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PEDRO新作フルアルバム、アユニ・Dオフィシャルインタビュー


Photo by 小杉歩
Interview & Text 宮崎大樹

PEDRO
New Album「赴くままに、胃の向くままに」
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アユニ・D


-これまでのアルバムは、BiSHとPEDROという二足の草鞋を履いた状態での制作でしたけど、今回はBiSH解散後初のPEDROのアルバムが完成しましたね。

アユニ:はい。曲によってはBiSHをやりつつというものもあったんですけど、本格的に制作にのめり込んだのはPEDROのみで生きていくようになってからですね。

-そういう意味では、制作時の気持ちの面がまったく違ったんじゃないですか?

アユニ:違いましたね。BiSHをやらせていただいているときは、本当にありがたいことに毎日怒濤の日々で、目まぐるしくて常に生き急いでしまっていて。自分が一番下っ端というか、最後に入りましたし、一番年下というのもあって常に追いかけることに必死で、そのなかで制作していたんです。今回BiSHの8年間の歴史に終止符を打って、ひとりで巣立ち、旅立った途端に自分がわからなくなってしまって。“忙しい”という漢字って、”心”を”亡くす”って書くじゃないですか? まさにその通りで、心を亡くしながら8年間生きてきてしまっていたんですね。そこからPEDRO一本になったときに、初めて自分の心と向き合うということをして。そのときは“人生大革命期”だと大声で言えるほど、模索して迷って冒険していた期間でした。その期間に今回のアルバムを制作していたので、探検中に書いたんだろうな、という作品になっていますね。自分の暮らしの変化とか、人間性の変化とかがあって、精神を研ぎ澄ましすぎてよりダメになっちゃうこともここ数ヶ月はたくさんあって。そういうことも今回のアルバムには生々しく出ているなと思います。

-北海道にいた何者でもない少女がBiSHに入ったときが最も大変だったと思いがちですけど、忙しすぎて、心を亡くして、つらさを感じる余裕もなかったんですか?

アユニ:いや、めちゃくちゃつらかったです。正直8年間ずっとつらかったですけど、もちろんライブしているときとかお客さんと触れ合える時間とかは、ものすごく美しい時間で、唯一自分の中で煌めいていた時間でした。でもそれ以外の時間は何もなかった。BiSHでいるときこそ自分が何者かわからなかったですね。それが一番つらかったです。

-それでも頑張ってこられたのはなぜですか?

アユニ:やっぱり清掃員の方々の存在と言葉と、あと自分はメンバーとか身近にお世話になっている方々の向上心に憧れてBiSHに入ったので、どれだけつらくてもライブとかをすると人生って美しいなと思える瞬間がたくさん散りばめられていて。なので、乗り越えようと思って乗り越えたわけじゃないですけど、救われながらやりきれたという感じです。あとは単純に自分が弱すぎて、逃げるという選択肢がそもそもなかった。私はおうちが裕福ではなくて、でもすごく愛されて自由に育ててもらったんですけど、そんななか“BiSHに入りたいから東京に行きたい”と言ったら、“あゆのことを信じてるよ、好きにしなさい”と言って、すぐ東京に出してくれて。すごく好きだったアーティストであるBiSHに自ら入り込んで、そこから逃げるというのがむしろ怖かった。なので、つらくなったときにやめたいという欲望はありましたけど、でも逃げる勇気がなかったのは事実ですね。

-それでも清掃員やメンバー、関係者の力に支えられてやりきることができたと。それからBiSHが解散して自分探しをするようになって、今はその答えが見つかっているわけですよね?

