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エビデンスとナラティブのハザマで①~アレルギー始めます~

新生児から逃げ、アレルギーを専門にしようと思い始めたのは医師5年目の頃だった。

僕は最初、新生児を専門にしようと思い小児科医になった。

しかし医師4年目にNICUの勤務で体を壊してしまった。
体調が回復しても、未熟児あがりの体では長くはできないのではないか。
『新生児医療は向いていないな』と思い込んでしまった。
自分が専門にしたい分野が分からなくなっていた。

もともと、それほど自分に自信を持っているほうでもないのに、もっと自信をなくしていたのだ。

そしてその時期、ちょうど喘息の治療が大きく変革され始めていた。吸入ステロイド薬が登場してきたのだ。

患者さんがドラスティックに改善していくのを目の当たりにした。

『良くなるという実感』を得たくてアレルギーの分野に飛び込むことにしたのだ。


医師6年目で大学のアレルギー外来をひとりで担当することになった。

その県には、アレルギー専門医は数人しかいなかった。そして大学にはひとりも専門医がいなかった。

今考えると、専門医も持っていないどころか特別な指導を全く受けていない人間が、専門外来をしようとするなんてなんて傲慢なんだろうと思う。


壁にすぐぶち当たることになった。


まだまだエビデンスに基づく医療と経験に基づく医療が拮抗していた時代だ。ついでに言えば、エビデンスに基づく医療を手ほどきしてくれるようなひとも見当たらなかった。


僕は、医者になるときに2年間浪人した。予備校にはいっていない。

教科書を自分でバイトして買い、図書館や公民館で勉強して、そして医者になった。


よし、教科書を読んだり、医学雑誌を読んで、なんとかしよう。


新生児から逃げたのだ。

アレルギー学からは、もう逃げられない。


でも英語論文なんて、苦労して読んでもよくわからなかった。
アレルギー学の分野で有名な医学雑誌がどれかすらわからなかったのだ。
どの英語論文が、有用なんだろう?
この英語論文、標準的な考え方の内容なのだろうか?


そもそも、アレルギー学の標準はどのへんなんだ?


自分が、どこに立っているかもよく分からなくなってきていた。


さらには、当時、日本アレルギー学会に入会するのですら、「日本アレルギー学会の評議員の推薦状」が必要だった(いまは、お金を払えば入会できる)。

でも、周りには評議員どころか専門医すらひとりもいない。

じゃあ、学会入るにはどうすればいいんだろう?


かなり前の段階で袋小路にはいってしまった。


(続く)



noteでは、ブログでは書いていない「まとめ記事」が中心でしたが、最近は出典に基づかない気晴らしの文も書き散らかしています(^^; この記事よかった! ちょっとサポートしてやろう! という反応があると小躍りします😊