細胞検査の日
2022年12月3日の日記
今日は昭和大学病院の乳がん細胞検査の日でした。
わきの下とおっぱいに針を刺しぐりぐりして、がん細胞組織を取ってその種類を調べるという日。
大雨だった前回の検査とは違い今日は晴天で少し気分も晴れ。
病院近くの定食屋さんで、昭和大学の研究者で登山友達でもある方とランチをした。
彼と話したのは40代ってそもそも病気がでるには当然の年齢。
今はアンチエイジングが進み人生100年時代と言われ、
見た目も気も若くいられるけど細胞や内臓は確実に老化に進んでいる。
みんな老いや死というネガティブとされるものから少しでも目をそらしたいよね。わたしもそうでした。おばさんとか中年とか言われるのを最も嫌い、アンチエイジングはぬかりなく、年齢よりは若い、年齢よりは元気。そんなことばで現実を見ていなかった。
そのまま歩いて昭和大学へ。
旗の台は母校の香蘭女学校があるところ。学校はとても楽しくて大好きだったので、この道を歩くとなぜか安心するのが救い。
病院から言われた「バストバンド」というものを指定されたコンビニで買い、ブレストセンターへ。
看護師さんが案内してくれて、女医さんがわきの下に針を刺す。
とても痛いと聞いていたけどたえられる範囲。
おっぱいに差すはりはやや太いので麻酔を打ってから針を刺す。
これもおもったより痛くない。
約20分くらいで終了し、看護師さんがタオルで止血する。
私は血がだいきらいなのでいまおっぱいから血が流れていると思うだけで恐怖のどん底に。
そしてガーゼと先ほど自ら購入したバストバンドをきつく巻かれ、いわゆる「さらしをまいた」状態に。その上に洋服を着て今日は終了。
病院って結構ハードな告知や処置をした後、何のフォローもなくすぐ「帰ってください」の流れなので冷たいなあって思う。
療育センターは診察後ソーシャルワーカーのフォローの時間が必ずあるし、泣いてしまう人にはお部屋を貸し出すのに。
とにかく検査がこわかったのか、予定していなかった生理が突然来てしまった。
これだけでぐったり疲れてしまい。帰りは25年前からあった喫茶店でお茶をして休んだ。
幸せだった中高生時代を思い出す。こんな日が来るとは思いもよらなかった。
この店は昭和で時が止まっている。
わたしも時間がとまってしまえばいいのに。
歩いているうちに胸に針をさしたところが痛み、同時に生理痛も痛い。
心が折れる。
たかが検査でこんなにつらいのに、これから控えているオペや抗がん剤治療なんて私に耐えられるのだろうか。
緩和ケアで自然死って選択肢はあたえられないのだろうか。
どうして死なせてくれない?なぜ生きなきゃだめ?
すっかり気をおとして改札を出ると先週まではなんともなかった木が3色の紅葉で夕日に照らされ輝いていた。
死んじゃったらこういうのも見られないんだよなあ。
と思うと木が「お願い、生きて」
と言っているようにも見えた。
家に帰り、せめて生理痛だけでも止まってくれないかとバファリンを手にした。いつもは体に良くないからと飲まなかったけど、これから抗がん剤がはじまるかもしれないのにバファリンを控えるなんてばからしいと思い飲んだ。
そうしたらすっかり眠くなり寝てしまい起きたら痛みも治まっていた。
甘えられるものは甘えてしまおう。
薬、ウーバーイーツ、宅配洗濯などなど。楽をさせてくれるものは山ほどある。
いままで頑張りすぎていたのかもしれない。
だから病気になってしまったのかも。
頑張らなくていい。
明日は眠って過ごそう。
再来週は泣いても笑っても最終告知だ。
でもね、大正時代って寿命が40代半ばだったらしい。
そう思えばどんな結果もこわくない。
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