一度だけ昔の話をしよう

大学入試が「共通テスト」ではなく「センター試験」だった30年近く前の話だ。我が家は分かりやすく貧困家庭で、親は「東大なら行かせてやる」と言っていた。あるいは医学部医学科なら、親戚中に頭を下げまくってでも学費を借りられたかもしれない。しかし、当時の私は怠け者だった。実際の成績は500人中490番くらいだったから、そもそも前提条件を満たしていないのに、「北大に行きたいのに親がクズなせいで無理」という建前で遊びまくっていた。

現役時のセンター試験の得点率は6割弱、これは札幌圏の国公立で受けられるところはほぼないレベルの点数だった。数学に至っては200点満点で30点位だったはずだ。どうせ無駄だと思っていた2次試験は教師の圧力により受けさせられてきちんと?落ちた。

浪人生と言いつつ予備校代が出るはずもなく、実質フリーターだった。好きな教科だけ気が向いた時に勉強し、同じような一浪組と遊ぶ。その年の暮れは年賀状配達のバイトをしていた。しかし何故かセンター試験の成績は7割になっていた。再び母校の教師から教育大を受けろ、今年なら受かると言われたが絶対に向いていないと思ったので、無視してバレンタインのチョコレート売りをしていた。

とはいえ多くの友達が一年で無事志望校に旅立っていき、さすがに二浪目は身の振り方を考えようと思った。予備校の単科講座を取り、自習室を使える権利を手に入れた。昼から予備校に行き夜まで勉強し家に帰り夜中まで勉強して明け方寝る生活を送った。数学だけは高校の先輩に家庭教師をしてもらった。夕飯は家で食べたが、それ以外は全部前年のバイト代で賄った。

この年、センター得点率は8割を超えた。それでも数学は130点しか取れなかったので、この辺が自分の限界なんだと悟った。みたび母校が北大の文学部を受けろと言ってきたが、当時はバブルが弾けて間もなく、時代は就職氷河期に突入していた。何が何でも最短で家を出るためには、医療系に就職するのが確実だと踏んで医大の保健学科を受けた。合格したが、入学金+初年度授業料+設備費とやらで70万必要だと言われ、支払う当てはなく滑り止めの国立の医療短大(学費は30万くらいで済んだ)に潜り込んだ。

しかし、私は自分が不運ではあったが不幸だとは思っていない。「もうちょっと上手くやれたかな?」という気はするが、恐らくその場合、私は今ここ(滋賀)にはいなかっただろう。

ここまで書いて、じゃあどうやってここに来たんだ、という所まで書くべきなのでは、と思ったが長くなるので明日の記事に回すことにする。

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