの帰る場所として記憶されたのかもしれない。
ただひとつわかることは、今日も家のベランダから夜空の星を見て、朝は道向かいの家の屋根に貯まる水を飲みに来るカラスと顔見知りになったこと。
西の街への旅行者であったわたしは、こうして西の街の住人になる。

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