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郷土史と絵画 その弐・岡部

今回は、埼玉県深谷市は「岡部」という地について話そうと思います。いつもながら無知、辿々しさ、お許しを。

深谷市といえば今、新札で話題の渋沢栄一が有名ですね。深谷市岡部に統合される前は、大里郡岡部町、さらに昔は榛沢郡岡部村、本郷村などさらに細かく区分けされていたみたいです。

↓画像は明治二十二年の地図。

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岡部、本郷のあたりは鉢形領となっています。

 鉢形城という城が寄居町にあり、かつては北条氏邦が城主を務めました。鉢形は最後まで統一を目指す豊臣秀吉に屈しませんでしたが、1590年、小田原征伐の際に攻め込まれ、後北条氏は滅亡。戦国時代に終わりを告げました。

秩父史などによると、大里郡に住むのは、かつて氏邦に仕えていた家臣たちが帰農した者もいると書かれています。

↓鉢形落城哀史に、落武者たちのその後の行く末が書かれていました。多くは最初、秩父地方に落ち延びたとあります。

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彼らはそれでも、かつて自分たちは家臣団であったということに誇りを持っていたそうです。

そして家臣団たちで結託。鉢形家臣分限録を編纂し、その名跡を後世まで残したのです。

 話は戻って岡部のこと。その昔、本郷村という名前だった頃の郷土史を図書館からコピーで頂きました。

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この辺りは曹洞宗の多い地域だった模様。

 藤田神社には伝説話も。↓画像は、本郷小学校で編纂された郷土史をお借りしています。

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坂上田村麻呂が東方へ足を伸ばした折、本郷の辺りを通りました。轡が壊れてしまった田村麻呂、土地の鍛工に修理を頼みます。そしてそれを称えた田村麻呂、鍛工に轡の紋章と、「内田」という苗字を与えました。たしかに本郷郷土史を見るにつけ、この辺りは内田姓が多いなと感じたんですが、このこととある程度関係しているのでしょうか。

その他にも、土地のご長寿さんなどが記録されていて面白かったです。明治の頃だと、八十歳ともなれば立派なご長寿だったみたいですね。

 私は実際に岡部へは赴いたことがないのですが、新幹線で群馬へ向かう際、景色を窓越しに眺めていました。何気ない、のどかな田園風景です。機会を作って行ってみたい場所です。

実はこの地も、私に少し関係していることから、是非この郷土を絵にしようと思ったのです。描いたものがこちら。↓

「黄金の穂が揺れる頃」

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 --黄金の穂が揺れる頃、ここにいない彼らは、各々の宿命の地で、立派な実を成しているだろう。--

今はもう岡部にいない人たちも、日本各地に散り散りになって、それぞれの世界でご活躍のことと思います。という絵でした。この絵は「女流画家協会展」で東京都美術館に飾って頂きました。

それでは、次は別の土地を。お読みいただきありがとうございました。

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