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なぜ『グリニングバレー』でなく『ニヤニヤ谷』なのか——ゲーム翻訳者の考察

アークナイツの新イベント、原題『去咧嘴谷』の邦訳に疑問を持つユーザーが多いようなので、ゲーム翻訳に携わる人間として分かること、そしてローカライズの際に問題となったと想像できる点をここに書いてみようと思う。


ユーザー目線での話

まず最初に、ユーザーと翻訳者の間の視点の差異について説明したい。

多くのアークナイツユーザーは自分を含め、先行する大陸版の情報を取り入れていることが多い。そうした場合、入ってくるのは一部の有名な発信者によって「すでに日本語に訳されている」情報だ。今回の場合で言えば、『去咧嘴谷』は最初からそうした「有名発信者によって付けられた」『グリニングバレーへ』という仮題ありきの状態で日本に情報が入ってきていることになる。もっとも、今回の場合はそもそもイベントの副題が"To the Grinning Valley"なので、それは当然のことと言える。

そのためにユーザーたちは、『去咧嘴谷』=『グリニングバレーへ』という認識をすでに持ったまま、グローバル版に実装されるのを半年間待つことになり、その間にそうした認識はユーザー間へとどんどん浸透していく。これはアークナイツに限らない話だが、海外のゲーム情報を発信する人たちは基本的にマルチリンガルで言語の才に秀でた人が多く、彼らが生み出す訳のセンスの良さがこういった事態をさらに加速させることも多い。

と、ここまでがユーザー側の視点から見た『去咧嘴谷』のローカライズに対する「予想」だ。次は公式の翻訳者が実際にたどる思考のルートを——と言っても割と人それぞれではあるのだが——説明してみたいと思う。

翻訳者目線での話

さて、まず筆者は「英日翻訳者」なので、中国語が分からないし、大陸版の内容を知らない、という点は明確にしておきたい。それを念頭においた上で、以下を読んでほしい。

翻訳者が『去咧嘴谷』の邦訳を考える時、まず注目するのは『咧嘴谷』という『固有名詞』だ。ゲームに固有名詞が出てきた場合、翻訳者はそれがゲーム内においてどのような意味を持ち、どういった役割を果たすのか正しく理解した上で訳を選ばなくてはならない。

今回の場合、タイトルにも含まれたこの意味深な名称は、おそらく物語において鍵となる地名であると推測できる。そこに込められた意味がプロットにおいて重要な役割を果たすと想像できるのだ。つまり『咧嘴谷』を正しく訳すには、まずはストーリーの全貌を知らなくてはいけない●●●●●●●●●●●●●●●●●●●ということになる。

ストーリーを読みこみ、『咧嘴谷』に込められた「意味」とそれが持つプロット上の「役割」を理解した翻訳者は、その両方を満たせる訳を考えなくてはいけない。今回の場合は『グリニングバレー』がそれに当てはまるのかどうか、ということを考えてみよう。

『グリニングバレー』の是非

まず真っ先に分かるのは、『グリニングバレー』の語感の良さだ。また副題にも使われているため、採用した場合に開発/シナリオライターが想定した意味合いから離れる可能性も少ない。

だが『グリニングバレー』には致命的な欠点がある。それは「グリニング」が一般的に日本語として通じる英単語ではない●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●ということだ。そしてこれは三つの大きな問題を生み出す―—二つはローカライズ上当たり前の、もうひとつは(個人的な推測ではあるが)アークナイツ固有の問題だ。

問題その1

一般的に日本語として通じる英単語ではないということはどういうことか。それは単純に、読んだユーザーに意味が伝わらないということであり、ローカライズとしては基本避けるべき事態だ。ゲームのシステム名や固有名詞など、どうしても「カタカナ化」から逃れられないケースはあるものの、今回の場合はそうではない。もし英語を使うのであれば妥協して『スマイリングバレー』といった他の名称にする他ないが、これでは副題と並べた時にどうしても違和感が出てしまうし、あまり美しいとは言えない。加えて"smile"スマイル"grin"グリンではニュアンスが異なるため、本来の意味から離れてしまう可能性もある。

問題その2

さらに『グリニングバレー』単体では意味が通じない可能性が高いため、翻訳のどこかで、それを補足するための一文を入れなくてはいけなくなってしまう。これは字面から想像する以上に困難な事態だ。テキストそのものを、そしてゲームのテキストを扱うシステム、テキスト周りの演出を破綻させることなく一文を追加するというのは、とてつもなく難しい。

単純に文字数が増えれば、それはテキストボックスの枠からはみ出る事態になってしまうかもしれないし、そうなれば区切って、テキストの更新回数を増やす必要が出てくる。そしてそうなれば、テキストに合わせて行われる演出——キャラの立ち絵や表情の変化、人物の入れ替わりなどを、開発側●●●が調整しなくてはいけなくなる。それもアークナイツで使えるいくつもある言語の中から、日本語だけのために、だ。そんな要求を翻訳者が開発側にするのはほぼ無理と言っていい。

問題その3

そして最後に、アークナイツ特有の問題が立ちはだかる(繰り返しになるが、あくまで個人的な推測だ)。それは「言語」が、「アークナイツ」という物語の中心にある要素の一つだという点だ。

アークナイツにおいて「世界」という言葉は、古代言語にその影を残すのみ

上の画像はその最たる例だ。テラのほとんどの人々とって、『世界』とは自分の生活圏の土台であり、地平線で途切れる『大地』でしかない。ゆえに、テラで『世界』という言葉を残すのは、古代言語であるサルカズ語や原始的な言語であるサルゴン語しかないのだ。この設定は、あらゆるテキストで徹底して守られている。

