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お前の死因に████の██を

続・高松さんへの聞き書き記録


すぐにその記事の連載をやめろって言われたんすよ。

いや、もうちょっと言葉遣いは優しくて、
この内容はちょっと載せらんないから
別の内容考えよっか、って言い方だったんだけど。

でも、
「この記事は学校のサイトに出せない」
って態度だけは有無を言わさないレベルで
一貫してて、結局最後まで
変わることはありませんでした。

最初は、そういうオカルティックな
特集を公認の部活動としてやっちゃうのが
駄目だったのかな、って思ったんすよ。

だから例えば、「きれいな本」に関する
調べ方をこう、学活の町調べみたいな──
あるじゃないすかそういう、
昔の言い伝えをちゃんと調べる学者のやつ。

そういうスタンスでやればいいのかなとか、
先生に訊いてみたんだけど。

いや、そういうスタンスの問題ではない、と。
むしろ他の無難な怪談──
花子さんとか人面犬とかを、
今の文体やスタンスでやる分に関しては
こちらで積極的に止めたりはしない。

つまり、「きれいな本」を
取り上げるのはやめてほしい、
ということだったんです。

当然、なんでなんだ、となりますよね。
なんでその怪談だけそれほど検閲を喰らうんだ、
もう文芸部員には話を通してるのにって。

そしたら先生ももっともらしく、
色々言ってきたんですよ。

要約すると、花子さんくらいの
レベルの話であれば、他の学校にも
普通に出回っているような噂だから、
「この学校にもそんな話があるんだね」
で済ませられるから良いんだと。

でも、この学校にしかない噂となると
そこに地域性というか、
固有性が出てきちゃうじゃないか、
って言うんですよね。

この学校にだけあって他の学校にはない、
オカルティックな噂。

そうなると、言ってしまえば
うちの学校だけ変なこと考える奴が
多いんだみたいな風評に繋がりかねない、
だから駄目だっていうのが顧問の──
というより、学校の運営側の言い分で。

でもそんなこと言ったって、
こちらからすれば何処にでもあるような
話を集めたところで、面白くもないじゃないすか。

折角この学校にしかないネタがあるのに、
それを使わずに無難なネタだけ
まとめといてくださいってことでしょう?

少なからず望んで新聞部に
入ったとはいえ記事作るのって
めんどくさい作業なわけだから、
せめて面白そうなことを書きたいのに。

そんな状況だと、
モチベーションなんてそう上がりませんよね。

それに、さっきも言った通り、
先生の言い分はもっともらしくは
あったんすけど、なんか他のきな臭いところも感じて。

そのときは昼休み終わるぎりぎりの職員室で
うまいこと丸め込まれちゃいましたけど、
後になって考えると、色々おかしい言い分じゃないっすか。

そもそも、いち文化部が
内輪で回してるネット記事、
しかも学校の怪談レベルの噂話を
まとめた特集ぐらいで、
学校のなんの風評に被害がもたらされるんだって話で。

結局、あの第一記事すら
掲載することはできずに流れて。

一応その段階で、
「夏の特集記事を公開予定!」
くらいの予告はしてたから、
それの中止告知だけはしておいたんですよ。

最終的に連載とかじゃなく一記事だけ、
「学校に伝わる噂を検証」みたいな題名で、
「○○先生はメロンパンが好きだという噂は本当なのか」
みたいな記事を書いて、
面白おかしくお茶を濁したんですけど。

ただ、なーんか腑に落ちない感じは
残っていたので、僕や新聞部や
文芸部の仲良い人たちを集めて、
ちょっと実際に調べてみよう、
っていう話にはなったんすよ。

こっちとしても既に原稿を
書きあげてるところから、
手直しどころじゃない完全ボツを
喰らってるから、ちょっと意固地に
なってるところもあって。

例えば「終業式直前企画、
部室の大掃除に潜入したら
こんなものが見つかりました」
みたいな体裁の記事を書いてみて、
そこで「たまたま」文芸部にも
調査する運びになってて、
「たまたま」部誌の残ってる本棚も
調べてみることになったんです、とかね。

