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私が嫌いなのは「体育」だった

運動じゃなくて。

昨日、こんな記事を読んだ。

共通の話題が多い友人の記事なのだが、中盤で「ブルータスお前もか」って気持ちになった。

私は運動というものが嫌いなのではなく、運動に付随する団体行動が嫌いなのだということであった。

この一文を見て思い出したのは、小学校の体育の時間だった。
走るのも早くなく、あまりパッパッと動けない私にとっては、早くスムーズに動けてこそ良いというこの時間は、しんどい以外の何物でもなかった。
先生もいわゆる「よくできる子」の方に目を向けていて、あーこっち見てないなーといういたたまれなさだけを持った。

ここから、「私は運動が苦手だ」という思い込みを握り大人になる。だからもうジムに行こうって発想をしないw
そしてん十年後の現在、筋トレを始めたとき、「身体を動かすことそのものは嫌いじゃないむしろ楽しい」ということに今更気づいたのだ。
何でだ…と思い至ったのが、タイトルである。
これは別のところで呟いたら、たくさんの人が「そういうことかぁー!!」と目からウロコを落としていた。むしろ書いた私がびっくりした。みんなナチュラルに体育の呪いもらってんじゃん。

息子の様子を見るに、今の学校はもう少し先生の視野も広くなっていそうではある。動きの遅い子たちを励まし支える姿は何度か見かけた。
しかし、「遅くたって鈍くさくたって大丈夫」という安心感は、学校や幼稚園よりも前から育まれるものであり、その安心感を与えられていない子は、どれだけ言葉をかけられても「そんなわけないだろ」と防衛反応を起こすのではないだろうか。かつての私のように。

親の「あんたほんっと鈍くさいわね」というひとことは、子の心に想像以上に響き、そして残る。
嫌だねえ。

願わくば、無垢な子供らの心が、安心を感じのびのびと居続けられますように。
その安心の意味と大切さを知る養育者が少しでも増えますように。

フィットボクシングは私もやってますが、本当に肩こりが撲滅されるのでオススメです。
マットや室内用シューズなど、衝撃吸収対応をお忘れなく。

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