見出し画像

人は

人は思ってる以上にそれぞれちがう。

みんな、自分と他人は一緒じゃないってことくらい分かっている。けどそれは仮に自分がカレーだとしたら、他の人は親子丼とかチャーハンとか、せいぜいオムライスとかそのくらいの違いだと思ってる。

でもほんとはうどんだったりクロワッサンだったりショートケーキだったり、聞いたこともない国の聞いたことのない料理だったり、そのくらいの、大~~~きな違いがある。種類も角度も全然ちがう。(全く分かりやすくない食べ物の例え)

生物としてのくくりだけ「にんげん」として一緒で、あと本能とかそういう部分は一緒かもしれないけど、考え方とか捉え方とかはもう別の生き物なんじゃないかって思った方がいい。

だけど、他の国の人のことはよく分からないので、とりあえず日本人、というレベルでいえば日本は文化として協調性を大切にしているから、ほんとは全然ちがう人たちなのに同じであろうとする。

それは生きていく上で必要なスキルかもしれないし、社会をうまく成り立たせるには重要なこと。でも、ほんの少しでもズレたりはみ出したり、平均値より上だったり下だったりすれば、すぐに攻撃や嘲笑や心配やおせっかいの対象にされる。

具体的に言えばいじめや過干渉やネットでの誹謗中傷など。

多分だけど、人間は「分からない」「知らない」が怖いんだと思う。何かしら知ってるパターンやカテゴリーに当てはめてしまえばその恐怖はなくなるから、言葉や力を使ってまで他人の人生に踏み込んでしまう。

例えば私の友人に、自分の「好き」という気持ちや信念を強くもって流行や空気に流されないで行動できる(少なくとも私にはそう見える)人がいる。

その友人は職場で「不思議ちゃん」「天然」などという扱いをうけている(実際に言われたこともある)らしい。

「天然」という性格?に関しては本人が無自覚なことも多いので、一概に間違いだとは言えないが、少なくとも私はその友人のことをそのようには思わないし、本人も納得してないようだった。

その友人が言っていた。「みんなよく分からないから知ってる言葉で当てはめて安心したいんだね」って。

自分とすごくちがう人間と仲良くする必要はない。もし不快に思うならできるだけ離れてほっといて、関わらなければいい。

なぜそれができないのか。なんでその人の人生なのに無理矢理関わってきたりみんなでバカにして笑ったりするのだろう。

考えたけど多分、羨ましいか怖いかのどっちかなんだと思う。

羨ましいっていうのは、「普通」の外側にいる人間が羨ましいってこと。つまり自分もほんとは「普通」とはちがうところに「好き」とか理想とか願望があるけどそう生きる勇気がなくて、だからそういう生き方をしてる人を変えようとおせっかいをしたり自分の生き方を正当化するためにその人をバカにしたりする。

だったら自分も好きなように生きればいいのに。環境とか色々あると思うけど、でもやっぱり羨ましいならその人の足を引っ張ることに注ぐ力を自分の人生を変えるために使う方がいいと思う。

怖いっていうのはさっき書いた通り。未知は怖いから、その人を知っているものに変えようとしたりいじめとかそういう数の力で安心感を得ようとしたりする。あとはそれによって自分の周りの社会まで変わってしまうんじゃないかっていう恐怖。

でも結局、本人が変わることを望まなきゃ、本質的に変わることはない。それにほとんどの場合、他人が変わらなくたって自分や社会には影響はない。

例外として、家族が自分に悪い影響を与えている、とかならそれは大変なことだし変わってもらうために働きかけたいのも分かる。でも家族も他人。やっぱり本人の意思なしにその人が変わることはない。

だからね、結局何が言いたいかというと、家族でも友達でも知り合いでもない他人が本人やその家族の決断を変えようとするなんて(まあ色んな人間がいるしありがたいと思う人もいるのかもしれないけど大抵は)おせっかいすぎる!ってこと。

もしかしたら家族でさえ、本人が強く決めたことに口出しするのは過干渉かもしれない。(未成年というかまだ決断能力がないうちは別。)

これだけ色んな人間がいて色んな生き方があるのに、いつまでたっても「普通」が私たちを縛りつける。

誰かが「普通」じゃないことであなたや私は被害を受けますか?

正義のような顔をして、人を傷つけていることに気づいてすらいない人がとても多いことに、すごく恐怖を感じます。

もちろんこれは自分への言い聞かせでもあるし、ほんとに気を付けなきゃいけない。

顔を見てのコミュニケーションは傷つけてしまったことにすぐに気づけるけど、SNSとかそういう顔の見えないコミュニケーションはあまりに手軽すぎてそれが凶器になっていることに気づけないことがある。

自分ならどう思うか、それでも不十分。

気にしなくていいのに。それができない人もいます。

手軽だからこそ、適切かどうかの判断はすっごく慎重にならなければいけない。

十人十色、というように、ほんとにほんとにみんな全然ちがうんだってことを頭にいれて、尊重して、自分も自分らしく生きる。(自分らしさ≠他人を傷つけること)

理想が高すぎるかもしれないけれど、そういう世界になってほしいし、少なくとももう、こんなに悲しいことが起きないでほしい。

私もすごく気を付けるからみんなも気を付けようね。

乱文、読んでくださりありがとうございました。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?