うちの学校の場合、終業式では
自分たちの教室と特別教室──
つまり視聴覚室や理科室なんかですね、
そこを中心に大掃除することになってて。

その前の一、二週間のどこかの
タイミングで、各々部室を
掃除しときなさいって言われてるんです。

つまりその時期の放課後に
部室を大仰に引っ掻き回してる
生徒がいたとしても、そこまで怪しまれることはない。

そのときに、ちょっと調べてみようという話になって。

結局、七月の始め頃になったのかな。
夕方の、吹部たちが終業式用に
校歌の伴奏練習してる時間帯に、
僕と新聞部の後輩、あとは
その場に居合わせた文芸部の何人かで、
大掃除という体の捜索を始めたんです。

より大変なことになってる
後ろ黒板近くの段ボールとか、
机の上に散乱してるキットカットの
ゴミとかはそっちのけで、
みんなで手分けして部誌の棚の中にかじりついて。

その時点で知っていたのは、
「きれいな本」が蔵書棚の
奥深くで封印されていて、
製本されて間もないから、
その本だけ比較的きれいになっているってこと。

まあこれも名前からの推測が
交じった言説であって、事実では
ないんですけどそれだけだったので、
まずは棚の奥の方にある本から
めぼしいものを探しました。

まあ当然ながら、
全然見つかんなかったんですよ。

まずは普通に見た目ですぐ分かる
特徴があることを期待して、
装丁や製本だけ見て
めぼしいところがなかったら戻す、
を繰り返してて。

でもそこであらかた調べ終わっても
全く見つけられなかったから、
今度はある程度ページの中身も
さらっと眺めて、
変わったところ──「封印」された
形跡はないか、とかを
調べてみたんですけど。

作業量はばかでかいのに
ゴールの目星すら見つからない作業だから、
ただただ時間だけが過ぎていって。

結局放課後二日ぶんくらいを
文芸部の蔵書棚に費やしたのに、
めぼしい情報がなにもないって
ことしか分かんなかったんすよ。

まあ二日も勝手に部屋の中を
引っ掻き回したんだからってことで、
一応文芸部の大掃除にも
付き合ってて、それを入れたら
三日ちょい部室の中を色々見て回ったのかな。

でも、何も見つからずじまい。

しょうがないから、
一度打ち止めにしたんですよ。

もうすぐ七月の第二週に入って、
期末の訂正ノートもだいたい
終わってるぐらいの時期。

そういえばうちの部室の大掃除も
その時点で終わってなかったからって、
お菓子と引き換えに文芸部の人手も借りて。

その時に、うちの部活では
昔のファイルをどうしてるのか、
なんて話題になったんですね。

そういえばうちに、
文芸部で言うところの蔵書棚に
相当するものはあるんですか?
って、後輩が聞いてきて。

だから僕とか、
その時いた別の先輩が、
うんあるよって返したんです。

それこそ学級新聞が
紙媒体だったころに、
昔の新聞をまとめてアーカイブした
ファイルとか、そういうの。

当然ながら文芸部と違って
わざわざ製本することはないから、
色んな時期の紙がひとつの
綴じファイルにごちゃごちゃ入ってて。

文芸部とはまた違った嵩張り方で
ラックに突っ込まれてるよーって笑って。

そしたらその時の話の流れで、
折角だからこっちの蔵書棚も
ちゃんと整理しておこうか、
って感じになったんですよ。

あっちほどじゃないにしろ、
紙の嵩張り方は尋常じゃないし、
むしろちゃんと同人雑誌を
保管しておく大きい棚を
用意してない分、散らかり方は
より混沌としてるんですよ。

