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SSの結婚と優生思想 : « The S.S. Officer’s Armchair » (SSのひじ掛け椅子) II ダニエル・リー

何万人もいた「その他大勢」のSSについては記録も少なく、末端の機構や役割の詳細はすべてわかっているわけではないという。
本書では、ロバート・グリージンガーの足跡を詳しく追うことで、高官でもなく収容所の監視員でもない、普通のドイツ人の中にいたSSの実像が見えてくる。

グリージンガーは1933年にSSになっている。
ナショナリストではあったがナチ党員ではなかった彼は、ヒトラーの権力掌握と同時期に法学部を卒業し、法律事務所でキャリアを開始すると同時にSSに入隊した。
ナチ党員になったのは仕事を得るためだったという話があるが、上中流階級の出身で高学歴であっても必ずしも望む職につけたわけではなかったそうで、彼は幸運な者の一人だった。

ヒムラーはSSのエリート化を進め、彼らの素行には意外と細かな制約があった。
例えば、ヒッチハイクはSSにふさわしくない行為とされ禁止されていたそうだ。

グリージンガーの結婚に際しての手続きや許可についての詳述は、ナチスの優生思想を体現する国づくりがよくわかる内容だ。
彼とその妻になるジゼラの個人的話ではあるが、何千人という他の隊員たちのカップルも同じようなハードルを超えた。

まず出逢ったときジゼラは既婚で息子が一人いた。
女性関係が盛んな夫と離婚しようとしていたが、当時は離婚が難しかった。
グリージンガーが法律家であったことが幸いして、なんとか離婚することができたが、そのあとジゼラにはあらゆる「身体検査」が待っていた。

SSの家族、子孫は「純血」でなければならない。
最低4人は子どもをもうけなければいけない。

これが結婚についての決まりだった。

ジゼラの家系を4世代に遡って調べ、純血のアーリア人であることを証明する。
彼らの病歴や死因から遺伝性疾患のないことも伝えなければならない。
離婚した元夫の家系も調査。
グリージンガーの健康状態は当然ながら、ジゼラが子どもを4人産める身体かどうかも調べられた。
本人の主治医ではなく、SSの専門の医者の診断を得る。
また彼によって診断された外見が明確にわかる写真を提出する。
それでも許可はなかなかおりず、彼らの場合は4カ月経ってようやく結婚することができた。

後にナチスは再婚を奨励するようになるが、それも子どもをたくさん産ませるのが目的だった。
「女性は子どもを産む機械」という日本の政治家のかつての発言を思い出してしまう。

4人の「健康な」アーリア人の子どもを産む能力があるとのお墨付きをもらって初めて、女性たちはSSと結婚する許可を得られたのである。

裏を返せば、4世代前までに「混血」の形跡があったり、遺伝する何かを持った家系だったり、4人もの子どもを産むほどの体力がないとか妊娠できないと、結婚や子どもを産む資格がないと判断されるということだ。

レーベンスボルン〈命の泉〉計画では主に北欧系の女性たちが「アーリア人」を産むためだけに、SS隊員と関係を持たされ、親のない子どもたちが施設で育てられた。
SS隊員の妻になるのも権力側からすれば、価値としては同じようなものだったと言えなくもない。

優生思想は「劣等」とみなした血を絶やすことだけではなく、「優等」とされる血だけが生まれるに値すると選別する。
出生前診断がこの当時にあったら、どれだけの命が生まれる前に殺されてしまったろうか。
ナチスが障害者を殺したT4作戦は、家族の消息不明に不信感を持ったドイツ人の批判により中止された。
でも生まれる前だったら、人々は強制される選択をどう捉えただろう。

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