アークナイツに存在する国々や地域は、それぞれ独自の言語を持っている。我々ユーザーが読むテキストは日本語だが、そこで喋っているキャラクターは、みな土地や出自に応じた言語を使っている。

つまり、『グリニングバレー』という日本語で意味が伝わらない名称を使いそれを補足する一文を追加した場合、それはキャラクターたちが使っている言語では意味が伝わらない、別の言語が名称●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●に使われている●●●●●●●ことになってしまう。

言語は、それが使われる地域の歴史、文化、思想、景色、生態、環境、あらゆる要素の影響を受けて形作られ、変化していくもの。つまり『咧嘴谷』という名称は——現実においても多くがそうであるように——それを付けた人々について物語るものでなければならない。

『グリニングバレー』という名称を使った場合、そこにはわざわざ他所の言語を使って名前を付けた理由が、そもそもストーリーとして存在しなくてはならないのだ。だが『咧嘴谷』という名称から察するに、元のテキストにそんなものは存在していない。レム・ビリトンの人々は、おそらく自分たちの言葉でその名前を付けている。ならば翻訳も、日本語を使った名称にしなくてはならない。

……繰り返しになるが、これはあくまで個人の推測でしかない。だがアークナイツは主要なテーマでは一貫した描写を行っており、言語の扱いではそれが特に顕著だ。そう間違った推察ではないのではないかと思う。

さらに複雑にするローカライズ事情

ここまで長々と説明したが、これらはあくまで「翻訳者ひとりひとり」の思考ルーチンだ。長いシナリオであれば20万字を余裕で超えるアークナイツの場合、ローカライズの際には絶対に複数人の翻訳者を使っているはずだ。

そうした場合、チームの構成は一から翻訳を書き起こす翻訳者(Translator)複数名と、それら異なる翻訳者によるテキストをまとめ上げ、校閲・修正・加筆を行うレビュワー(Reviewer)一名からなることが多い。テキスト全体としての出来は、言うまでもなくこのレビュワーの力量にかかっていると言っていい。

つまり、異なる翻訳者による口調や語感、新たに登場する用語やキャラクターのセリフを訳す際の違いなどをすべてまとめ上げ、整合性を保ち、さらに誤訳を修正して原語のささいなニュアンスまで拾えているかをチェックするということを、何十万字にわたってイベント毎にやっているのがレビュワーというワケだ。アークナイツのクオリティは、この名もなきレビュワー(たち)によって担保されているのである。

とはいえ、上がってきたテキストのクオリティが悪ければどうにもならないので、アークナイツの場合は翻訳者たちも優秀なのだと思う。

……ゲーム翻訳は基本的に単価が低い。やりたい人数が多いため単価が下がり、それがさらに質のいい翻訳者の業界離脱を招く。開発や運営のトラブルのしわ寄せがローカライズに来ることも多く、理不尽な納期につながることも多い。

何が言いたいかというと、アークナイツ担当の翻訳者/レビュワーたちには、相応の報酬を受け取っていてほしい。

チラ裏考察。本当に暇な人だけ読んでね

ここからは完全な余談なので、本当に暇な人だけ読んでほしい。まったくもって、ただのチラ裏考察だ。

アークナイツのイベントの副題に使われる言語は、舞台となる地域のモチーフとなった現実の地域の言語となることが多い。『シラクザーノ』はイタリア語、『樹影にて眠る』はルーン文字、『ツヴィリングトゥルムの黄金』はドイツ語が使われている。直近の『銀心湖鉄道』は英語とドイツ語の合わせだが…これはおそらくイェラグのモチーフがチベットであり、本国で政治的配慮が必要とされるからと思われる。なお次のレム・ビリトンおよびサルゴンはオーストラリアがモチーフのひとつではないかと個人的には思っている。

そして上記の『世界』についての話に戻ると、これはつまりテラの一般の人々が未だ『世界』という概念に触れていないということになる。彼らは苦しい日常を生きるのに精いっぱいで、それ以外に目を向ける余裕がないということは作中でもたびたび語られている。だがそんなこととは関係なしに、彼らにはおそらく嫌でも『世界』に目を向けなくてはならない契機が訪れることになると思われる——かつて我々の世界が、二度の大戦を通じてそれを直視しなくてはならなくなったように。

その伏線はすでにいくつも張られている。進歩するテクノロジーによって縮まる各国間の距離、それによって増える摩擦、広がる大国の野望、深海から迫る脅威、教皇に訪れた「神のお告げ」、狂王が垣間見た虚無、打ち破られた偽りの空。いかにテラの人々の生活が苦しかろうと、それを理由に足元だけを見ていてはいずれ必ず破綻が訪れる。世界から目を背けても、そこで起きることからは逃れられないからだ。テラの各言語の辞書にはいずれ、『世界』という言葉が加えられることになる。

邦題『アークナイツ』は英題"Arknights"から取られており、原題は『明日方舟』だ。タイトルには必ず、その作品を表す意味が込められている。

タイトルコールってアガるよね

5年目に入り、アークナイツの物語はこれから佳境へと入っていくと思われる。いずれ「エンドフィールド」へとつながるその終わりに、『方舟の騎士たち』が見せてくれるだろう輝きを楽しみに待ちたい。


(エンドフィールドPVで示唆されたロドス本艦による特攻、はよ見たい)


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