本を入れる用じゃない普通の
学校ロッカーにファイルを
押し込めたりもしてたので。

それで、大掃除のときにすら
見て見ぬふりをする
壁際のロッカー……手前側にある棚を
どかさないと中のものが取れない
仕様になってるやつまで
ちゃんと出して、珍しく本格的な資料整理をしていて。

その時に誰かが、
「あ」って声を出したんです。

振り返って声のしたほうを見たら、
数日前に文芸部で一緒に
掃除を手伝った同級生が、

「新聞部のバックナンバーの
間に挟まってた文芸部誌」

を手に取って、
驚いた顔でこっちを見ていて。

その、変に嵩張った質感の
部誌の表紙には、
「夏号 平成二十九年刊行」
と印字されてました。

僕たちは一瞬固まって、
そのあとで慌てて
そいつのもとに行って。

なぜかこそこそ声で、
隠れるようにして、
部室の隅でそれを確認しました。

今思えば、そんな風に
読みあってたらなおさら怪しまれるから、
せめて「過去の新聞を懐かしんでる」
体で机の真ん中で開くとか
すべきだったんでしょうけどね。
そんな余裕もありませんでした。

結論から言うと、
それは半分求めてたもので、
もう半分は予想と違ったものでした。

まず前者に関して言うと、
恐らくそれが「きれいな本」と
噂されているものの現物である
可能性は、かなり高いと僕は思ってます。

ただ後者の側面もあって、
つまり事前に僕らが聞いていた
噂に沿うようなものでもなかったんです。

僕らが事前に持っていた情報では──
ちょっと待ってくださいね、
ああそうそう。

「かつての部員が残した恐ろしい文章が書かれており、あまりの恐ろしさから気分を悪くする生徒が続出したため、当該のページは特殊な方法で『封印』が施され、普段はまず開けることのないような本棚の奥深くに収蔵された」

【特集】葬られた闇……この学校に伝わる怪談話「きれいな本」

こんな風に噂されてたんですけど。

ここだけ読むと、
例えば「牛の首」とか
『ドグラ・マグラ』みたいな、
見た人が精神的に変な影響を
受けるって話を想像するじゃないですか。

でも実態はそうじゃなかった。

大仰な封印もされてなければ、
めちゃくちゃ恐ろしい話が
収められてるわけでもなかったんです。

かつてその文章を書いた方、
平成二十九年ってことは、
今二十四歳くらいなのかな、
その方が書いていたのは、
簡単に言うと「悪趣味な文章創作」
だったみたいなんですよ。

恐らくは実在する
一般人だと思うんですけど、
たぶん当時の人達が読めば一読して
「あの人のことなんだな」って
分かる人物を作中に登場させて。

で、その人が徹底的に
恐ろしい目に遭う、
そんな内容の小説を掲載していたんです。

そんな原稿を提出して、
一度部誌に載ったはいいものの、
恐らく後から内容面で問題になった。

ちょうど、僕たちがちょっと前に
立たされた状況とも少し似てるかもですね。

じゃあどうしたかというと──
それまでに僕らが使ってた
言い方を転用するなら、
ページを「封印」したんです。

さっき、見つかった部誌は
変に嵩張ってたって
言ったじゃないですか。

実は、あるページとあるページの
周りが、恐らくは糊やテープを
何回も貼り直したみたいに、
ぐじゃぐじゃになってたんです。

たぶん、当時はそのページの
四辺に糊を広げて貼り付けて、
袋とじみたいな状態に
していたんでしょうね。

袋とじの表面にあたるページには
後からシャーペンで
書き込みがされてて、
「以降のページは読まなくても構いません」
と書いてありました。

流石に先生たちがそこまで
するとは思えないから、
多分そのページの内容に
反発した他の生徒か、
もしくはその反発自体に
反発した書き手が、
半分当て付けで溜飲を下げるために、
そういう処理をしたんじゃないかなと僕は思ってます。

