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無料で読める、小児アレルギー科医のゆるい日記

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出典を大事にする小児科医の、出典にこだわらない日々。
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2019年10月の記事一覧

エビデンスとナラティブのハザマで①~アレルギー始めます~

新生児から逃げ、アレルギーを専門にしようと思い始めたのは医師5年目の頃だった。僕は最初、新生児を専門にしようと思い小児科医になった。 しかし医師4年目にNICUの勤務で体を壊してしまった。 体調が回復しても、未熟児あがりの体では長くはできないのではないか。 『新生児医療は向いていないな』と思い込んでしまった。 自分が専門にしたい分野が分からなくなっていた。 もともと、それほど自分に自信を持っているほうでもないのに、もっと自信をなくしていたのだ。 そしてその時期、ちょうど

エビデンスとナラティブのハザマで②~冷やし中華はじめました~

【過去記事】 『冷やし中華はじめました』『標榜』とは、『私はこの科の診療できますよ』と掲げることだ。 医師は、どの科でも標榜はできる。 私が『消化器外科医』であるとか『病理医』であるとか言うことも出来なくはないわけである(これらは専門性が高すぎてとてもじゃないけど僕には言えないけれども)。 『アレルギー科』は多くの小児科医が標榜している。 『アレルギーはだれでも診れる』と思われているかのようだった。 もちろん、語弊だ。 でも私は、『アレルギーやってます』と周囲には

エビデンスとナラティブのハザマで③~囚人の穴掘り。~

【過去記事】 重症アトピー性皮膚炎の津波。 少し時間軸は遡る。 気管支喘息に対する治療は、吸入ステロイド薬で戦況が大きく変わっていた。 それははじめてペニシリンを手にした医師達の気持ちだったかもしれない。 (もちろん、ペニシリンがその後耐性菌により万能感が薄れたように、吸入ステロイド薬もまた、万能ではなかったのだがその話は別の物語、、、) 実は、その時期、気管支喘息以上に、重症アトピー性皮膚炎のお子さんが増えている時期だった。 1992年に ニュースステーションで