アユニ:そうですね。ただ、自分探しをして自分が見つけられたかというと、ちょっと違くて。本来の自分に還らせてもらえた感じなんです。PEDROチームの方々とか、ファンの方々とかの優しさに触れて、本来の赴くままの自分に還らせてもらえたというのがすごく大きいですね。

-PEDROの活動が人間としてのリハビリみたいになっている。

アユニ:本当にそうですね。ごもっともです。


-だからこそ、このアルバムは人間らしい作品だなと思いました。制作を振り返ってみて、楽しかったこと、苦しかったことを聞かせてください。

アユニ:楽しかったことは、私の音楽の原点であり頂点である田渕ひさ子さんと、漆黒の、暗黒の中学生活を救ってくれていたヒトリエのゆーまおさんと一緒に音楽の制作をできていることが至福でした。あのふたりの音楽への情熱と探究心が深すぎて、毎度毎度ものすごく勉強になっていましたし、人間性もすごく魅力に溢れているふたりなので、そこに触れ合えている時間が本当に楽しくて素晴らしいものでしたね。誰かと一緒の空間で制作している時間は常に楽しいです。苦しかったのは、部屋で自分に向き合って歌詞を書いたりしていた時間。まだ迷路にいたので、そこが悲しかったというか、模索していたなって。

-作詞作曲期間は生みの苦しみがあった。

アユニ:ありましたね。正直に言えば、自分はなんのために音楽をやっているんだろうということもBiSHをやっていくなかで考えられたことがなくて、とにかく目の前にあるものだけ、用意されたものだけを必死にやっていくだけだったんです。改めて自分がゼロイチを作る人間になる、表現者になるにあたって、“自分はいったい本当は何を書きたいんだろう?”、“自分の心は何をしたがっているんだろう?”って。そこは苦しかったですね。でも、そこで挫けずに自分を見つめ直すことによって、今はようやく自分のことを把握してきました。それで挑戦してダメだったら、また何がダメだったのかを把握して、整えてというのができるようになったので、今は解放された気持ちです。

-歌詞は珍しく直しが多かったと聞いていますけど。

アユニ:はい(笑)。自分が大きく変化する時期ってやっぱり大変で、自分に向き合おうとすると一回自分を完全に見失うんですよね。そのときにいろんな本を買って、ビジネス本から哲学書、先人の知恵とか、あとは音楽の本、生命の本とかを漁り尽くして、得た知識を一回全部自分で試したんですよ。そうすると、そのことに縛られすぎて自分を見失ったり、そのことしか考えられなくなったりして、自分がおかしくなっちゃっていて。その時期にもこの作品の歌詞を書いていたので、今思えば“なんであんなこと書いたんだろう?”ということがたくさんありました。いろいろインプットしたことをやってしまった結果、自分のことを苦しめて縛りつけながら音楽に落とし込んでしまっていて。で、そこを救ってくださったのが赤窄(諒/A&R)さんでした。和尚さんというか(笑)。

-和尚さんって(笑)。

アユニ:(笑)私にとってのスティーブ・ジョブズ、ウォルト・ディズニー、ココ・シャネル、イーロン・マスクで。常に一対一で向き合ってくださって、“あ、これは違ったな”、“これは自分に良くなかったな”とか、ようやくどんどん気づいていきました。赤窄さんが向き合ってくださったなかでの気づきもあったし、自分の中での気づきもあって。そこでようやくいろんなものから解放されて、歌詞を書き直しましたね、

-赤窄さんと向き合って話をしていたときに、どんな言葉がアユニさんに影響を与えたんですか?

アユニ:生まれて初めて自分の本心を話したのが、ちょうどこのタイミングでの赤窄さんとのお話だったんです。家族にも話せなかったこととかもお話できて、いろいろなお言葉をいただいたんですけど、ものすごく救われた、“あ、この言葉が欲しかったんだ”と解放されたのは、“過去のトラウマとか、今苦しんでいるつらいことにエネルギーを注ぐのはもったいないので、好きなこととか大事にしていることに、私の赴くままに生きていっていいと思います”みたいな言葉で。それですごく解放されましたね。“バンドマンだったらこうじゃなきゃいけない”とか、“これだったらこうじゃなきゃいけない”というのが自分の中にあったんですけど、それをすべて解き放ってくださったというか、もっと自由に生きていいんだということを教わりました。それがすごく大きかったです。

