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山山の架け橋展を開いてみて。

 個展を開こうと思ったのは、知人の小説家・上田聡子さんの朋友、ロクエヒロアキさんが、福井の書店で開いたという情報を小耳に挟んだからである。去年の夏頃だったか。僕らも、なかなか正当に認められずに口惜しい思いをしているので、少しでも知名度が上がるならと、試みてみた。県内各施設に訊いたところ、一番リーズナブルなのはガラス美術館だと判り、丁度市立図書館と同居しているので、読書好きの人が流れてくる可能性もあり、そこに決めた。
 はじめての個展と言うことで、ずいぶん勝手がわからなかったが、パネルはコストを抑えるため、ラミネートを貼り合わせてA1のものを作成した。これを当日、業界では有名らしい「ひっつき虫」という粘着剤で壁に固定した。しかし、その配置の配分が、おおよその感覚で枚数を計上して作ったために、設置するときとても苦労した。あっちに貼ったものをこっちに貼り直すことを繰り返した。
 設置の壁は可動壁で、これを据え付けるのに朝から昼まで掛かった。慣れればもう少し速くなるかもしれないが、結構重労働だ。壁の配置はおおよそを考えていたのだが、現地でやりながら考えようと思っていたけども、とてもそんな余裕はなく、初めに入れたとおりの配置になってしまった。しかし、なかなかうまい具合の壁配置で、いっぱしの展覧会のような通路が出来た。
 前日の設置は、朝十時から夜六時半までかかり、当日前にくたくたになった。しかし、苦労した甲斐があり、かなり見応えのあると思われる展示を作れた。

 当日、人がどれだけ来るか不安だったが、一番初めに開館を待って来て戴けたのか、繋同人の先輩が来て下さった。幸先がとても良かった。そのあと、高校と大学が同じで病院も同じの後輩が来てくれて、元カノが来てくれて、親族が来てくれて、嬉しい限りだった。人々の御好意を感じて、ありがたかった。一日目の終わりには、病院から代表してデイケアのスタッフが来てくれた。
 二日目には、とやま同人誌会の神野さんがきてくれて、じっくりと鑑賞していって下さった。そのほか、同人の冬月さんもじっくり見てくれた。多くの客と知人が来てくれて、大成功に終わった個展は、人数が一日目が261人、二日目が282人と、初めてにしてはかなりの成果を得られた。ちょうど富山祭りと重なったことが幸いしたのだろう。
 しかし、これだけの成果を得たにしても、同時に世間の冷たさも感じた。SNSであれだけ発信したのに、そのフォロワーで来た人はほとんどいなかった。僕の友達は誰一人来なかった。要するに、友達ではなかった。来られないなら来られないと、一言言うならまだしも、個展の発信にもなんの感心も示さず、成功したという記事にも全く無反応。特に富山高校関係者の冷たさは異常なものを感じた。一人くらい、健常者で富山高校OBの方が来てもよさそうなものなのに、あれだけ発信してもまるで無視。おそらく、高校OBは僕のことを蔑視しているのだろう。母校ながら、ろくでもない高校だなと思った。そんな高校だから、僕はいじめにあったのかもしれない。
 個展を開いても思うことだが、僕がどんな大きなことをしても、絶対認めたくないという障害者差別主義者がかなりいるということ。認めてくれる人もいるけれど、数は差別主義者より少ない。そもそも、精神障害を障害と思っていない無知が多くて、ただの落伍者だと思っている人々が多いのだろう。精神障害は不治の病であり、統合失調症は、薬も飲まずに放っておくと、脳が萎縮して空洞化して痴呆のようになるという医学的知見をまるで知らない。ALSと同種の、進行を食い止めるしか治療法のない難病なのである。
 富山県は、保守的な県だから特に、そのような差別主義者が多いのだろうと思う。しかし、日本自体が差別主義者のかたまりである。
 僕が差別されていなかったら、もう少し社会的地位があったに違いない。それだけの業績は僕にはある。ただ、社会が認めないだけなのだ。
 そう思うと、ふつふつと瞋恚が湧いてくるが、今の僕は結構幸福なので、それが愚かなことだと自省できる。だから、怒りは収めて、自らの仕事に精を出していこうと思う。

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