松本裕樹に会いに盛岡へ
「一瞬懸命」
この文字を見て泣きそうになった。
ついにここまで来た。来てしまった。
「松本裕樹」
という人物に会うためだけに。
時は遡って2013年。
当時東京で高校野球のマネージャーをしていた私は、午前中に部活を終え、その日部内でしていたセンバツの話の熱のままテレビをつけた。
ちょうどその日は東京代表である安田学園の試合。
対戦したこともなければ知り合いもいない。
それでも同じ都道府県の高校が出てるとなれば応援してしまう。
そんな軽い気持ちでこの試合を見ていたことを
私は今でも後悔をしている。
その時の相手チームの先発投手は本当に衝撃だった。
同い年とは思えぬ飄々とした態度にピッチング。
全てが異次元であった。
幼い頃からプロ野球ばかり見ていたにも関わらず「世の中にこんな凄い選手がいるのか…」
と、本気でそう思った。
その選手こそ、松本裕樹。
のちにソフトバンクにドラフト1位で指名される逸材である。
その時から松本裕樹という選手に惚れ込んだ私は東京--盛岡という距離を恨み、土日休みがなく向こうが大会の時期は自分の野球部も大会、というタイミングの合わなさを悔やんだ。
とはいえ、それで応援するのを断念する事が出来るような熱量ではない。
行けないなら盛附がこっちに来るタイミングがあるじゃないか!と考えた私は、盛附に通う野球ファンの子と仲良くなって関東遠征の日を教えてもらったりもした。
関東遠征の話を書き出すとこのnoteがハリーポッターくらい長くなってしまうので、それはまた別の機会に。
2013年の10月。
松本くんを応援して半年が過ぎたころ、私はちょうど高校のテスト期間を迎えていた。本来1週間の中で終わるテストだが、台風で休校になった影響もありテストが二週間にまたがることとなった。
そこで気がついてしまったのだ。
(あれ…テストに挟まれた土日部活ないじゃん…)
思い立ったらすぐ行動してしまうのが性分な私は完全に盛岡に行く気持ちになってしまっていた。
とりあえず親を説得しに行くが、テスト中に盛岡に行くなんて言語道断。それに月曜日には一番苦手な数学が控えているし無理に決まってる。と散々な言われようだった。
しかしテストが終わればまた部活が始まり、
もう一生観に行くことはできないかもしれない。
行き帰りで勉強するから!と何度も交渉し、
ついに盛岡行きのオッケーが出たのだ。
嬉しくて嬉しくて、Twitterですぐつぶやいた。
色んな人から「おめでとう!遂にだね!」と言ってもらえた。
多分人生で一番おめでとうをもらった日だった。
バイトもしていない高校生が出せる費用はたかが知れていて、行きは夜行バス、帰りは新幹線の日帰り旅となった。
2013年10月19日。
前日から夜行バスに揺られ、福島あたりから寒さと戦いながらついに盛岡へと来ることができた。
初めて来た盛岡。まず横断歩道がなくて駅から出られない。地下通路なんて想像もできないし。
そして寒い。10月後半の東北の寒さはえげつない。
朝早く着いたのもあるが、体の芯から冷えていくのを感じた。
まあお昼頃からだろと思い、盛岡城址やらなんやらで時間を潰しながらTwitterを見ていると、
「きりーがいない!」
というツイートが。
見ると、盛附の一つ上の野球部OBだった。
頭にはてなマークを大量に浮かべながら、
盛附のグランド、通称鍋屋敷へと向かった。
(なぜ鍋屋敷という名称なのかは未だに不明)
鍋屋敷に到着すると、盛附の一つ上の野球部OBが10人ほど入り口で待っていてくれていた。
福岡さん、豊田さん、齋藤さん、望月さん、友利さん、大城さん。
私が松本くんを好きになったあのセンバツの試合で活躍された方々が目の前にいる。
この私には余りある事実に出来ることといったら
おどおどしながら「ありがとうございます…!」
とお礼を言うくらいしかできなかった。
あの時来てくれた皆様ありがとうございました。
本当に本当に嬉しかったです。。
皆様に促され、前方を見るとまさに練習が始まるところだった。
ザ・冬練。
それでも良かった。
松本裕樹という存在が目の前にいる。
目の前で練習している。
その事実だけで良かった。
凍てつくような寒さも、他に誰もいないという気まずさも(それは当たり前)、週明けにテストが残ってるということも、全て忘れられた。
この人の事を一生応援したいと、心からそう思った。
昼前に到着してから、かれこれ5時間は
練習を見ていただろうか。
そろそろ新幹線の時間も近づき、帰らなくてはならない時間になった。
5時間があっという間すぎた。
寒さでは帰らないが、新幹線の時間は流石に無視できない。
そんな時、松本くんの同期の洸平くんと澁谷くんが話を聞き、終わりの時間をちょびっと早められるかな!と言ってくれた。
(この2人は松本くんが初勝利した試合でも会ってくれたりなにかと気にかけてくれる。一生感謝してます。)
当時のキャプテン前川くんが、実際に少しだけ
練習の終わりを早めてくれたらしい。
そのおかげで、練習終わりの盛附の校歌まで
聞き届けることが出来た。
そのあと本人に会うことこそ叶いはしなかったが、半日松本くんが野球をしているところが見れたのは「幸せ」以外のなにものでもなかった。
初めて盛岡に降り立ったあの日のことは一生忘れない。
OBの皆さんが出迎えてくれたこと、松本くんの野球姿がたくさん見れたこと、野球部の方が色々気を遣ってくれたこと。
盛岡に住む優しい方が盛岡駅まで会いに来てくれたこと。
どれもこれも、未だに鮮明に覚えている。
若気の至りと言ってしまえばそれまでだが、あの頃はどれも全力だった。
全力で松本くんのことを応援していた。
今も松本くんを応援する気持ちは変わらない。
松本裕樹という人物に出会えて良かった。
松本裕樹という人物を応援できて良かった。
こんなに応援出来る人に出会えて幸せだ。
そして、その応援してる選手がずっと野球を続けてくれているということが本当に嬉しい。
松本くんを応援してから、かれこれ9年になる。
それは高校2年生だった松本くんが9年間
高校野球・プロ野球とステップアップをしながら
野球を続けているということだ。
これからも野球を続けて欲しいし、活躍して欲しい。松本裕樹という名をこの日本に轟かせて欲しい。
松本くんなら絶対に出来る。だって松本裕樹だもの。
これからどんな道に進もうと、一生応援します。
今シーズンもどうか怪我なく頑張ってください。
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