-そうして気持ちが軽くなったことで、アルバムの制作が加速し始めた。

アユニ:そうですね。“自分がうまくいかないところとか、苦しんで足を踏み出せないところとかは僕たちがうまくやるんで”って赤窄さんと小嶋(はるか/マネージャー)さんが常に言ってくださっていて、そこは本当にありがたかったです。その言葉がずっとお守りになっていて、怖いものがなくなってすべて楽しくなって、歌詞を書くのも今までに感じたことがなかったくらい言葉が満ち溢れてきたりしましたね、びっくりしました。それはツアー中のことだったんですけど、それ以降からライブも一気に大地が広がったような解放感があって、音楽の素晴らしさと人の生命の美しさみたいなものが満ち溢れながらライブができるようになったんです。

-アルバムの全体像として表現したかったことは、そういう経験を経て気付いた自分の大切にしていることですか?

アユニ:はい。本来の自分の信念みたいなものが見つかって、それをぎゅっと詰め込んだ作品になったと思います。誰かの何かに少しでもなって、誰かの煌めきになりたいとか、この作品が誰かの御守りなりますようにとか、音楽で地球貢献したいという信念が見つかって。それはすべて詰め込められたなと思っています。

-これまでの作品も、そのときのアユニ・Dがそのまま作品になったようなものだと思うんですけど、今回もそこからずれていなくて、今のありのままが出ているんですよね?

アユニ:そうですね。私がPEDROで作っている音楽は、常にそのときの私の鏡になっているので。

-自分探しの結果として本来の自分に還れたということは、今までの作品の中で本来のアユニさんが持っているものが最も表れている。

アユニ:そう思います。ただ、常に今が一番本来の自分なんです。今日は本来の自分だなと思って、明日を迎えるとまた“これは違った、これが気持ちいい”という気づきが毎日あって。でも、このアルバムは今の自分に一番近い、私という人間の作品になったと思います。

-私はこのアルバムから、優しくて温かくて、でもちょっと危うさがあるような印象を受けたんです。なので、きっと本来のアユニさんはそういう人間なんでしょうね。歌詞としては、歌詞でありつつも日記を読んでいるような感覚がありました。

アユニ:まさしくそうですね。ちょっと日記すぎて反省しているところがあります(笑)。自分探し中、人間見習い中に作ったので、自分のことしか書いていなくて。だから万人に届くかといったらちょっとそこは反省点でもあったりするんです。赤窄さんからも言われていたんですけど、気づかなかったんですよ(笑)。この作品を作り終えた今だからこそ思えることがたくさんあって、だからこそ次をまた作るのがすごく楽しみなんです。

-PEDROだけのアユニ・Dになったからこそ、今の自分を知ってもらう作品になっているというのは、このタイミングならそれはそれでいいんじゃないですか?

アユニ:そんな言葉をいただけると救われます。名刺だと思っていて。

-万人に届くかどうかという言葉がありましたけど、サウンド面やジャンル感で言うと、とても幅が広いじゃないですか? だからこそ、誰にでもどれかの曲は刺さるだろうし、今までの作品の中で一番広く聴かれる作品になったんじゃないかなと思うんですよ。

アユニ:そうですね、そうなっていただけたら。自分がリスペクトしているバンドマンの方々、アーティストの方々にアレンジしていただいたりとか、BiSHのサウンドでも大好きな音楽を作っていた方にアレンジしていただいたりしていて、私だけの脳みそじゃ作れない、いろんなパワーが宿ってできた作品なんです。そのぶん、もっともっといろんな方に届いてもらえるのではないかなと思っています。


-今回のアルバムは、いくつかの新しい試みをしている作品でもありますけど、最初にいわゆるオーバーチュアを入れたのは初めてですよね。これは誰のアイディアだったんですか?

