2022年の幕は既に開いておりますが
2ヶ月と12日が経って初めて、やっと、今年の目標が決まった。
年が明けてからずっと悩んできた今年の目標が、ふとした瞬間にパッと決まった。
色々やらなきゃいけないことが山積みだ。
学校も、TABIPPOも、ピアノも、家のことも。
それでも、この先1年間のために、戻ってくる場所を作るために、今残しておかなきゃいけないから、少しだけここに割く時間をください。
積極的に自己決断をして、伝えること
そう、これが私の今年の目標です。
今までのわたし
私は超がつく優柔不断。
一緒にいる人にはいつも全部決めてもらう。
今日の夜ご飯はここに行こう
深夜の買い出しに行くか行かないか
これとこれどっちがいい
イベントはやるのかやらないのか
今どうするべきなのか
挙げ出したらキリがない。
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「どっちでもいいよ」
「あなたに合わせるよ」
正直、これが正義だと思っていた。
人間誰しもこだわりがあって、相手には必ず欲求がある。
それを満たしてあげられる”こだわりのない私”というレッテルに縋り続けた。
勘違いをし続けた。
そして、たくさんストレスや負担を与え続けてきた。
”決断”という重圧
たかが昼ごはん
たかが行き先
その「たかが」が、たくさん自分を美化してきたし、たくさん困らせてきた。
友人がふと呟いた「決断することは楽することじゃない。」
このセリフが、私の全てを動かした。
別に自分の思い通りになればそれでいいなんて思ってる人なんて少ないはず。
少なくとも、人は決断した後に、相手の反応を伺ったり、「本当にこっちでよかったのか」って脳内反省会したりすると思う。
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決断することによって、自分の欲求が通るというメリットも得られるが、しなくてよかった心配や反省の念を心に被せなければいけないという大きなデメリット、責任を背負わなければいけないのだ。
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私はこれに気づいていなかった。
これからのわたし
だからといって、あれがやりたいこれがしたいなどと我が儘女王になれと言っているわけでもない。
少し、時間を取ってみる。
ただこれだけ。
相手と一緒に何かを決めなきゃいけない場面になったとき、「あなたに合わせる」と責任を丸々括ってぶん投げるのではなくて、まず黙って、考えてみればいいのだ。
私は根本として、そこまでこだわりが強くない。
やりたくないことへのこだわりも
やりたいことへのこだわりも
さほどない。
だから、何を言われてもオールオッケーだからこそ、合わせることができる。
でも、人間である。
私も歴とした、立派な人間である。
二つの選択肢を与えられ、それらを天秤にかけたとき、全く同質量のゆえ釣り合うということは滅多に起こらないだろう。
つまり、自分の中でも、すこし考えてみればわかるはずなのだ。
本当は、どっちがいいのかくらい。
そして、それを相手に伝える。
私はこっちがいい。こうしたい。
でも、あなたの意見はこうだから、
間をとってこれにしよう。
そう。これがしたいのだ。
私は、あなたと”一緒に”決めたいし、
あなたと”間を取りたい”し、
後々の責任は”お互いさま”。
これがやりたい。
きっとこれは、間違うことだって、防ぐことができると思う。
私にとってのベストは、私だけが導き出せるものではない。
自分をずっとそばで見てきてくれた周りの人が、正解を持っていることだって少なくない。
だからこそ、後悔する選択をしたくないし、間違いたくもない。
みんなと、あなたと、決めたいんです。
最後に
この1年間、決断することなんてきっと山ほどある。
山ほどどころの騒ぎではないかもしれないくらい。
その度に私は、きっと何度もここへ帰ってきて、この「積極的に自己決断をして、伝えること」を、忘れないように、そして、間違わないように、この1年を生きていくんだ。
放浪癖もち飽き性単位諦めがち注意散漫の限界大学生です