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ひとは生まれ変われる。感情ドラマと被害者意識から抜け出したときのこと〈後編〉

この記事はひと月半ほど前に起きた、わたしにとって意識の大転換ともいえる出来事についての後編です。

数多の出来事とそれによる氣づきの積み重ねの末に起きたことなので、何をどこから書けばよいのか思案しましたが、

どんなことが起こりどう変化したのか、
感情ドラマや被害者意識から抜けるとはどういうことなのか、

ということを中心にお伝えしたいと思います。

〈前編〉はこちら


わたしを被害者にしておくための感情ドラマから抜け出せたことで、
これまで誰かのせいや何かのせいにして生きてきたことすべてを
わたしが創ってきたのだということを、認めざるを得なくなりました。


もはや言い逃れできない…


体調不良で二日間寝込んだのはそんなときでした。

予約が入っていたためサロンにおりましたが
とてもセッションできる状態ではなかったのでキャンセルしていただいて、そのまま横になりました。

翌朝、起きることもままならず
何かを考えようとすると頭痛と吐き氣がしてくるので、
何もせず何も考えず、ただ寝ているしかありませんでした。

二日目には身体は少し楽になりました。
けれど思考がまわり始めてみると

なんとそこには虚しさと絶望しかないわたしがいました。


もうこの先の人生に楽しいことなんて何ひとつない…
これから生きていく理由が見つからない…

何が起こっているのかわからず混乱しているわたしと
砂を噛むような氣分を味わい、絶望しているわたしが同居しているのです。

わたし、もしかして死ぬのかな…


そう思いながらなすすべもなく、
絶望の淵に落ちていくじぶんを眺めているしかありませんでした。


そして
コトン…

かたい床のようなものに頭が当たった感じがして、


あ、死ぬ…


そう思ったとき、ふいに

「蛹が絶望と感じる瞬間を蝶は希望と感じる」
という言葉が頭の中に流れ込んできて

今まさに起こっていることを瞬時に理解しました。

被害者意識が死んだんだ…


被害者意識が存在し続けるには

加害者という恨む対象に怒りを向け続ける必要があるのです。

わたしが「すべてはわたし自身が創り出してきたことだ」と認めたので
被害者意識はわたしの中で存在し続けることができなくなったのです。

さっきまで絶望して死を予感していたのは
生きる目的を失った被害者意識のわたしだった

と、理解しました。


けれども、そこは理解したものの
なんというか

じぶんが小さな小さな取るに足らないものになってしまったようでもあり、

羽化したての蝶のようなあやうい存在になったようでもあり、

どうしていいかわからなくなりました。


そんなときに体調不良のことを伝えておいた心友からの

「生きててくれたらいいって思ってた」

というメッセージを受け取りました。


彼女はわたしに起こっていることを、なんとなく感じ取ってくれていたようです。


わたしに生きててほしいと願ってくれる人がいるんだなぁ…

そう思うとしみじみありがたさが込み上げて、とめどなく涙があふれてきました。

同時に希望が湧いてくるのも感じました。


生きよう、と。

心友のメッセージがわたしをこの世界に連れ戻してくれたのでした。

被害者意識が死んで、
『わたしの人生の当事者としてのわたし』に生まれ変わったのだと思います。


それ以来
被害者目線で見ていた世界が一変しました。

ものごとの感じ方、受け取り方が変わってしまいました。
これまで感情的に反応していた数々のことにまったく反応しなくなりました。

いろんなことが藤井風くんの歌のように
「どうでもいいの、吹き飛ばそう~」ってな感じで
風のようにスーッと流れて消えていくようになったのです。


翌日の夜になり、
根底にあったであろう『おそれ』の感情が湧きあがってきました。

それは父に対する『おそれ』であり、
この世界に対する『おそれ』でもあり、
他人に対してわけもなく感じてきた『おそれ』でもありました。
「人がこわい」と感じてきたのはこのためでした。

被害者意識の死とともに被害者目線で感じていた父への怒りも抜け、ようやくその怒りの奥にあった根底の『おそれ』が浮上してきたようです。

そして、この『おそれ』を創り出している大本の怒りは、

ほかの誰のでもなくわたし自身の怒りでした。

すべては「わたし発」でした。
この世界を怒りで満ちさせていたのも
両親との不和を創ってきたのも
人がこわかったのも
すべてはわたしの怒りがもとになっていたのです。

これは、理解されにくいかもしれませんが
このことがわたしの腑に落ちたとき
お詫びが湧いて湧いて涙が止まらなくなり
おそらくかなりの時間、泣きじゃくっていたと思います。

「もうわたしの中に、怒る理由は何もありません」

最後にはそう思い至り、空っぽになって寝ました。


翌朝目覚めたら、身体がなんだかスースーするのです。
肉体が個体から氣体にちょっと近づいたような
身体を風が通り抜けるような不思議な感覚なのです。
たましいが禿げツルピンになったかのようで
それを風が撫でていくんです (笑)

やたらと些細なことに氣がつき、
でも感情はサーっとどこかに消えていく。

今までとは感覚が変わってしまい、戸惑うことばかりでした。

どうやら『陰陽転換』というものが起こったようです。


感情がなくなったわけではなく、
以前より湧きあがるいろんな感情を感知できるようになりました。

じぶんを誤魔化したりじぶんに嘘をつけなくなりました。
それをすると猛烈にモヤモヤしたり身体が痛くなったりするのです。

以前はいい人ぶってネガティブなことを感じないように口にしないようにしていましたが、
今は感じたことがネガティブであっても意識にあげて口にもします。

誰かに対して思うこと、感じることはすべて
わたし自身に対して思っていること、感じていることだからこそ

どんな思考や感情であってもまずは自覚する

これが本当に本当に本っ当に大事ですから。


たましいに繋がったからと言って残念ながら、
即 聖人になったりはしないのですね (笑)


また

時間は錯覚である

という感覚も少しつかめるようになり、
未来に対する不安とか焦りというものをあまり感じなくなりました。

これまでの人生で繰り返してきた思い癖で、
ふっと出てくることもあるのですが、
意識をたましいのほうに向けるとスーッと消えてなくなります。


未来だけでなく
被害者目線で作ってきた過去の記憶も書き換わってしまったようです。

今もアルバム整理を続けているのですが
どの時代の写真を見ても人に囲まれて幸せそうなのです。


たましいが何なのか、はっきりこうだと言葉にはできないのですが
『わたし』という感覚がこれまでとは明らかに違うものになりました。

これまでは「身体の中にわたしがいる」という感覚が強かったのですが
今は身体の外側にサーっと広がっていくような感覚というか…。

日常が大きく変わったわけでもないし
ステータスが上がったわけでもないし
超能力や不思議なスキルを手に入れたわけでもないのだけれど、

わたしの根底に
幸せと安心が混ざり合って流れる大きな河がいつも当たり前にある

そんなふうになりました。


これが、わたしに起こった意識の大転換です。


もしあなたが今はまだ
思考や感情があなた自身であるようにしか思えないとしても、

それらがあなたの一部分であってあなた自身ではないことに氣づきさえすれば、自然とたましいとの繋がりを取り戻せる

わたしの経験からそう信じています。


感情ドラマや被害者意識は自力で抜け出すことができるし

抜け出したその先には

それ以前とはまったく違う過去、現在、未来の世界が広がっています。

そして

あなたが望めば、そうなる のです。

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