アユニ:自分ですね。1曲目は“還る”というタイトルの通りに、本来の自分に還れるような曲で。人間って結局のところ動物とか植物とかと一緒だと思っているので、“野生児に還る”というイメージでひさ子さんに作っていただいた曲です。だから、ちょっと民族楽器っぽいサウンドを入れいただいたりして、山で踊っているようなイメージで作っていただきました。この曲を聴くと、いろんな囚われや苦しみから解放されて、裸足で生きているような感覚になりますね。

-3ピースの楽器ではない音が鳴っているのもポイントですよね。

アユニ:今までは3人の生音だけでやってきたんですけど、PEDROでできることの幅をより増やしたくて。今回はもっと音楽の幅を広げたいと思っていたんです。でも、PEDROの3ピースのシンプル且つ危なっかしい、でもすごくカッコいいサウンドも残したかったので、それを混合させていきました。

-そんな「還る」で野生児に還って、2曲目の「グリーンハイツ」で走り出すわけですね。この曲ではドミコのさかしたひかるさんが参加していて。

アユニ:ひかるさん! 圧倒的な“ひかるサウンド”でございますね。ドミコのライブは何度も拝見しているんですけど、なんであんなにひかるさんの音楽は説得力があって、異次元にカッコいいのかを、この「グリーンハイツ」と次の「春夏秋冬」を一緒に制作していて理解しました。たぶんひかるさんって、野生児の心が音楽に溢れているというか、ずっと工夫をして、自分がどの音楽をやっているときが気持ちいいのかを常に考えている方なんです。レコーディングのときにも一緒にいてくださったんですけど、歌詞も一緒に考えてくれて、それがもう楽しくて。奇想天外な方なのですごくおもしろかったです。

-この曲の歌詞はどんなところから生まれたんですか?

アユニ:人間見習いの真っ只中の状況を書きましたね。“グリーンハイツ”は、おうち、自宅というものの名詞として使っているんです。家でひとりでもがき苦しんでいた暮らしを書きました。どれだけ自分が苦しんでいても地球は回り続けていて、そこへのもがきと希望を書いたんです。

-疾走感のある楽曲なので、そういう意味で実質的な1曲目として置いたのかなと思っていたんですけど、アユニさんが自分探しをして、もがいていた時期という意味でも曲順に理由があるんですね。

アユニ:そうですね。(曲順は)音楽面での聴き心地が優先的ではあったんですけど、今おっしゃっていただいて、きっとそういう意味も潜在意識にあったんだろうなと気づきました。

-そして間奏のギターもドミコ節全開でカッコ良くて。

アユニ:超カッコいいですよね。それをひさ子さんがもう一回弾いているという、こんな異質なことが現実にあっていいのかというコラボです。自分にとってはたまらないですね。


-次の「春夏秋冬」もギターのリフが素敵で。こちらは最近のPEDROらしい温度感がある優しい曲だなと。

アユニ:自分の一番やりたい音楽ができた1曲だと思いますね。温度感はいつだって忘れたくないというは自分の中にあるので、もしかしたらそれが特に伝わりやすい楽曲なのかもしれません。

-この2曲に関してはサウンドアドバイザーとしてthe telephones / Yap!!!の石毛輝さんも参加しているんですよね。

アユニ:そうなんです。ひかるさんがいつもご自身のバンドの制作を一緒にやられている石毛さんも今回レコーディングに一緒に入ってくださいまして。石毛さんとひかるさんのタッグは信頼感が溢れているのがすごくわかるんです。ふたりでひとつひとつの音に対して深く追求してくださいましたね。

-具体的に石毛さんはどういう役割を担っていたんですか?

