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聴覚 -移住記

夕食の片付けもせず、期間限定という言葉につられてコンビニスイーツを買うかの如く、この時間を逃すまいとベランダから眺める景色に誘われる午後8時前。
小学校のグランドにはナイター用のライトが煌々と白く光り、遠くからでも虫たちの集会所になることが想像できる。
夕立を降らせた雲が役目を終え、伸びやかにピンク色のドレスを着て空を舞う今、西の街へ越してきて半年経ったことを考えた。
旅行者だったわたしが住人になったと感じたいくつかの観点にまつわる思いを書き記す。
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澄み切った空気が浮かび上がらせた冷たい光。
風の気分で見え隠れするそれは
目に見えればそれが冬の大三角と呼ばれる星であると確認でき、隠れれば今日はなかったものとなる。
三つ目の背の高い柱がウインクし、列を成した車は一同に加速した。
耳に直接注がれた音は足を持ち上げるためのガソリンの如く全身にゆっくり浸透する。

人と会う予定があった今日は、珍しく バス/徒歩 という交通手段を選んだ。

西の街はバスの本数が多く、利用する人もかなり多い。
移住するまでは 車/自転車 が主な交通手段だった私にとっては バス/徒歩 という選択肢があるのは街の特徴の一つだ。

耳は私より早くそれに対応していた。
進みながら足が地面に着地することを体感するのは直接振動が感じられる徒歩ならではのこと。
浮遊する体が着地し、無作為な方向に気が逸れ、目に入るもののスピードと前進するスピードがずれないという、発見と思考の連続動作が行える唯一の交通手段。
そのバランスを捕捉するように耳に入るエネルギーを自然と選択していたことに気づいたのは、意外にも最近のことだった。

何もハンドルを握る必要のない手は風に揺れる葉のように宙を舞い、音は自由に階段で遊ぶ子供のように感情豊かに上にも下にも駆ける。
少しだけゆっくり歩きたくなるのは、足の着地と音の着地が同じ歩幅だから。

右の車が風を切り独占した夜道を自分だけのものにして走る。
あの車内はきっとエネルギー消費の激しさに合った音が次から次へと山積みになっていることだろう。
左ではキラキラした石の断面がこちらを振り向く。
更地に座るその石たちが明日にはコンクリートに埋まってしまわぬことを心のどこかで願いながら次の音を選んだ。

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