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プレゼンその7,あと、ピーチコブラ―ふたたび

 今回は桃多め、アイス添え。

 そういうわけで、2000年問題のためにガンガン働かされまして、2000年過ぎてもめちゃくちゃ働かされまして、あのころは色々と緩かったんですかね、20代の女の子が1人で会社に残って徹夜してても特に何も言われなかったですね。その代わり給料はよかったですよ。多い時は手取りで30万弱もらってたかな。   
 でもやっぱり、別に好きでSEやってたわけじゃないのに仕事はキツいし、自分が系統立てて習ってきたわけではないので。下が入ってきても教えられないんですよ、そんなこんなでちょっと体がやられまして、たまたま知人の紹介で別の会社に誘われたのでさっくりと転職しました。給料下がったけどQOLは上がりました。ただし小さな会社でね。社長がちょっとアホだった。どっか行ったと思ったらヤクルトのおばちゃん連れてきて「好きなの頼んでいいよ」って、何でかと思ったらパチンコで勝ったからって。ヤバいですよね。ワンマン体制だったので、一度沈むとどうしようもなかったですね。最終的には給料出なくなって、泥船から逃げ出す感じで辞めました。 
 次に、道内ではかなり大きめの食品会社の品質管理課に入りました。仕事は食品衛生関係で、これは大分検査技師の専門に近いし面白かったんですけど、ここは人間関係が凄かった。デスクで居眠りしてて、異物混入のクレームが来た時にお詫びに行くことが大きな仕事の課長と、いつも2人でつるんでて課長のことをぼろっくそに言うのが趣味の女性社員たちと、その間に挟まれて、辛くなると顕微鏡をのぞくのに逃避する主任、あと原材料の抜き取りチェックって、使う材料って全部ランダムに取り出して微生物がいないかチェックするんですけど、その専門に雇われていた検査技師の人がいたんですけどこの人も女子社員ズと仲が悪かったですね。最初に挨拶に行ったら「何でこんな所に来たの?!」って言われましたし。なんか嫌味の応酬が始まると、私はめんどいんで原材料課や試作課に行って新しい材料のサンプルや成分表もらって、データベース化して遊んでました。
 ここにいる時に結婚して妊娠して、出産後も働きたかったんですけど産むまでに2回入院して、迷惑のかけ方も半端なかったので諦めて辞めて、そこからしばらく専業主婦でした。夫が職業柄「呼ばれたら10分以内に職場に駆けつけるように」って言われてまして、半年~1年で転勤になるのでその都度引っ越しです。こんな感じですね。厚別⇒手稲⇒菊水⇒環状通東⇒苗穂って、地名で言われてもわかんないですよね、これ全部区が違います。引っ越しは楽々パックでなんとかしてもらってましたが、一から環境を整える、特に使えるスーパーと小児科と子供用品の店を探し出すのが面倒でした。
(続)

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