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「行ってきます」って別れたから、また帰るよ。

絆家シェアハウスchanoyaに住んでいたということは周知の事実でしょうか。もう一度言いたいんですけど、天下茶屋にあるシェアハウスのアンバサダーとして1か月、chanoyaに住んでおりました石崎桃花と申します。

忘れもしない9月25日、わたしはchanoyaに、「行ってきます」と別れの挨拶をした。駅まで見送ってくれたせきのは元気だろうか。バイト辞めてないだろうか。この間、Instagramのストーリーで「ぼっち悲しい。」とイベントバイトの様子をアップしていたが、続けているのだろうか。

何にも考えてないようなまっすぐに生きるあの子は、周りをよく見れる子だ。無自覚だろうけどしっかりある自分の軸を大切にしてほしい。

同じ部屋に住んでいたあの子は今1人であのだたっぴろい部屋を使っているのだろうか。20の歳にもなって「おばけでる怖い」って叫んでいたから、当時は小馬鹿にして笑ってたけど今は少しだけ心配。

わたしが出ていった日、せきは、

「ももが笑ったらせきも笑って、せきが笑ったらももも笑った。」

で始まる少し長い文章を投稿していた。それを実家に着く前のバスの中で読んで、少し涙が出たのを覚えている。

あの子と一緒にいた日々は、今でも鮮明に思い出せる。毎日毎日が鮮やかで、昨日のことのように思い出せる。なのに、なぜか、「1か月」という長い月日があのchanoyaで流れていたという事実だけがいまだに理解できない。

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朝目覚めたら夕方6時だった日。当然夜に寝れなくて夜中しゃべり倒した。

1日中やることがなかった日。「暇だからご飯作ろう。」で朝昼おやつ夜、ひたすらに作った日。

住吉大社に行くから2人で起こしあって7時にリビングに降りれた日。卵焼きを作った。わたしのはほとんど味ついてなくて、あの子のは塩辛すぎた。

いきなり二胡を持って帰ってきた日。音感を頼りに一音一音試しながら、1日中弾いてた日。ラの音を出しながら「今のミだよね!!」と嬉しそうに言うせきを忘れられない。違うし。

ちゃんと12時前に眠くなった日。いつもせきに先お風呂に行ってもらうんだけど、なんか歌熱唱しててぜんぜん出てこない。

夜ご飯後にアイスを食べた日。罪悪感がすごくて1時間「痩せるダンス」で検索懸けてヒットした動画を流して踊りまくった。

訳のわからない茶番を繰り返して、吐きそうになるくらい笑った日。いつもいつも、せきももは声でないくらいに笑ってる。毎日笑うものだから、少し腹筋が筋肉痛になってた。

わたしがアレクサに「ミスチルの『Birthday』流して」とばかり言うもので、飽きたあの子は流すまいとして何やら奇声を上げながらアレクサの聞き取りを妨げる。チャンネル争いのようなものを繰り返していたのに、わたしが出て行ったあとは、きっと『Birthday』を聴いて寂しくなるんだろう。そこまで想像できる。

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挙げだしたら数えきれない日々。

たった一か月、されど一か月。

それでも、わたしにとっては、宝物のようで、一生輝き続ける1か月。

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chanoyaで、そんな特別な1か月を共に過ごしたあの子は、一生の相棒だと思う。だからこれからも会おうと思う。ずっとずっと、大親友だ。

お別れの時、ぼろぼろ泣いた。

寂しくって、もう会えないんじゃないかと思うくらいに泣いた。

最期は笑ってお別れしようって言ったはずだよね。なに泣いてんのさ。下向いてるけど涙こらえてんのばれてんだよ(笑)って言ってる私の目には、涙がいまにも溢れそうなくらいに乗っていた。

「ふたりとも全然約束守れてねぇじゃん」って言って、軽く笑った後に、泣いた。

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一生会えない気なんてさらさらない。何回だって会うし、何回だって遊ぶよ。あんなに一緒にいたのにまだまだ話し足らない。

それでも何故か、一区切りがつく。そのたった一区切りが、わたしたちにとってすごく大きなものだった。

「一生会えないわけじゃないんだしさ、もも、またいつでも帰ってきなよ」と言われた。もちろんだよ、すぐに帰るよ。

なぜだろうね、でも、最後はふたりとも

「「それとこれとは別なんだよう(涙)」」

最後まで仲良し。

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chanoyaのみんなへ

しばらくおうちを空けます。わたしは元気にやってるよ。心配しないでね。またすぐに帰ります。

またいつか、あのドアの前で「ただいま」を言う日まで。

放浪癖もち飽き性単位諦めがち注意散漫の限界大学生です