アユニ:音作りを一緒に考えてくださったり、ベースラインをひかるさんと一緒に考えてくださったり、かなり濃く曲を一緒に作ってくださいました。あと、ふたりともメンタル面をすごく考えてくださる方で、それが本当にありがたくて。こんなにメンタル面のことを考えてくださりながらレコーディングしたのは人生初めてだったので、そこもすごく救われました。切羽詰まらないで、音を楽しみながら音楽を作るってこういうことなんだなと思いましたね。

-歌詞は四季を歌ったものになっていますね。

アユニ:始まりがあったら終わりがあるように、朝が来て昼が来て夜が来て、また朝が来てくれるように日々が巡っているからこそ、つらかったことも長く続かないし、すぐに乗り越えられるんです。自分が本来の自分に還れるのも四季が巡ってくれるからこそで。今までの私のストレス発散は、暴飲暴食したり、買い物したり、誰かに執着してそこで安心してしまったり、そういうことで快楽を覚えてしまっていたんですよ。でも、この制作期間に自分と向き合っていくなかで“自分が一番満ち溢れるときってなんだろう?”と考えたときに、 “自然に身を置いているときに一番自分が満ち溢れるんだ”ということに気が付いたんです。そこから、季節とか動物とか植物とか、もちろん人への愛情も満ち溢れてきて、それをこの曲にしました。

-なんだか精神的に健康になりましたね。

アユニ:本当に健やかです。心の安寧を取り戻しましたね。


-続いて4曲目の「洗心」は日本武道館公演と同じタイトルですね。これは曲が先にあったんですか?

アユニ:いえ、武道館のタイトルが先にあって、そのための曲を作ろうと思って作った曲です。心の洗濯ですね。デモ自体はもう4、5年前、曲作りを始めたぐらいのときからあったんです。当時の私はあまりお気に召してなかったんですけど、赤窄さんが“これはいい曲になるから取っておこう”とずっと言っていて。私がどんなに“嫌です、これは絶対にやりません”と言っても“いや、これは大事にしていたら届くタイミングがある”と。今までずっと温めてきた昔の楽曲に、歌詞を書き直して今の自分を投影したものですね。

-心の洗濯という言葉から感じるように、歌詞も歌も柔らかいですよね。

アユニ:ありがとうございます。もちもちな心が一番好きなので。

-先ほど少し触れていましたけど、3ピースの音に固執しなくなったことがこの曲でも表れていますよね。鍵盤みたいな音が鳴っていて。

アユニ:そうですね。何かに固執する、何かに執着する、何かに囚われるということから全部解放されたくて。この曲は煌めいた楽曲にしたかったですし、聴いていてPEDROがパワーアップしたことがわかりやすく届くように、新しい試みをしました。

-また「音楽」という曲には、ネクライトーキーの朝日さんがアレンジで参加しています。たしかヒトリエと同様に、ネクライトーキーも学生時代から聴いていたんですよね?

アユニ:中学生のころから聴いていましたね。ネクライトーキーとヒトリエは、陰キャのスーパーヒーローみたいな2大巨頭なので嬉しいです。

-朝日さんとの制作はどうでしたか?

アユニ:今回は朝日さんらしくご自由に、好き勝手に作ってくださいという願望でアレンジしていただきました。陰キャのスーパーヒーローなので、朝日さんも平然な顔をして生きているけど、きっと心の中ではいろんなことと戦っていると思うんです。それを音楽としてアウトプットしているから、朝日さんの楽曲を聴くと強くなったような気がするんですよ。朝日さんの音楽にたくさん救われてきたので、朝日さんが作ったサウンドに歌詞を入れるにあたって絶対に“音楽”をテーマにしようと決めたんです。なので“音楽”というそのままのタイトルをつけて、私がライブをしているときの感情、状況をそのまま歌詞に落とし込んだりしました。

-“私の瞳今、燦きで溢れてる”という歌詞から幸福な様子が伝わってくるなと感じていたんですけど、それはライブをしているときのアユニさんの心情だったんですね。朝日さんと制作したことで、また新しいPEDROを見せられる感覚があるんじゃないですか?

