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プライドは捨てるが吉。

インコが逃げて意気消沈している私に友人は言った。

インコは逃げても生き延びることができるらしい。

なぜなら他の鳥の集団に紛れて、インコというプライドを捨て、その鳥たちと同じ鳴き方をして、仲間に入れてもらい餌にありつけ、集団行動で身を守るそうだ。

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たしかにうちのインコも外でウグイスが鳴く時期は「ホーホケキョ」と言っていた。

プライドを捨てて本来の目的を果たす。

これって人間にも当てはまるのではないか。

私は小室ファミリー全盛期の1990年代に青春を送り、その一味である「access」というボーカル「貴水博之」とプロデューサー「浅倉大介」のユニットが好きだったのだが、絶頂期のデビュー2年目で解散してしまった。

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ボーカルの貴水博之が「新しい音楽性に目覚めた」のが理由。

が、ソロになった貴水博之は全く売れず、なんと解散後6年目くらいにあっさりaccessに出戻ってきた。

「え?プライドなくね?」と思ったが人気は以前ほどではないにせよ、再燃していた。

その後も貴水はソロライブでも「accessやってー!」と言われるとaccessの曲を歌ってしまうほどのプライドのなさである。

だけどファンは戻ってきた。
カッコよさも歌唱力も健在で決してファンをがっかりはさせてない。

「男に二言はある」中でかっこよさを体現したのだからすごい。

思えば逃げたインコは「インコであること」が重要なのではなく

「生きること」が重要だし、

貴水博之は「自分のアートを追及すること」ではなく

「歌で人を勇気づけること」

が重要だったと考えれば、一緒にしては申し訳ないが

「プライドを捨てる」のは賢い選択だったと思う。

たとえば、これって福祉制度の利用にも当てはまるのではないか、と思う。
例えば生活保護。プライドを理由に受けない人がいる。
母子手当「世間に申し訳ない」と断る人がいる。

一体、なんのためだろう。

わたしだったら必要な状況なら受ける。「人様の税金を使うなんて」という人もいる。

けれど、私の生きる目的は
「元気に生きて、人と交流し、願わくば人の役に立ちたい。自分も感動したい。この世の美しさや絆を味わいたいし作りたい」

それは生活保護を受けずに、体力以上の労働をすることや必要な分も食べずに節約することだろうか?

わたしは「元気になり、活力がわき、そのあと働き人の役に立つため」に受けると思う。

母子手当にしても同様。

たとえば支援級も同様。

何のために学校に行くのか。
「勉強をするため」「健やかな精神を育てるため」「好きなことを見つけるため」「お友達と交流するため」
目的をはっきりさせると、どちらに行くのがよいのかの結論はおのずと見えてくる。

(支援級に籍をおきつつ、普通級と交流するなど新たな視点も生まれてくる)

「プライド」って実は判断の主軸にするには、根拠が不明瞭で、
「なんのために生きるのか」を細分化して考えたほうが、自分の行動指針は立てやすいと思う。


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