気張りについて

格好つけ

希望か

どちらも人は好むものだと思う

でも、お仕事というものはどっちも必要な要素なのだと思われる。


踊っていて気張りが出てくると自由をなくす

本当に自由な姿が人を魅了するが

それは他者からどう見られているかをどれだけ認識しているかということも絡んでくる。


ゆえに
己の中の気張りをなくし

尚且つ、外部からみて
私の物質や動きが何なのか捉える(外と内を観察をして直感磨き続けその感覚で捉えるもの)こと

両者必要。


己の中の気張りを溶かすのか流すのか抱くのか寄り添うのか味わうのか撫で付けるのか‥
その気張りの扱い方を試行錯誤するということは
世界と自分の関係性や位置を捉えて
世界も自分も受け止めるということ。

この気張りは、いずれ流したり溶かしたりしたいものだと思う。単なるエゴ・格好つけてるだけのもの。

何処までも先へ先へ信じて疑わない身体は身体を超えて、身体一つで場を変える
受容して次に繋ぐの瞬時の繰り返し。
生きること。

必要なくして、そのものや状態は存在していない
けれど、そのままでいることも不自然だ

こえをきく

もの・ことのこえを聞こう

聞こうとすること その状態こそが神聖である。

内にも外にも声をきこう。

世界と自分がみえてくる。

格好は
そして

勝手についてくるもの。

気張りの格好つけでなくて、

内と外の声を聴き受け止めて、この身体と世界を見つめ、位置や関係性が感じられてきて、この身体で何かをどうにかして対処してゆく
こういう自由な流れ動き

格好がついてくる。

踊りの話でもあるし、人生の話でもある。


あぁ、言葉は簡単だ。

これが出来たらどんなにいいかって?

そんなこともないかもよ笑

めちゃくちゃ大変だ。

そう生きることはたーいへーんだーーーーい!!!!!!

適度にクソ真面目にね!
バカに寄り道も上手くやってね笑

クソ真面目過ぎるのが一番気張ったりするから笑

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