アユニ:もちろんございますね。今の私はだいぶ素直になれたんですけど、昔は世界とか社会を斜に構えて見ていて、そのときのちょっとパンクっぽさみたいものを肯定しつつ歌える曲という感じがします。なけなしの金でも人生楽しいと思えば楽しく生きていける、みたいな。今回は温かい朗らかな楽曲が多いなかで、そういう遊び満載な、楽観的なPEDROの顔を出せたのではないかなと思っています。

-そしてアルバムは6曲目の「ナイスな方へ」からひさ子さん編曲のゾーンになっていきます。「ナイスな方へ」では今年の抱負として掲げていた言葉が楽曲になりましたけど、アルバムの中でも特に肩の力が抜けた曲だなと感じたんです。

アユニ:たしかに強張っていない、力まないで作れた曲ですね。

-“生活はこどもみたいに/暮らしは大人のように”という言葉が印象的で。

アユニ:子供みたいに生きすぎるといろいろ問題が生じますし、大人の社会に縛りつけられすぎて生きていると、それもそれで問題が生じて苦しくなってしまうんですよね。子供と大人を経験できている今だからこそいい塩梅で、本当にナイスな方へ行きたいなぁという曲ですね。野生児、子供のような生活をして、大人になって知識も経験も豊富になって、それをちょうどいい塩梅で生きていきたいなという。

-この曲に限らず、ひさ子さん編曲の曲は、いつのまにか“THE PEDRO”の楽曲を聴いている感覚になってきました。

アユニ:そうだと思います。PEDROはひさ子さんなしでは考えられないですし、PEDROの神様はひさ子さんだと思っているので、ひさ子さんが生んだものと言ったら語弊があるんですけど、本当にありがたいです。

-「清く、正しく」はなんでもない日常が音楽になっていて、以前アユニさんが言っていたように、生活のすべてがPEDROに繋がっているんだなと感じました。

アユニ:ありがとうございます。これも本来の自分に還るまでの道中を書いた曲なんですけど、日常過ぎて誰かに届くかどうかわからないというのは、こういうところなんです(笑)。

-キックボードで街を進んでいく様子は情景が浮かんでいいですね。

アユニ:これは、自分のことがわからなくなったときに、深夜というか、3時とか4時とかに最寄りの駅の商店街をキックボードで走り回るみたいなことをやっていたときがあって。

-え? これリアルなエピソードなんですか?

アユニ:そうですね(笑)。逃げ出したいけどどこにも逃げ出せない日は、うちの周りを走り回るしかない、みたいな。わりと衝動的でリアルなことですね。

-深夜の商店街でアユニ・Dがキックボードで走り回っている光景を見たらなかなか衝撃的ですけど(笑)。それっていつごろの話ですか?

アユニ:BiSHのころもですし、終わってからもやっていましたね。仕事とかプライベートとか、そんなものはないんだ、暮らしがすべて音楽だって気づいてから、こういう曲を書けるようになったと思います。

-今回のアルバムは作品を通して温度感があるんですけど、「赴くままに」も温かいミドルチェーンになっているので心地よく聴ける曲ですね。“誰かを救いたいなんてとんだわがままは言えないや”から“あなたを救いたいなんてとんだわがままを言わせてよ”、さらに“勝手に救われてくれるのを祈るしかない”という心の変化がいいなと。

アユニ:こういう祈り、願いで音楽をやっていることをしっかり自覚したときに作りました。BiSHのときは陰キャで陰湿な自分が嫌で、ゆえに人見知り特有の承認欲求みたいなのがあって、だから“キラキラしたい”みたいな欲望だけで音楽をやっていた部分があって。でも、BiSHを続けてPEDROが始まって、PEDROをやっていくなかで、私は音楽が本当に心の底から好きで、欲望でやっているわけじゃないんだということに気づいたんです。“私は音楽に救われて、音楽をお守りにするようになってから音楽がすごく大事な存在になっているので、自分もそう思ってもらえるような存在であれば、誰かの人生がよりいい方向になるのではないか”とか、そういうことを考え出したときに書きましたね、これがすべてです。

-誰かを救うということに対して、わがままと捉えつつ、でも救いたい、救われてくれるのを祈るしかないという、葛藤のようなものがとても伝わってくるんですよね。そして、アルバムの最後では“余生”にまで考えが及んでいるという。

アユニ:この境地に来られました(笑)