何重にも推測が重なってはいるんですけど。

そういう小競り合いの末に
この小説、ひいては部誌の
話をすること自体が
タブー視されたと考えれば、
色々な理屈は通る気がするんです。

まず、顧問の先生が
「その話はするな」と言ったのは、
検証を進めていった結果として、
こんな争いの形跡を
見せてしまうのを嫌がったから。

顧問はそれほど古株では
ないんですけど、
当時を知ってる先生や
用務員さんはいるから、
昔の話として聞いている可能性はある。

「きれいな本」というネーミングも、
恐らくはその自己検閲じみた行動を
皮肉った言葉だったのではないでしょうか。

当時もたぶん同じように、
その話を避ける空気は
あったかもしれません。
そうしたらいつの間にか、

「気分を悪くする生徒が出たために封印され、
以後話題にすることも憚られる小説があるらしい」

という、少なくとも嘘は
言ってない状況が出来上がる。

その様子は傍から見たら、
世にも恐ろしい文章に
多数の生徒が巻き込まれているように見えたことでしょう。

さっきも言った通り、
表紙には「平成二十九年刊行」と
書かれていました。

平成二十九年は二〇一七年、
つまり六年ほど前。

合併して移転した後の学校で
部室が近くになったことが
きっかけで、文芸部と新聞部が
仲良くなり始めたのが、
同じく六年前のことです。

こう見ると、うちの部室の
本棚の奥深くに文芸部誌が
捻じ込まれていたことにも、
いろんな理由を考えられるような気がするんです。

というか、文芸部に部誌が
なかった場合に、
所在の第二候補として
挙げられる場所としては、
一番整合性がある。

例えば──高校って場所の都合上、
四年も経てばそこにいる人の
大半はいなくなってる。

もしかしたら、
そのゴタゴタがあった
四年後くらいにはもう既に、
新聞部で僕らと同じような
調査をしようとした人が
いたのかもしれないですね。

当時に「きれいな本」の噂が
そのまま出来上がっていたとは
考えづらいですが、
「先輩の先輩くらいの時期に
物議を醸したやばい小説があるらしい」
くらいの噂だとしても、
好奇心を刺激するには十分でしょう。

そこからどういう流れを経て
新聞部の本棚に収まったかは、
色んな考え方ができますよね。

例えば、単純に回し読みの末に
返すのを忘れて、当時使われてた
古い本棚に押し込んだパターン。

思ったような類の噂では
なかったことに気付いた部員が、
それこそ顧問の先生が
そうしたみたいに、本自体を
棚の奥に隠してしまったパターン。

もしくは……
本が見つからない状況を作ることで、
もっと「怪談」っぽい尾鰭が付いて
噂が広まるのを、愉快犯的に狙ったパターン。

そういう、いくつかの悪意が
捻じ曲がって伝えられた結果として、
この噂が恐ろしいものとして
伝わったんじゃないかなって、考えてます。

いくらなんでも、
昔から話題に上がっている
学校の怪談に纏わる本が、
これほどすぐに見つかるなんて
都合がよすぎないか、
と訝しむ気持ちも最初はあったんですが。

このあたりまで考えが至ると、
僕らも思考を改めたんです。

都合も何も、別にこの本自体は
それほど希少なものではなかったんだ。

まあ、だからといって、
この本の噂が生まれるに至る
経緯とかの恐ろしい部分が、
消えるわけではないですけどね。

何の目的でそんな小説を
書こうと思ったのかも、
その話が怪談として伝わるに
至るまでの経緯も。

どう整合性を持って考えたとしても、
どこかに嫌な要素は出て来てしまう。

仮に全部の事実が
明かされたとしても、
だからと言って嫌なことが
消えるわけではないんでしょうね、きっと。

はい。
僕もその「きれいな本」の、
袋とじの内容は読みましたけど。

正直、あまり読んでいて、
気持ちの良いものではなかったです。


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