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映画「判決 ーふたつの希望」: 複雑な中東問題

パレスチナ難民の工事人ヤーセル。
真面目で質の高い仕事をする。
ある日、彼がアパートに取り付けた配管をレバノン人のトミーが叩き壊す。
それを見たヤーセルはトミーに暴言を吐いてしまう。

トミーはクリスチャン。
理由はわからないがパレスチナ難民に敵意を抱いていて、ナショナリスト政治家の熱心な支持者。
ヤーセルの雇用主にヤーセルの謝罪を求める。

しぶしぶ謝罪に出かけたヤーセルだったが、訪問するとトミーはパレスチナ難民排斥の演説をするテレビを見ながら
「シャロン(当時のイスラエル首相)に抹殺されればよかったんだ」
とヤーセルに食ってかかる。
ヤーセルは思わずトミーの腹部を殴り、肋骨を折る。

トミーはこれを裁判に訴える。

ここから、問題はふたりのいざこざから、クリスチャンであるレバノン人対イスラム教徒のレバノン人やパレスチナ難民という、大きな争いに発展する。

あらすじはこれくらいで。

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非常に複雑な事情が見えてくるのは、難民問題と宗教の絡みが徐々にわかってくる展開から。

作品自体はフィクションだが、裁判に関わる2つの史実がある。

1)宗教間の争い

主人公2人がそれぞれイスラム教徒とキリスト教徒。

パレスチナ難民が多く流入している現状で、レバノンの人たちには反発を持つ人が少なくない。
このあと説明する対立にも関係するが、パレスチナ難民のほとんどはイスラム教徒で、作品内ではナショナリスト政治家の支持者としてのキリスト教徒が描かれる。

しかし、パレスチナとイスラエルの関係から
パレスチナ難民批判→イスラム教徒の敵→親イスラエル
という図式で、キリスト教徒への過激な反発が顔を出す。
キリスト教徒であるトミーのヤーセルへの罵倒は、これと密接に関わる。
ベイルートが真っ二つに分かれ、暴動や脅迫が起きてしまう。

2)過去の事件

ヨルダン内戦

1970年にヨルダン軍とPLOによる内戦がぼっ発。
1971年ヨルダンから排されたPLOはレバノンへ、逃れパレスチナ難民も押し寄せる。
作品内ではこの内戦末期の事件の被害者が登場するが、この事件自体は史実なのか不明。

ダムール虐殺事件

1976年ダムールの住民が武装集団に追放され、また大量虐殺された。
首都ベイルートから車でわずか20分ほどにあるダムールだが、救助はほとんど行われることがなかった。

一方、作品に登場する実在する民兵組織であり政治団体の「レバノン軍団」は、1982年にパレスチナ難民の虐殺事件を起こしている。

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上記のように、レバノンとその首都ベイルートは歴史的にも、宗教的にも激しい殺し合いの起きてきた場所。
一対一の個人間の暴言の浴びせ合いが火種となり、過去の恨みや現在の生活苦の不満が一挙に燃え上がる、危うい状態に置かれている。

政治の都合で自国に見放され殺されるがままにされた人たち、イスラエル国家建設によって起きた中東の大規模な戦争と繰り返される衝突が生み続ける難民。
ユダヤ教徒たちがイスラエルという国を持つに至った、ヨーロッパの反ユダヤ主義が生んだシオニズム(シオンの地にユダヤ国家を建設しようという考え・運動)。

歴史はすべてつながっていて、一度起きたことは消えない恨みを残し続ける。

題材はレバノンだが、世界中の宗教や政治的思想、植民地時代の負の遺産による争いに共通する連鎖を止めることの難しさを感じる作品だった。

ここで「憎しみからは何も生まれない」と言うのは、経験のない者が軽々しく考えることだろう。
そして、それは被害を受けた人たちに向けて言う言葉でもない。
(写真はレバノン↓)

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