-虫の声など環境音があるなかアカペラで歌っていく導入でまず引き込まれましたし、全体としてポジティブな曲ではあるんですけど、少しの危うさが奥底にあるような感じがして。そこに人としての深みがあっていい曲だなと。

アユニ:これは最後に作った曲ですね。導入の自然音はエンジニアの上條(雄次)さんが入れてくださいました。上條さんが私とPEDROと一心同体になって作り上げてくださったなかでこういう曲にしてくれたんです。自分は今自然がすごく大好きなので、鈴虫の音とか生活音とかが私の中で本当に宝物のようなんですよ。それが自分とリンクしすぎて、美しさの世界を広げてくださいました。ちなみに、下高井戸の公園らしいです(笑)。

-余生というテーマを曲にした理由はなんだったんですか?

アユニ:今まではずっと“明日なんかくるな”と思っていて。とにかく夜が過ぎるのが嫌だったんですよ。でも自分と向き合う時間を作り出して、ようやく自分のことがわかるようになってきたときに、朝が来るのがすごく楽しみになって。その価値観が希望に変わったのが自分の中でものすごく革命的でした。例えばですけど、昔は絶対に子供を作りたくない、自分の遺伝子なんかこの世に残してはいけない、残したくない、歳を重ねるのが怖いって、未来に生きる勇気がなかったし、未来の光も見ていなくて。でも、この制作期間でいろんなことをしっかり見つめるようになってから、未来に長生きしたくなったんです。いろんな囚われから解放されて生きていくと、怖いものがなくなるんですよ。寿命が来るのも怖くなくて、死ぬことも楽しみなんです。それで未来への光、未来への祈りを“余生”という言葉で表して、この1曲にしましたね。もしかしたらいつか朝が来なくなっちゃうかもしれない、自然が当たり前で絶対的なものではないということを感じるようになったので、“明日の朝が来てくださいますように”という未来への希望と、自然への光を曲にしました。

-死ぬことも楽しみという境地はすごいですね。それこそ和尚さんと話している気分になりますよ。

アユニ:(笑)自分の中で悟りを開くのが好きなんです。それが楽しくて楽しくて。

-ここまで話を聞いてきて、本当にいろんな心の変化があったからこそ、このアルバムが生まれたんだなとわかりました。そんな作品に“赴くままに、胃の向くままに”というタイトルをつけたのはなぜですか?

アユニ:身体も心も強張らずに、安心して安全に生きていける世界であるようにという祈りを込めて、このタイトルにしています。緊張したり怖がったりしたときって、胃がキュってなっちゃったり、体の筋肉が力み過ぎちゃったりしてしんどいじゃないですか? だから、自分の心の言うことを聞いて、自分の身体の言うことも聞いて、動きたいときに動いて、心がときめくことにたくさん触れ合っていくということを表現しましたね。肉体と魂ですよ、人間にとって一番重宝しなきゃいけないものは。


-話は変わりますけど、日本武道館公演が終わって、このアルバムがリリースされたらもう2023年が終わり近づきます。今年の年末年始はゆっくりできそうですか?

アユニ:前年に比べたらとてもとてもゆっくり過ごせると思います。こんなに切羽詰まらない生き方を生まれて初めて経験できていて、人間って本来こうあるべきなんだなぁってすごく実感していますね。忙しすぎたら人はダメになりますし、自分もそうなっていたので。今は毎日楽しい、毎日最高の日々なので、最高の年末になると思います。

-2023年はナイスな方へ行けたんですね。

アユニ:行けたと信じたいです。己をいたわり、そしてそれにたくさん向き合ってくださって、救ってくださって、私を見捨てないでいてくださった周りの方々に感謝の1年でしたね。人生大革命の2023年でした。

-来年も楽しみですね。

アユニ:楽しみです! 生きることが楽しすぎて。やりたいことがいっぱいありますし、世界は日々煌めいていますし、周りの方々、PEDROの音楽に出会ってくれている方に、目いっぱい“恩送り”をしたいですね。

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