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「わたしがわたしを愛してあげる」を実践してみてわかったこと

「わたしがわたしを愛してあげる」

そう腹の底から決められると
いろんな縛りから一氣に解放されるのね。
なんかめっちゃ自由になった氣がする。

なんで今まで
これくらいのことをじぶんでじぶんにしてあげなかったんだろ…

もっとじぶんを褒めてあげなかったんだろ…

もっとじぶんを労ってあげなかったんだろ…

これくらいのもの、じぶんに買ってあげなかったんだろ…

こんなにもじぶんに我慢をさせてたんだろ…

って、ことに改めて氣付かされた。

大きなことから些細なことまで
これでもかってほど、じぶんにしてあげないことで

わたしを苦しい方へ惨めな方へと追いやってたのは、
ほかの誰でもなくわたしだった。

そのあまりの愚かさ、バカバカしさに笑ってしまった。

だってね、
なぜそんなにじぶんを苦しくさせてまで
じぶんにしてあげなかったのかって、

わたしの心の奥にあったのは、

「だってー、誰かにしてもらいたいじゃーん」

「誰もしてくれなくて、じぶんでしてあげなくちゃならないなんて、そんなの惨めだもーん」

って。

いやいや、誰もしてくれないから惨めなんじゃなくて
わたしがじぶんにしてあげないから惨めなんだけど?

幼稚すぎる心の声に
思わずじぶんに突っ込み入れたよね 笑

誰かにしてもらいたいから、
じぶんでしてあげることをせずに
ただ待っている…

しかも
「なんでやってくれないのよー!!!」
って怒りながら。

もう、コントでしかないでしょ!

誰かが手を差し伸べ、
愛を差し出してくれるのを待っているうちに
人生が終わってしまう。

もう、誰のことも待たなくていいんだ。
わたしがいつでも好きなときに好きなだけ
わたしを愛して満たしてあげればいいんだから。

好きなものを食べさせてあげて
好きなものを買ってあげて
好きなところへ連れて行ってあげて
好きなことをさせてあげればいいんだから。

もう我慢も怒りもしなくていい。
わたしは自由なんだ!

これからは生涯、
わたしはわたしを愛しまくってあげる
そう心に誓って実践中。

でね、
じぶんでじぶんを愛してあげるようになると何が起こるのか。

まわりからも愛されていたことに
はたと氣付かされることが増えるの。

じぶんの内側の世界で起こっていることは
必ず外側の、じぶんの目の前の現実となって現れるから。

だから、何事もまずじぶんから。
じぶんの内側の世界を調えていくことが本当に大事。

身をもって、そう思わせてもらった。

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