ちょっと昔の邂逅録。

 25,6の頃、私は自称フェミニストのただのあんぽんたんで、聞きかじったフェミニズムを掲げて、やれメイクもヒールも反対、婚姻制度も当然反対、妊娠出産なんて断固したくない、どうして女だけが多大なリスクを背負わなきゃならないんだと、毎日毎日真剣に憤っていた。
 今から思えば、慢性的な生きづらさ、走っても走ってもまとわりついてくる重たい不幸感の理由が欲しかっただけだとはっきり分かる。要するに、「こんなに人生が辛いのは、私が女だからだ」とこじつけたかった。

 しかし、そんな私も妊娠し、結婚した。姓も変わった。当時「選択的夫婦別姓が実現されるまで結婚したくなかった」と深刻な顔で言いふらす私に、神妙な顔で付き合ってくれた友人たちには一生頭が上がらない。実際、勘違いフェミニズムに傾倒した私は、友人の何人かを失った。もちろんそれだけが理由じゃないだろうが、大きな要因だっただろうと思う。自分の主義主張を心の中で持ち続けるのは自由だが、それは開けっぴろげに他人さまに話して聞かせるようなことじゃないのだ。今から思い返しても、穴があったら入りたい気分だ…。
 苗字が変わるのは大変だ。クレジットカード、免許、マイナンバーカード、数々の会員登録、支払い情報を更新しまくらないといけなかった。でもまあ、それくらいだ。確かに婚姻制度は家父長制を助長するのだろうが、私の生活においてはそれを感じることは本当にない。私は「ん?」と思ったらブーブー文句を言える相手と結婚したので、夫から存在ときちんと尊重してもらっていると感じている。役割は違うけど、私たちは対等だ。妊娠と出産も、それはまあ大変だった。この大変さは、とても筆舌に尽くし難い。でも、私の人生において、何者にも変え難い貴重な経験だという確信がある。ほんっとうに大変だったけど、その苦労に一部の後悔もないというか。その前後で全く価値観と人生が変わってしまって、その変化は圧倒的に不可逆なのだ。これを、妊娠前の自分に解らせるのは到底無理だと感じる。経験した側からしか、この変化は理解できないだろう。
 最近子は「パパイヤ期」に突入したのか、夜になると私以外受け付けなくなった。さっきまでのけぞって号泣していたのに、私に抱かれた途端にこにこ笑う娘を見て、夫は非常に無力感を抱いているそうな。そう、娘が、この世で唯一絶対的ににこにこしてくれるのは、私だけなのだ。それは私が母だからだ。女だからだ。それはすごいプレッシャーであると共に、信じられないくらい特別で幸福なことだ。

 相変わらず化粧は嫌いだ。女らしいファッションも、SNSやテレビで見ると「は〜可愛い〜いいな〜」と思うのだが、実際日々身につけるのはゆったりした綿100%ばかり。でもそこに主義主張はもうない。自分が楽ちんだから。楽ちんかつ、最低限自分のことを好きでいられる小綺麗さがあれば、もう充分だ。

 きっと、女であるが故の不幸は確かに山ほどある。そういう不幸を克服するためにフェミニズムはあるのだろうが、私はいちいちそれら不幸の一つ一つを噛み締めるような感じの付き合い方しかできなかった。ただでさえ「べき」の強い私の性分と相性も良かったのだろう。でも、とめどない理不尽、不幸が溢れる世の中を恨み、怒り、不信に陥るのはほとほと疲れてしまう。今から振り返ると、あの頃の私は、なんていうか、ちょっと変だったと思う。刈り上げに近いベリーショートで、パンツスーツにノーメイク。ブラジャーをつけるのも嫌だったし、口を開けば、誰彼構わずこの世の中の女性に対する理不尽への恨みつらみを話題に上げようとしていた。ある種の宗教みたいなハマり方をしてたなあと思う。

 不幸も理不尽も山ほどあるこの世に、だけど私たちは生まれてきたのだ。確かに自分の意思で生まれてきたのだ。ならば、不幸や理不尽に負けないくらい強く強く楽しむ必要があるのだろう。海流に逆らい泳ぐ大きな魚が浮かぶ。その鱗はキラキラと順々に虹色に輝いて、美しいはずなのだ。

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