ポイ捨てのゴミ拾いで感じたこと

健康のため30分程の職場への道を歩くようにした。
街路樹の側で多様な草花を見るようになり
それがすっかり楽しくなって写真を撮っては楽しんでいた。
ウィルス対策としてマスクが必要と叫ばれ始め
一時品薄となった使い捨てマスクが
自由に手に入るようになった頃、
街道の植え込みにマスクを見るようになった。
草花の間に捨てられたマスクやゴミが気になり
小さいゴミ袋を用意して拾い始めた。

片道だけでコンビニサイズのビニール袋がパンパンになった。
マスクが多いので短いトングを買って拾うようにした。
ゴミ収集車が回収する週2回
綺麗になった道を歩くのも気持ち良かった。
綺麗になるとゴミも捨てづらくなって
どんどん減っていくと思っていた。

だけど現実は拾っても拾っても
毎回袋はパンパンになる。
ある決まった場所では毎回バナナの皮を拾った。
そうすると1個だったバナナの皮が
2個、3個と増え始めた。
食べ歩きをしながら捨てていったようだった。
いくら綺麗にしても減らないゴミを見て
意地になって拾っていた時期もあった。
そしてふと拾うのをやめてみたらどうだろうと思い
1ヶ月ゴミ拾いをやめてみた。

拾うのが習慣になっていたので
拾いたくてウズウズする自分が笑えた。
1ヶ月後にまた拾ってどれだけ増えたか
見てみよう、と我慢した。
相変わらずゴミは減らず、
歩くたびにゴミを目で追っていたので
1ヶ月後、袋を2枚用意して
トングを片手に意気揚々と拾って歩いた。
すると不思議なことに少し膨らみが大きい位で
週2回拾っていたゴミの量と変わらなかった。
何だか拍子抜けしてしまった。
そうして約2年続けたゴミ拾いをやめてしまった。

ゴミ拾いをしてもしなくても、
道端に捨てられるゴミはある一定量で
どんどん増えるわけではなかったからだ。
むしろバナナの皮のように
私が拾うことで増えるようなこともあった。
拾う私がそう感じたからかはわからない。

数日後、朝の信号待ちをしていると
歩きながら飲み終わった空き缶を
空き地に放り投げる人がいた。
爽やかな青空に気付かず
その人は何かを吐き捨てるように缶を捨てていた。
それを見て怒って舌打ちをした人の
背中を見ながら思った。

歩く道にゴミなど無い方が気持ち良いはず。
しかしゴミ問題の本質はもっと社会的な問題かもしれない。

ポイ捨てする人はなぜそれをするのか。

吐き出す場所を見つけられない感情を
捨てられた空き缶が物語っているように感じた。

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